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5.タウのつかい

 明け方にみるネット広告は何も感じなかった。人生について思い当たる節はあり過ぎて頭の処理が追い付きそうもない。すっぴんのストリーマーガールが設けた雑談枠が、こんな時間にこそ画面からブルーライトを押し退けて輝いてみえる。新参には見分けのつかない磨き抜かれた彼女の自然体からは粒が荒く、ピッチは低いが不変の愛らしさを残した声が捻出され、押し売りされた依存症だけが今の世界を回していることをこの上なく象徴していた。朝の早い時間、タウはまだぐっすり眠っていた。

 食品工場のストライプな煙突から、白く濃い煙が上り始めた。煙はエーテルを抜け、伸びた先の空で泳いでいる千切れ雲と合流し、何か用事がある訳でもないマロコは、自分の家の前の道路に無感情で立ち尽くしていた。工場から空にかけての斜めな構図の景色をぼんやりと眺めていた。マロコはどんなときも外出することのめったに無い、ニュアンスじゃない事実上のミステリアスを纏った短大生で、8月半ばに合わせた一軍の寝間着姿だった。1週間ぶりの懐かしい外気に触れ、内から湧き出てくる高揚を神経信号に換えて全身の筋肉を小さく震わせると、当たり前に衰えてしまった体の自分が、自分の足を使って自力で地面に立っているその事実さえも宇宙に投げ出されるような思いになる。だからマロコはすぐに部屋に引き戻ることにした。部屋の扉が閉まると同時に、マロコがさっきまで居た通りを原付が走り去っていくのが聞こえた。マロコの一人遊びでセーフの文言が思い浮かぶ子供心をどこかから大人がみていた。

 トゥックはスポーツタイプのヘルメットを被り、青い薄手のシャツをなびかせながら原付で走っていた。トゥックの通りかかりにある、ファミレスの看板の隅っこが、この間の暴風で穴を開けている。ファミレスは開店のさらに準備前で、イチオシ冷やし中華がプリントされたのぼり旗もまだ並んでいない。ファミレスの店長は鍵開け業務を終え、駐車場にとめた社用車のなかリクライニングで一眠りに入る。朝バイトの女の子がテキパキと清掃を進めると、時間はそれと共に早く進んだ。その日第一号のお客がすぐにやって来る。

 ミヨーは朝シフトにしては笑顔溢れるウェイトレスだった。ミヨーにかかれば、こんな朝早くからファミレスに来てコーヒーとトーストだけを注文して居座るお一人様に、いちいち疑問なんか持ったりしない。ミヨーはこの町でも最上級の器量の持ち主で、器の物さえあれば町をそっくり飲み込んでしまうほどだった。だからこそミヨーは傍からみると、単に優れた凡人としてしか扱われることがなかった。本人としてもその扱いに不満はなく、ミヨーの天真爛漫さが、今朝も店内の活気のほとんどを補ってくれていることは確固たる事実だ。社用車の店長が高所から落ちる夢をみて目を覚ます。慌てて4桁のデジタル表示を確かめると、窮屈そうに寝返りを打ってもう一度寝ようと試みた。

 平日の朝の開店直後は、ラストオーダーの後の時間帯の次に客足が遅い。一通り重要な仕事を終えすぐに手の空いたミヨーは、エプロンに隠れた内ポケットからスマホを取り出した。メッセンジャーアプリを起動し、名前がタウと題されたルームへ。

『おはよ』

『悪いんだけど朝のうちにお姉ちゃん連れてこっち来てくれない?』

 自動ドアの開く電子音が新規客の来店を知らせる。ミヨーはスマホをしまい、表に出て来ながら客に挨拶した。「いらっしゃいませー!」

 入店したのは男女二人組。タウとパジャマ姿のマロコだった。

「タウっ!? え……私、さっき送ったばっかだよね。」

 ミヨーは慌ててスマホを確認するが、送ったメッセージに既読はついていなかった。そしてたった今、目の前で既読がつけられる。マロコが力ない声で説明を入れた。

「ミヨーが毎週、私のこと頼むから、体が覚えちゃったんだって……。今日は私を連れて来る日だって……。」

「だからって早すぎでしょー。いつも来るの8時前とかじゃない。まだ7時になったばっかりよ。」

「それくらい、タウにとってはこのおつかいが、プレッシャーだったんでしょ。私も外でなきゃなの、ちょっとプレッシャーだし……。」

「タウ、なんかごめんねー。ささ、こちらへどうぞー。」

 友人とウェイターの口調を切り替えながら、タウとマロコは2人掛けソファが向き合いになったテーブル席に案内された。表面にはまだ水拭きをした跡が残っている。いの一番にメニューを広げたマロコは、一通り目を通したものの結局はお馴染みの『天界のパンケーキ クリームチーズ&ブルーベリーソース』をミヨーに頼む。

「はいはい、お姉ちゃんはいつものね。」

「で、ドリンクは……」

「アメリカンコーヒーでしょ。いつもそのセットだ。タウは何にするの?」

 見終えたマロコがメニュー表を滑らせ、ラミネート加工の摩擦音とともに180度回転しながら届いたメニューのうえをタウの指が乗っかって受け止めた。タウの指は『天界のパンケーキ クリームチーズ&ブルーベリーソース』を示していた。

「タウもお姉ちゃんと同じ?」

「うん。」

「飲み物はどうする?」

「カフェラテで。」

「カフェラテね。それじゃ、少々お待ちください。」

 ミヨーが厨房へ帰ると、テーブル席にはタウとマロコだけが残された。店内には他に、一人客が数人、眠たそうな顔でスマホをいじったり飲み物を口に付けたりしているが、テーブルごしに向き合ったまま黙り込むぎこちない二人組はタウとマロコ以外になかった。厨房から静かなホールまで、ミヨーの話し声が響いてくる。

 マロコにしてみればこの沈黙が辛くてたまらなかった。反対にタウは全く気にしていない様子だった。タウの視線は壁際の窓から、向かいのガソリンスタンドに散らばったガラス片に反射する陽光に吸い込まれている。その輝きに興味があるというよりも、動物の習性を思わせる単純な目つきだ。二人とも黙り合うあいだ、どこかのタイミングでマロコは、タウを頼りに会話を待ちに徹するのはあまり良い手ではないのだと悟った。だがそれは決して悪い手ではなかったと悟るには、緊張しいな彼女の心臓では心許なかった。

「タタ、タ、タウさんは、ゲ―ムとか、やったりします? 私はけっこうその、ソシャゲを、やってまして。い、今どき、MMORPGとかいうそのなんか平成臭、すごすぎます、よね? えっ、えっ、HTML、てて、て、手書きかよ~、みたいな。へへへ……っていうか、その、でもあの、意外とまだ現役なんですよ。同接もけっこう行くんで、ちゃんと活発なギルドに入れば全然、パーティーでも戦えますし、ていうか私、けっこうそのギルドでも上の方っていうか……あ、ごめんなさい。全然それがすごいって話をしたいんじゃなくて、単に長い時間かければレベルも上がりますしレアドロップも引きやすくなりますし、いやその、ソシャゲ、楽しいっす……。」

 そこへミヨーが二枚のトレーの上に注文の全てを乗せてテーブルを訪れる。

「二人ともお待たせしましたー。仲良しパンケーキ二枚。アメリカンがお姉ちゃん、カフェラテがタウね。それで、二人とも何喋ってたの?」

「ミ、ミヨーも一緒に食べるの?」

 さり気なくマロコの隣に体をねじ込んだミヨーの前には、これもまた二人と同じ、クリームチーズ&ブルーベリーソースのパンケーキと、パックで出したレモンティーのカップが置かれていた。

「せっかくだから一緒に焼いてもらったの。ちょうどお客さんも少ないしね。それじゃ、いただきます!」

 ミヨーに続いてタウとマロコも手を合わせ唱えた。

 ファミレスの駐車場、店長は今度こそ夢もみずに目を覚ました。いやな寝汗を袖で拭い、荷物を纏めるとエンジンを止めて涼しかった車内からダルそうに這い出る。十数歩も歩けばファミレスに入ってまた涼しくなれた。店内に客はまばら。アルバイトのミヨーが壁際のテーブル席で、その友達とパンケーキを食べている光景が目に入る。またミヨーの方も鳴った入店音には反応していた。

「コラ、何してるんだ。」

「ベッ、店長!」

「……それ食べたらすぐ仕事に戻りなさい。」

 店長はそう言い残すと、奥にある店長室を足早に目指した。マロコがテーブルの中にだけ納まるよう声を落として言った。

「あ、あの店長、絶対若者に優しくした自分に酔ってるよ……。」

「ちょっとお姉ちゃん。そんなことないから。だいたい私が悪いんだし。」

 タウも、そんなことはないという意味で何回か頷いた。このテーブルを真上から見下ろすと、パンケーキの暫定完食率は、マロコ、タウ、ミヨーの順で高かった。店長室のデスクの上の棚には防犯カメラ用のモニターが3つ並んでいた。その一つにはちょうど、あの三人のテーブルがよくみえる角度の画が映っていた。モニターの下で店長は、ガタの来たイスに背中をもたれて寝ていたが、店長室の扉がガラッと引かれた音で跳ね起きた。キッチンのサオトワだった。

「店長。自分、あがります。」

「……おお、お疲れ。」

 何事でもないと分かると店長はすぐに寝てしまう。サオトワがあがり、キッチンは次のシフトが来る30分のあいだ空だったが、同様に新しい客も来なかった。

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