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4.タウのプラン

 ぼやけたライトが連続する山道のトンネルを走っていると何かしらの発作を起こしそうになる。トンネルには、一台のタクシーを覗いて他に車の姿はなかった。その運転手は日頃から安物の揚げ物ばかりを食べた病的な太り方で、たるみの目立つ覇気のない顔には世の製図マニアたちが惚れ惚れするほど直角な鉤鼻を生やしている。タクシーの後部座席に客として乗っていた二人──タウとSFマニア無頼派のテグチ──は、別次元世界の話に花を咲かせていた。テグチは力説する。

「2次元平面の世界があるとして、さらにそこには住人がいて国だってあるとする。そこの住人たちはみんな、自分の世界を眺めるための目を持っているんだ。僕たち同じく縦に並んだ2つの、1次元光彩をね。1次元光彩に映った景色、1次元光彩が刺激された1次元パターンを、2次元脳がやっぱり2次元の映像に解釈する。僕たちが2次元の映像を3次元として解釈するのと同じだ。

 そこでもし仮に、2次元の住人を3次元世界に引っ張って来れたとしたら、この世界は彼らの目からどう見えるだろう。考えるのは難しいけど、もしも彼を3次元空間の中、いくらでも引き連れてやることができるとしたら、おそらく彼らは、その1次元光彩を使って3次元空間を見ることができると思うんだ。3次元空間というのは2次元平面をz軸方向、厚みの方向に動かした軌跡なんだ。3次元を切り刻んだ最小単位が2次元世界だ。だから2次元平面を認識できる機能さえあれば、きっと3次元空間を認識できるだろうね。たぶん、4次元世界に連れて行ったって通用するよ。3次元光彩がなくたって4次元世界を見ることができる……。」

 タウはこの話をテグチから何回か聞かされたことがあったが、回を重ねる度にテグチ本人の理解が進んでおり、むしろお互いに前回分のモヤモヤが解消されて素敵な時間だった。一方で運転手は二人の話を半端に聞き入れながら、ハイビームで照らして前方に危険がないことを確認しつつ、何やら不自然に運転席の下へ手を伸ばした。カチっと小さくボタンの押し込まれた音がして、タクシー車内にアーモンドの匂いが漂い始める。匂いは次第に強まり、最終的にタウは眠りながら相槌を打っていた。

「4次元は3次元空間に時間軸を加えたものだって説明があるよね。じゃあ平面世界に時間軸を足したものも3次元世界だ。そこで思うのは動く世界というのは、宇宙が不安定だからこその存在だってこと。世界に時間軸さえなければ宇宙は、安定・不安定もなにもまず変化しない。」

 睡眠ガスが充満してもまだ喋りつづけているテグチに、運転手は何度も振り向いて不気味がった。

「おまえ、なんで寝てねえんだよ……。」

「時間とは何だろう。物理学では時間の存在が否定されてるらしいけど、でも感覚的には確かにあるよね。信じればあるって、幽霊か神様みたいだよね。」

「頼む、大人しくしてくれよ……そのままいくら喋っててくれてもいいから……。」

「寝て起きたときの自分を自分だと証明はできないが、そうだと信じないと何もかもやっていられなくなる。」

 運転手はタクシーを走らせながらも、このイレギュラーに頭を抱えた。これまでの仕事で睡眠ガスは万能だった。彼はただ雇われただけの運び屋に過ぎない。だからこそ後部座席のSFオタクが抵抗さえしなければ、いくら喋り倒してくれても問題はなかった。ただ運び、目的地で待つ雇い主が大人しく金を払いさえしてくれればそれだけでいいのだった。

「もう一人はぐっすりだな……。」

 バックミラーに目をやるとタウの穏やかな寝顔が確認できる。


 数時間前、こうなってしまうとは知りもしない二人はテグチの家に集まっていた。PCモニターに表示された流行りのテキストエディタには、C言語初学者の拙いコードが100行書かれていた。

『bibun.c』

 テグチはファイルが入っているディレクトリでコマンドプロンプトを起動した。


>gcc bibun.c

>.\a

>x^2

before: x^2

after: 2x^1


「ほらみてよ、すごいでしょ。文字配列を地道にいじってやってるんだ。結構変な関数も作ったよ。入力された式の1乗を表示するやつとかね。'^'があるかないかの条件分岐で処理を書いてるから、1乗でもないと困るんだ。」


>.\a

>x

before: x

after: 1


「副産物として、積が1桁までの掛け算はできるんだ。」


>.\a

>2*3

before: 2*3

after: 6


「C言語だと、たとえば文字同士を計算して『'1'-'0'』ってやれば整数の1が得られる。逆に『1 + '0'』とすれば文字の'1'が得られる。初めに浮かんだやり方がこれを使う方法だったから、1文字ずつ数字を認識することになって、これだと2桁以上の計算がややこしいんだ。他にもできてないことが一杯でさ……。」

 今夜タウとテグチが集合したのは、一昨年に亡くなったアングラエンジニアの亡霊に会いに行くためだった。彼は言語すら独自なものを用い、OSのすべてを一人で創り上げてしまった伝説の人物だった。そのOSは聖書に預言された第三神殿となるよう設計されたものだった。当時彼が亡くなったのは国も違う私鉄の線路の上だったが、宇宙全体からみた座標は今夜、町の山の台地に捨てられた廃飛行場と重なって、彼の亡霊と会えるチャンスが訪れていた。

 テグチの家の前に停止したタクシーのライトが、部屋に飛び込んで来たのが分かった。今日のために張り切ったテグチがタクシーを予約していたのだった。

「タウ、時間だよ。急がなくちゃ。」

 テグチはヘリウム風船みたく楽し気にタウの手を引いて玄関を飛び出した。


 タクシー車内は充満した甘ったるい香りに慣れを覚えつつあった。運転手の用意していた睡眠ガスが底を尽き、あとは窓の隙間からガスが微妙に漏れ出ていくだけだった。今回取引する場所として選ばれた廃飛行場まで、上り坂の山道を1.5周回ほどだった。

「……。」「……。」

 さすがのテグチも、タウの方に膝を伸ばす悪い寝相で眠ってしまっていた。

 廃飛行場は影ばかりに覆われ、ハイビームを点けて敷地に入ったタクシーによって全貌が明らかとなった。荒れた背の低い林に囲われた広い砂地に、飛行機用に大口を開けた残骸が佇んでいた。さらに今夜は宇宙座標がアングラエンジニアの死と重なっていた。その冷えた場の空気を肌に触れているだけで、並みの胆力の持ち主ではすぐに引き返してしまうほどだが、少し奥まったところの林を抉った砂地の腹部には、先客として来ていた別の車のエンジン音が微かに響いていた。数人の男がタクシーまで歩いて来る。

「……!」「……!」

 異国語で言われても、タクシー運転手はジェスチャーと前提を頼りに、さっさと身柄を渡せということだと理解した。運転手はその男たちを引き連れてタクシーの後部扉を開いた。そこにはしっかりとタウとテグチの姿があった。男たちは、横たわる二人の脚を掴んで引っ張り出し俵のように担ぎ込んで、4つ目のライトを灯して始動し始めた小型飛行機までタウとテグチを運んだ。運び屋の仕事を終えた運転手の足下に、闇から、重たい安全ケースが投げ渡された。彼はそのケースに跳びついて閉じられたストッパーを外した。ケースには十分な中身が詰まっていることを確認すると、喜びを隠しきれない口角を運転席まで持ち帰り、意気揚々とアクセルを踏みつけUターンして山を駆け下りていった。

 いまだに眠り続けているタウとテグチを後ろに乗せた小型飛行機は、すでに滑走路で助走をつける段階に入っていた。羽が空を切ってスピードを上げ、三輪タイヤが前一輪から順に地面を蹴って離れ、海を渡り、飛行機の着陸した暑苦しい国で、タウとテグチは奴隷として5年間働かされた。

 じきに言葉が通じるようになるとタウとテグチのことを理解してもらえるようになり、テグチは政府のデータベース管理者として、タウは絶対に口を割らないスパイとして働くようになった。各部門に登用されてからさらに5年が経った頃、その国の中枢地区が、宇宙座標から見てあの日の廃飛行場付近と重なった。タウはちょうどスパイ仕事で遠くの国に侵入していたのでチャンスを失ったが、この日もいつも通り出勤していたテグチは、菓子パン自販機とパロディ風味な松の盆栽が立ち並ぶ水玉模様の廊下で、宙に漂いブートするOSの幽霊をみてしまった。それからテグチはしばらく精神安定室のベッドで介抱されることとなるが、言い換えればこの長期間の休息を機に、自分の部屋に持ち込んだノートPCがあればいくらだって、汚くて失敗だらけのプログラムコードを書くことが許されたのだった。それは仕事上では避けるべきアマチュア時代の贅沢な遊びだった。そう遠くない内に、無事にタウが任務から帰還すると、テグチは作業中のPCを閉じた。他の誰が話し相手のときにもみせない饒舌な母国語で、独自のSF話を繰り広げていた。

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