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7.タウのウェイ

 月さえ出ていれば月夜だったちょっとした涼夜。トンネルから海峡大橋へと架かる果てしない国道で、ハイウェイライトの連続した並びが急に湾曲しはじめたラインが、覇気のない深夜ラジオの電波を捻じ曲げ、そこに周波数を合わせていた各車両までの中継器の役回りをなした。『ビビビ……**ビヨビヨ**、**コウライウグイス**コウライウグイス**……ビビビ』

「んだこれ、ちっ、クソが!」

「コラやめてくれ。ナビの弁償代まで取られちまう。」

「だってこれ……ああもうサイアクだぜ!」

 若者はタバコを一本取り出し、今一度ハンドルを握りなおした。上空から照明の明かりが次々車内に飛び込んでくると、その手入れの行き届いた金髪が色のない白色を縞状に翻した。先に火の点いたタバコを、くわえる唇にはまだ不自然な力が籠ってしまっている。こんな様でも一応は日に1箱を吸い尽くすというのに、彼はまだ成人してから日が浅く、ヘビースモーカーの初週を終えたばかりなのだ。彼はイライラしていた。チェリーィエはこの世の全てにイライラしていた。

「頼むから事故だけは勘弁してくれよ。」

 そう言って友人をなだめるでもなくただただ呆れるばかりの彼は、運転席の真隣にあたる助手席についていた。後部座席にはボス・タウを乗せて走行しているため、自動車免許を持っていない彼の座席位置は乗る前からの決定事項なのだった。大胆に額をみせた短髪は今朝切りたてで先が尖っている。広い肩にライダースジャケットを羽織り、下には黒のパンツと黒のチャップス。足元まで黒のワークブーツ。奥の目が辛うじて見通せる程度のサングラスには赤黒いレンズがはめてある。また彼自身を取って見ても、その体はきれいに日焼けした肌が骨格と筋肉によって張らされている。カルノゥズはあらゆる黒色と相思相愛の仲にあった。

 秘密の飛行艇が港の桟橋から出発する音……

 夜の静かに打つ波の頂を……

 胴体の底で三度タッチしてから一挙に空へ飛び発つ……

 そのシルエットを助手席側からよく確めることができた。窓枠に肘をついて見ていたカルノゥズが、その手を窓の外へ窮屈そうに動かし指で示す。

「ほら、あれみてみろよ。何か飛んでった。」

「んん? どれだよ? なんも見えねえよ。」

 くわえたタバコの火が先陣を切って助手席に突き出して来る。

「危ねえよ。」

 「へへん。でももう全然見えなくなっちゃったな。」チェリーィエは残念そうに顔をフロントガラス方向へ引き戻した。上底から下底へなだからに膨らんだ疑似台形型のバックミラーに目を動かす。フレーム内に仄かに映り込んで座っているボス・タウに問いかけた。「ボス、後ろからはなんか見えました?」

 「見えた。音が飛行機だった。」タウの口数の少なさは職業柄か生来のものか、どちらにせよ誰も気にしていない事象の究明はいつも後に回されがちである。それにしても、彼がこうして二言目まで続けて口を開くのはとても珍しいことだった。

 そんな返事を受け、チェリーィエは少しだけ嬉しくなった。彼にとってボス・タウは特段尊敬を置いている上司ではないにしろ、チェリーィエの素晴らしく外向的な性格が、普段から無口なタウに対しても等しく向けられていたおかげだった。チェリーィエのこの先80年間を記録する波形図は乱高下して真っ黒な1本の帯を描いている。

「お、ボス、飛行機好きなんですか? 音なんてよく聞こえましたねえ。」

「うん。」

「いや、音は普通に聞こえてただろ。」ここまでずっと外に目をやっていたカルノゥズがたまらず割って入る。

「いやいや、してなかったぞ。」そう証言するチェリーィエの表情は、変に力んでいない分本気なのだ。

 聞こえた、聞こえていない。聞こえた、聞こえいてない。

 そのやり取りの何度目か、カルノゥズは別に真剣に取り合う必要もないことにハッとし、再び窓の方へ首を向ける。「まあ、こん中で3分の2聞こえたってなってるからな。」

 それを聞き捨てならない男がいた。ハンドルを強く握り込んで、その口から煙と熱い息を漏らした。

「絶対、絶対聞こえなかったからっ! むしろオレは普段からぜぇーんぶ聞こえてんだ! オマエのその嫌な言い方も全部! 2人の方が聞き間違えたんだ! だいたい多数決で真偽を見定めようとかっていう浅はかな考えが、バカバカバカバカ……しいってんだよ!」

「わかったわかった。次のパーキング寄ってくれよ。ちょっと腹が減ったよ。」

「……んん、誰に向かって命令を。」

 そうは言いつつ、チェリーィエは次の分岐地点でちゃんとハンドルを切ってくれた。実は彼も自分の飲み物を切らしていて、トイレにも寄りたくなるタイミングだった。パーキングでは各々勝手に過ごした。

 3人が車に戻ってエンジンを入れると、後部座席からタウの手が伸びて来て、2人に差し出されたのは10枚入りの板ガムだった。封はすでに剥がされ、ラベルの蓋が繋がったままプラプラしている。

 あっさり醤油ラーメンを食べたカルノゥズにとっても、角煮まんを食べたチェリーィエにとっても、爽快ミントの差し入れは嬉しいものだった。2人が一枚ずつ抜き取ってから、タウもケースを手元に戻し一枚抜き取った。『……ラジオネーム、鉄拳正妻からのお便り……』3人一斉にガムを膨らます。風船は3つが同タイミングで破裂したが、誰が何を言うわけでもなくパーキングエリアを出発した──圧倒的な確率で飛び発った秘密の飛行艇が、パーキングエリア付近の防風林に墜落する微小な確率を、世界でチェリーィエの鼓膜だけが捉えていた。

「今なんかすごい音が……」

「はあ?」

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