森を駆ける影(前編)
夕暮れの森は穏やかだった。
リオンは畑の端にしゃがみ、芽吹いたばかりのハーブの葉を撫でている。
「これで今夜は香草焼きにできるね」
隣で熊族のグラフトが笑い、モルム三姉妹が軽やかに枝の上を渡っていた。
「リオ助、あれも収穫しようぜ!」ブランが蔓の腕で籠を持ち上げる。
その時だった。
風がざわめき、ミリウスの加護を宿す大樹の枝がかすかに鳴った。
――血の匂い。
森の外れから、何かが全力で駆けてくる。
小さな影が二つ、木々を飛び越え転がるように現れた。
「た、助けてくださいっ……!」
先頭の白い毛並みの少女――ウサギ族のミュリがリオンにすがった。
その後ろで、灰毛の青年ラッドが槍を構えながら息を荒げる。
「追ってが……オオカミ族です! 領の外に出たらいきなり――!」
「リオ助、来るぞ!」
ブランが根の腕を大地に突き刺す。
「熊族の壁を繋げ! 森を割らせるな!」
熊族たちが咆哮を上げ、土を蹴り飛ばした。
巨体が動くたびに地面が揺れ、粘り強い土と木の根が混ざり合い、
幾重にも層を成した“生きた壁”が瞬く間に形を成す。
「蔓、伸びて! 繋がりやがれ!」
ブランが叫ぶと、緑の光が熊族の壁を包み、
リオンが意図を読んで即座に腕をのばして編み込んでいく。
「よっしゃ、やるなリオ助!これで抜け穴はねぇ!」
地中では、小人族のグリンメルたちがすばしこく動き回っていた。
「根の下、隙間が空いてる! ここ塞げ!」
彼らの手から光る樹脂が流れ、地面の裂け目を固めていく。
リオンはその中央で、魔力の流れを感じ取っていた。
森全体が、守りの姿勢に入る。
だが、その静けさを切り裂くように――。
「アオオオオオォォン!」
咆哮。風が、雷と火を伴って押し寄せた。
灰色の影が、森の木々を蹴り砕きながら迫ってくる。
「オオカミ族だ!!」
鹿族の族長リュミスが叫ぶ。
彼らは弓を構え、蔓の壁の上に陣取る。
「光よ、矢を示せ!」
詠唱とともに放たれた矢が、光線のように走った。
「突っ込んできやがったぞ!」
ブランが腕を振り上げ、木壁の一部を動かして叩きつける。
巨体の狼たちが地に伏すが、すぐに次の群れが飛び越えてくる。
「第二防衛線、展開!」
三姉妹が声をそろえた。
彼女たちの光がリオンの結界と重なり、
蜂蜜色のバリアが森の前面に張り巡らされる。
「“花蜜の盾”!」
炎のような衝突音。
オオカミ族の牙と爪が、光の盾に火花を散らせる。
しかし――抜けた。
一瞬の隙間を縫って、数頭の俊足の狼が結界を越えてきた。
「くっ!」
熊族が拳を振るうが、速さが違う。
すれ違いざまに爪が閃き、熊の肩を裂いた。
「負傷者は下がりな!」ブランが叫ぶ。
その瞬間、
上空から黒い影が落ちてきた。
「“突進隊、まいりまーす!”」
声とともに現れたのは、蜜蜂族の戦士たち。
槍のような針を構え、滑空しながら敵を弾き飛ばす。
続いて、木陰から銀糸が閃く。
蜘蛛族のスピネラが糸を広げ、抜けてきた狼たちの足をまとめて縛り上げた。
「お行儀悪い子はここまでです♪」
「よっしゃ、押し返せー!」
熊族の巨体が再び前へ出て、オオカミ族の前衛を押し戻す。
リオンはその隙に両手を広げ、深呼吸をした。
「森よ、僕に力を貸して――!」
緑の光が迸る。
地面から根が伸び、蔓が絡まり、狼族の拘束した。
「これで、もう大丈夫!」
一時の静寂。
しかしその静けさの奥に――、
重い足音が響き始めた。
「来るぞ、第二波だ!」ブランが唸る。
森の奥から、先ほどよりも遥かに大きな影がいくつも現れる。
狼たちの群れ。その中央には、黒い稲妻を纏う巨体。
「……群れの本体、か。」グラフトが拳を握る。
熊族と甲殻昆虫族が前へ出た。
土を砕き、木を揺らしながら突進する両軍。
ぶつかる衝撃で空気が裂けた。
「止めろ! 抜かせるな!」
ブランが蔓を操り、蜂と蜘蛛が援護に回る。
だが、数頭がするりと抜けた。
リオンの目前まで迫る――!
「リオン様っ!!」
ミュリが叫び、身を投げ出す。
だがその瞬間、リオンが手をかざす。
「止まれっ――!」
大地が震え、根が爆ぜる。
狼の足元から緑の光が立ち上がり、絡みつくように固定する。
動きを止めたその顔の前で、リオンが静かに息をついた。
「……どうしてこんなことに。」
狼の瞳が揺れる。
だが背後でまた、雷鳴のような咆哮。
まだ、終わっていない。




