雉も鳴かずば撃たれまい
病気で辞任した曙次郎元首相は、辞任時には潔いと思われたが、実はそうではなかった。
記者会見で見せた青ざめた顔には、確かに病人であると映った。
首相には解散権がある。
だがその上には、もう一つの巨大な影・政権与党の最大派閥の長という権力がある。
天皇でも内閣総理大臣でもない一人の政治家が、すべての法案の拒否権を握っている。
それはかつて、田山英二元首相が実践した院政にほかならない。
田山は刑事被告人の身でありながら、首相の任命権を握っていた。
倉平昌景は、幾度となく田山に総裁選の相談をしたという。
福山武蔵首相の4年後の禅譲を期待していたが、そのとき倉平は70歳になってしまうし、健康にも自信がなかった。
田山派の票をまとめれば、福山に勝てることは倉平にはわかっていた。
だが、福山を敵に回せば、その後の国会運営は難しくなることもわかっていた。
それでも倉平は総裁選に出馬し、田山派の票を加えて、福山首相に勝利した。
やがて倉平首相は一般消費税を掲げて、参院選に挑み敗北する。
「倉平おろし」と呼ばれた四十日抗争が起き、国会議員による首班指名選挙では倉平と福山の二人に分裂して投票され、それで抗争が終結したかに見えた。
ところが、野党が提出した内閣不信任案の採決に福山派の議員たちが欠席し、可決されてしまった。
倉平は衆院を解散して徹底抗戦を試みたが、病気で入院すると急死した。
院政には法的根拠などない。
尾崎一郎幹事長は、かつてこう言った。
「かつぐ神輿は軽いほうがいい」
それは、少数派閥から首相を立てたほうが、解散権を与えても、選挙で議席数を逆転されるリスクが少ないという意味である。
曙前首相もまた、かつて田山がやったような院政を狙った。
岸山首相が選挙で公約した金融所得の課税強化は、勝利したにも関わらず、曙の一言で撤回された。
与党が公約し、なおかつ勝利したにも関わらず、撤回させたのである。
曙の院政はすでに始まっていた。
曙は参院選が接戦になると、病身を押して勝敗の分かれ目である定数1の選挙区へ姿を現した。
自分は衆院議員であり、なおかつ病気なのだから、参院選のときは家で寝ていれば良い。
勝てば更に院政を強化できると考えたのだ。
曙は長旅の疲れだけで、すでに顔色が青ざめていた。
夕暮れの駅前広場に立ち、演説台に上がる。
背広の襟を風がはためかせ、曙は空元気を出して言った。
「曙次郎でございます」
その直後、乾いた銃声が空を裂いた。
悲鳴が遅れて広がり、聴衆が波のように崩れた。
犯人はさらに曙に近づき、至近距離から頸動脈を撃ち抜いた。
曙は搬送されたが、出血多量で息を引き取った。
犯人はその場で逮捕された。
「民主主義を守るために撃ったのだ」と犯人は語ったが、誰も信じなかった。
その夜、テレビのニュース映像が流れた。
弔旗が垂れ、記者の声が低く響く。
曙の遺影は、微笑を浮かべていた。




