20.タウの路上
『宇宙帝王ホーヴァクラ氏 世界各地の女性らと同時多発的同衾を達成
ついに時空を超越か』
「チッ……」嫌いな名前を見かけると舌打ちを打つ他にやりようがなくなる。「強者は人を助けるもんだぜ。ったく……」
ヴォッチの髪は気怠く長く、目の前の廃品ボックスに集中するあまり前傾に垂れ下がっていた。腕の汚れていない部分で横に払う。零れた息は白い。とっくに薄っぺらいダウンジャケットの下、冬の発汗には死ぬまで納得がいかない。暗い路地裏にまで届いたわずかな量の光を、ゴーグルのカラーレンズが鋭角に弾き返した。
再度、腕をボックスの中へ戻す。ガサゴソと入れ、食べ物を守るあらゆるプラスチックの感触を、中身がある確かな重みをまさぐった。それを引き抜いた。
廃品の底から出てきたのは、まだ封も破られていない新品の菓子パンだった。
「大当たりだ……! おいタウ、これ持っとけ。」
ヴォッチは指示すると先を見ることもせず、菓子パンを背後のタウに投げ渡した。それをタウは木の枝の小鳥でも捕まえるみたいに優しくキャッチする。
タウが見守る、薄暗いヴォッチの後ろ姿。ゴミを掘り返す手捌きは連続して寸前を凌駕し、いくらでも加速を重ねた。
電撃を食らったように停止した。
「今度は何かの弁当の容器……相変わらず紅い漬物はみんな捨ててくれる! おいタウ!」
ヴォッチは弁当の箱を投げた。ほとんど中身の入っていない容器は身軽に回転をし、宙を山なりに飛び、タウの手元の菓子パンを受け持つトレイの位置に滑り込んだ。
ヴォッチが振り返った。
「今日はツイてたな。さあタウ。持って帰れ。」
「うん。」
「落とすんじゃねえぞ。」
「うん。」
ヴォッチの寝床は町の役所からほど近い、人目の付かない暗がりにひっそり佇む、ツヤツヤした防水加工済段ボールと汎用ブルーシート製の代物だった。加えてキャンプ使いのペグとロープで留める頑丈な設計がなされている。しかしその設計理念とは裏腹に、もうしばらくしたらこの場所から離れよう、そんな考えがヴォッチの頭の中を漂流していた。というのも近頃、周辺の治安が悪化していた。自分のこういう暮らし方が原因の一端を担っているであろうことも、大人しく理解していた。
遅れて到着したタウは調達品を寝床の中には運ばず、寒空の下におろした。
ヴォッチは置かれた調達品のすぐ側で焼酎の瓶を開け、電気ランタンの明かりで一足先に飲み始めていた。
片づけを済ませたタウが隣に座った。ヴォッチに焼酎を注いでもらった。「ありがとう」と淡泊にこぼす。
ヴォッチはゴーグルを額に外した。ゴム跡の真ん中に瞳。「タウ。お前に伝えておきたいことがある」と切り出す。
「悪いが、オレは気付いてんだ。オレはお前のことなんか本当は知らねえ。知らないってのは……オレはずっと過去に、天涯孤独を貫こうと決めたんだ。理由は聞くな。話したくなる。オレはあの時した決心を曲げなかったおかげで、今はこうしてゴミ箱を漁って食い繋ぐ生活に馴染んでいる。貧困はあくまで方法であって、オレ自身が採択したんだ。そんな強い意思のもと孤独であろうとするオレに、お前みたいな身寄りがいる訳がないんだ。新しくつくろうなんて気もさらさらない。オレは初志貫徹の精神で、決して中途半端なところでは怖気づくことができない身体に作り変えたあとの生物なんだ。だからオレにとってはお前の存在が意味不明で仕方ない。お前は誰なんだ。一体誰だったらオレの辻妻が合うんだ。」
「うーん……。」タウが見せてくれる反応は全て焼酎でぼやけた。
「いや、分かっている。お前は、オレの唯一の……友。事実として認めよう。この感覚は本物だよ。お前と過ごした数々の記憶だって、すぐに引っ張り出して来れる箇所に位置している。お前の存在が現実にも感覚にも響く。だがな、不可解は不可解なんだ。オレの過去と意思が、お前と酒を飲んでいるこの現状を頑なに拒絶している。なあタウ。そのまま何も言わずに聞いていて欲しい。今、オレの中で何かが壊滅的な間違いを起こしているみたいだ。ついに意思の強靭さのあまり記憶か認知を歪めちまったか。狂っちまったのかもしれない。」
「……うーん。」
タウの返事は単に唸ったのと区別がつかなかった。
ヴォッチは上昇していく思考の熱を、冬の空気が冷ましてくれる心地にしばらく黙っていた。また口を開いた。
「どうも駄目だな。アルコールなんか入れてじっくりやってると全部マジに捉えて仕方ない。」
ヴォッチは手元の焼酎を一気に飲み干した。
「ちょっとその辺でも歩こう。」
と言って額からゴーグルを目に戻し、タウを縄張りから連れ出した。
すっかり酔ったタウは自力で立ち上がることも歩くことも辛うじて可能だった。「うーん……。」
日課の食料調達を終えて日が暮れて夜になり、微量の酒を摂ったあとの町は冬の空の下に色褪せて見えた。この小国の王位に君臨するホーヴァクラが何の冗談でもなく宇宙帝王の座に着いてから五年が経過した。すると国の中枢からかけ離れていたこの町でさえ冗談のような様変わりをしてみせた。人が増え、明かりが増え、建物が増えた。浮浪者ヴォッチの視点に立つとそんなガワの変化だけに留まる。ビジネスの煽動を受けて浮足立つ町の人々から置いてきぼりを食らい、どうしようもなく苛立つ日々が増えていった。ヴォッチにとってホーヴァクラは邪魔や目障りとは到底呼ぶことも敵わない遥か彼方の存在ではあったが、メディアやゴシップを見聞きしてその姿が頭にチラつくと急に動物のような一発を見舞いたくなる筆頭の人物だった。
ヴォッチの心は、一日中イライラしていたがそれは表面上では読み取りが困難だった。隠密の振る舞いに長け、自覚もないほど奥深くに仕舞い込んでいるかのようだった。
ヴォッチは垣間見える真剣さに白けるみたいな言い方をした。
「やっぱりお前の存在は辻褄が合わない。」
「……うーん。」
「でもそれで良いと思うことにしたよ。お前は突然現れて、突然オレの記憶に介入したんだ。悪魔みたいに奇妙だが。」
「うーん……。」
「今度重要になるのはお前自身が悪魔なのか、悪魔の手先なのかってところだな。」
ヴォッチとタウの擦れ擦れを陽灼けた一団が通り過ぎた。無条件に道を退かされる。彼らの煌めき以外眼中に無いというような態度はそれ自体が一つの煌めきだった。
「前見えてんのか! 危ねえだろ!」
ヴォッチが奴らの背中に叫ぶが、反応はなかった。同一方向へ光の中に消えて行く。そこから大量の人々が排出される。
「どうしようもない奴らだ。」ヴォッチは吐き捨てるように言った。
「……うーん。」
タウは路上に立ったまま眠ってしまった。
タウの体は緊張が走るほど軽かった。それでも人混みのなか肩を支えて帰るには時間を要した。暗い寝床の中に寝かせ、相変わらず穏やかに眠り続けるタウの姿をわずかな外光を頼りに眺めた。まだ子供のように見える。タウは寝姿でさえ素直で従順な危うさを発している。ヴォッチは背中の寝床の戸を下ろし、暗い中にじり寄り、タウの体に手を当てて慎重に弄る。温かい。多少柔らかい。明確な意図を持って同性の体に触れることには嫌悪感が混じるが、確かな興奮が付き纏った。股間が滾る。タウの方は目を覚ます気配もなかった。
背後のボール紙製の戸が独りでに持ち上がった。外光が中の闇に飛び込む。ヴォッチは手を引き離し、
「だ、誰だ! 人が来るところじゃないぞ!」
と慌てて振り返った。
天上に隠れて相手の顔は見えなかった。若い男の声がした。
「邪魔して悪い。そこに女いる?」
「女だ? いるわけないだろう。どこだと思ってるんだ。」
男が地面にしゃがみ込み、寝床の中を覗いた。
「そこに寝てるのは?」
「友人だよ。男のな。」
「そう。」
「だからお前には関係ない。」
そう言い放ち、沈黙。
間を接ぐヴォッチの「帰ってくれ」という文句が出かかったのを男が先制し止めた。饒舌に語りだした。
「でも、たまにいるんだよ。ちょうどそこに寝てる彼みたいにさ、素直が過ぎて現実を歪ませるほどの。然るべき人間に命じられれば自力で体を膨らませたり色を変えたり。形態変化や性転換くらい容易にこなしてくれるだろうね。そいつマトモじゃないよ。」
「何の話だ、変態野郎。」
内側でヴォッチは膝を小刻みに揺らした。
「変態って、」男はヴォッチの態度をあざ笑う。「これは特別な事態だ。まあアンタじゃその程度の言葉しか持ち合わせちゃいないだろうがね。」
ヴォッチは顔色一つ変えず聞いている。
「アンタたちホームレスって、一日中最下層から物を眺めてるだけで世界の全てを知った気になれるんだろ。クソ山の哲学を覚えてハイになる以外やることがなかったんだ。」
ヴォッチは段ボールを這い出た。男を見下ろした。
「お前は何しに来たんだ。用が無いんなら今すぐ消えろ。」
男が白く巨大な溜息をつく。
「理解の基盤を穢ればかりで固めるからそうなる。意気地ない退屈な生物だな。」
瞬間、男の肩にはすでにタウの体が担がれていた。
次の瞬間にはヴォッチの前から姿を消していた。
ヴォッチはたった今目の前で起きたどの出来事にも追いつくことができなかった。寝床を確認しに戻る。タウはいなくなっていた。手を這わすと体温はまだ残っていた。再び寝床から抜け出す。目に付いた焼酎瓶を掴み取り、呷った。舌を通過する焼酎は甘く現実的な味がした。タウの存在に納得をつけた。




