21.タウのダメなやつ
昼の空、陽は近い。涼しい格好をした兄妹か姉弟が、貸しビルの取っ払われた空地の砂に尻を着けて喋っていた。
緩いタンクトップに肌はよく灼けている。
「お金なーい。」
「……それやめろよ。」
「お金なーい。」
男の方は布製のクタクタ帽子を被り、暑さで頭がのぼせていた。必要以上の口を利こうとしなかった。
「私の文句が金になるまで続けてやるんだから!」
「……やめろよ。」
「あら私、女よ。何があるか分からないわ。」
「少女性逞しいやつ……。」
「お金なー……あっ、あれ見てっ。」
マーリーの指は弾む声と共に、狭い路地の隙間から覗く一人の男に向かって飛び出した。
「弱そう! 困ってる! 荷物いっぱい! 旅行者よ! あの人を連れ去って少しばかり旅費を恵んでもらいましょう!」
茶色の目を金に輝かせ、隣を見やる。
「いい考えでしょう? ビブリー?」
「お前さあ、経験あるわけ?」
彼女の提案にビブリーは疑いの目を向けて言った。
「拉致しようたって、そんな簡単なことじゃないんだ。お前と俺との2人だけじゃ、いくら軟弱な相手でも必死のパワーに弾き返されちゃうよ。」
「なによ! ビブリーの腕っぷしならあれくらい、ひょいって楽勝肩に担げるでしょ! あと、私は見張り役っ。」
「無茶苦茶言わないでくれよ。」
「ささ、いくよ!」
2人は物陰に隠れ、位置に着いた。ターゲットは信号機の前につっ立ったまま。
マーリーは筒にした手を口に被せた。
「……いい? 私が合図をしたらビブリーがあの人にダッシュアタック。ね?」
「マジでやんの?」
「シーッ、声がでかい……連れ帰る場所はいつものとこ。私は先に帰って待ってるから。」
「おい待てよ。お前見張りすらしないのかよ。」
「頑張って! ゴーゴー!!」
ビブリーの背中を押し出し、自分は一目散に逃げだすマーリー。
押し出されたビブリーは、少なくはない人目を浴びて立ち尽くした。
「……やるだけやるかな。」
ビブリーはまず相手を見定めした。マーリーも言っていたが、間近で確かめると彼のひ弱さにはより一層の磨きがかかった。タコ糸を付けて引っ張れば空に浮かび上がりそうだ。たった一人の人員で拉致を敢行したとしても十分に勝算はあるのかもしれない。しかし取れる安全策を取っておくに越したことはない。
ビブリーは小走りに近づいて声をかけた。
「すみません、向こうで僕の友達が大変で。助けてもらえませんか?」
「うん。」
「ありがとうございます。こっちです。」
事はとんとん拍子のBPMを上げて運んだ。キャリーケースを転がす音。マーリーが待つ車へと急いだ。
マーリーは路地裏に眠る、廃車の運転席で待っていた。ここはまだ発見から数度しか寝泊りに使用していない、生活臭も定着していない真新しい隠れ家だった。
割れたビー玉を指の間で回しながら、「遅いなあ」と陽光に透かし眺めていた。
外からドアを叩き付ける音が響いた。窓にはビブリーと荷物を持ったもう一人の姿があった。
「戻った。」
「やるじゃん!」
マーリーはビー玉を捨てて外に飛び出した。
「じゃあその人は腕縛って後ろの座席に放り込んじゃって。」
「何か縛るものある?」
「これはどう?」
その辺に打ち捨てられていた漁網をビブリーに渡す。
「頑丈さはあり過ぎるというくらいだな。」
漁網は長いというより広く、畳んで紐のようにしてやっと男の腕を縛り上げることができた。
「ねえ。それだと結び目がブカブカになって逃げられちゃうんじゃない?。」
「大丈夫だろ。証拠にほら、抵抗する気配すらないぜ。」
「それもそうね。」
後部シートに男を放り込んだ。
「さてさて、あとは鞄を開けるだけね!」
ビブリーはドアに入りきらない男の足を必死に押し込んでいた。膝の関節は意外なほどバネのような伸縮で内からはみ出した。
それをよそにマーリーはキャリーケースの留め具を外しにかかった。施錠は付けられておらずあっさりと蓋が持ち上がった。
「な、なによこれー!!」
と同時にうまくドアの閉まった音がした。ビブリーは背後からキャリーケースの中を覗き込み、噴き出した。
「ふふははっ。なんだこれ。」
「リンゴにバナナ、パイナップル……ぎっしり。」
「すげえ良い香りだ。ここまで漂ってくる。」
マーリーはリンゴを一つ手に取った。ツヤツヤの表面を撫でまわしたくなる。
「**ガブブッ**……美味しい。これ本物よ。」
ビブリーはバナナを選び取り、皮を剥いて食べた。
「**ハユハユ**……ああ、このバナナもめちゃくちゃ美味いよ。」
「**ガブブッ**……ほんと、果物なんてずっと食べてなかったわ。**ガブブッ**」
「急に食べるフルーツってここまで美味いものなんだな。**ハユハユ**」
マーリーはリンゴを食べ終え、口周りの果汁を舐め取った。
「ねえ、何か刃物持ってる?」
「ん? 一応ある。」
ビブリーは常時携帯しているカッターナイフを渡す。
「まさかそのパイナップル食べるつもり?」
「もちろん! 果物は食べなきゃ腐っちゃうんだから! とっても甘いから!」
「じゃあ俺、パイナップル抑えてるよ。」
一度キャリーケースの蓋を下ろし、まな板代わりにパイナップルを置いた。横からビブリーが挟み込み、上からマーリーが刃を差し込む。果物に対してカッターの刃があまりにも脆いせいで、押し込む肩の力と軸をブラさない集中力を要した。
「全然切れないよーっ……。」
「ちょっとずつ上下にスライスしようと動かしてみろ。」
「わ、わかった。」
言われた通りにカッターを振動させていると、多少だが手応えに変化があった。さらに続けることでカッターの刃はパイナップルを貫通し、キャリーケースの蓋に到達した。
「入ったみたい!」
一太刀入らば一刀両断。勢いに任せれば、ネズミ程度なら容易に気絶するトロピカルで甘ったるい香りが切り口から噴出し、作業にのめり込むうちに接近していたマーリーとビブリーの顔にしぶきをかけた。
「きゃっ、甘ーい!」
「これもかなり美味そうだな。」
2人は真っ二つにしたパイナップルをそれぞれ腕に抱え、早速とかぶり付く。
まさにその時、マーリーが急激に思い出した。
「違うじゃない!!」
「**ジュルジュル**……ん? 何が? **ジュルジュル**」
「そもそも私たちは金目の物を望んでたんでしょうが! 本来ならキャリーケースには現金とかそれなりのものが入っていなくちゃならなかったのにっ。」
「んん、**ジュルジュル**……だね。」
「なのにどうして私たちはのんびり果物なんて食べてる訳!?」
ビブリーは口から零れる果汁をパイナップルの殻で受け止め、そのままその殻でマーリーのことを指し示した。
「お前が最初に食べ始めたんだぞ。」
「お腹減ってましたからねぇ! 私が言っているのは食欲にかまけて、一番大事なことを忘れてるんじゃないかってことっ。」
そう言って十数年履きのハイカット・スニーカーでキャリーケースを小突く。
「もうっ。それにしても、どうしてこんなに大量の果物を運んでいたのかしら。あの人は。」
「青果店の人なんじゃない?」
「この辺の人じゃない。目の色も肌の色も違ったわ。」
「じゃあ、外国から来た貿易関係の人?」
マーリーは少し考えるが、結局ビブリーに目をやった。
「ちょっとビブリー。車に戻ってポケットの中とか探って来てよ。財布は手元にあるのかも。」
「自分でやれよ。**ジュルジュル**」
「ええっ! 急に暴れたりされたら怖いわっ……。」
「はあ、仕方ない。」
ビブリーは食べかけのパイナップルを置き、後部シートのドアを開けた。あちこち服を検査するが、獲物の感触は見つからない。呼吸で胸がゆっくりと上下する以外ではぴくりとも動く様子さえ見せなかった。
「どう? 何か持ってた?」
「全然、何もないよ。」
「ええ? じゃあ何。もしかしてアレってこと? 何て言うんだっけ? ほらアレよアレ。あの……不法滞在?」
「ああ、不法滞在だろ。分かるよ。それかもな。」
どうやら信頼できてしまう予想にマーリーは呆れ果て、びしょ濡れのキャリーケースの蓋の上に座り込んだ。
「うわあ! もう最悪よ……。」
「でもさ、法律のことはよく分からないけど、俺たちのやった拉致とそれでうまく相殺になるんじゃないか? 少なくとも現実的にいけば。」
「うーん、でも結局収穫はなしよ?」
「何言ってんだよ、」
ビブリーは言うと、再びキャリーケースを開けて中身を見せつけた。密閉空間で充填していた香りが一斉に開け放たれると、第二波となって鼻腔の奥にまで押し寄せた。
「大量じゃないか。」
「それもそうね。美味しいもんね。」
マーリーは気を改める。
「食べよか!」
**ガブブッ** **ハユハユ** **ジュルジュル**
廃車からは、睡眠や抵抗といった気配はおろか、根本となる意思の一つさえ狼煙を上げなかったから、2人は気にかけることなく満足行くまで食べることができた。様々な咀嚼音は辺りが夜に包まれるまで響いた。




