2.タウのパーティー
雲のまばらな夜の空を、ヘリコプターが静かに飛んで都心に向かっている。ヘリコプターの腹から伸びた2本の鋼鉄ワイヤーは不安定にぶら下がったコンテナはバランスを崩し、鉤から外れ落ちて行ってしまった。ヘリの操縦士はまったく気づいていない。彼は今の仕事に心から満足していた。呑気に目的地へと向かって、無いコンテナを空輸し、本来であればコンテナにしまわれていた巨大な真四角の氷は、向こうの予定地に運び出されて深夜0時に盛大な花火が打ちあがるとともに、20人のボディビルコンテスト入賞者たちが振り上げたゴルフクラブによって表面を打ち砕かれ、空気を含んだ氷塊内部のマトリョーシカ構造が、都心の中心部にて一瞬で、氷のパーティー会場となって姿を現すはずだった。しかし実際に起きたことといえば、回転しながら落下するコンテナの扉が開いて投げ出された氷は、真下にあった町の広大な敷地をもつ月極駐車場に落下。アスファルトに落下した際の衝撃はマッチョが構えたゴルフクラブ20本と同等の衝撃であり、急遽、氷のパーティーはその町で開かれることになったのだった。それからは、町の噂は回るのが早い。
氷の中には、酒やソフトドリンクやおつまみ、DJブースとスケートリンク、たくさんの氷製机と氷製革張イス、客の目を楽しませる様々な氷像、あらゆる接客を担当する複数台のロボット店員などがあらかじめ備えつけられていた。床には、客とロボット店員が足下に特別な対策をしなくてもスリップを起こさないように、一面にふかふかの雪を敷き詰めてあり、会場内は肌寒いので何かしら上着を持って来て! という口コミと家族メッセージが飛び交った。誰かが会場内でタバコを吸おうものなら、天井からピンポイントに大粒の滴が垂れてきてまずライターの火を消された。
「おまえら見ろよ。すげえリアルなワニだぜ。」
3人の年齢のバラバラな子供たちが騒いでいるのは、森の沼から這い出た大ワニの氷像だった。大口の鋭い牙を見せてパーティーを脅かしている。
「お前、口に手入れてみろよ。」
「やだよー食べられちゃうよー。」
「ザコどもめ! ほらオレなんて一本牙折っちゃった。」
「あーいけないんだー。」
牙をへし折った子はその氷の破片を口に入れてポリポリ。
「うわーきたなーい……」
タダ酒と聞いて駆けつけない訳にはいかなかった年金同盟の老人たちが、革張の氷ソファに座り込んだまま全く動く気配を見せない。そこへステンレス製のトレーを抱えた三輪ロボットが雪にレール跡をつけて到着。ロボットも含め誰一人として声を発さず頼んだグラスを手元に、空になったトレーを持って三輪ロボットはカウンターに帰って行き、老人たちは静寂を纏いつつ洋酒をグイと飲んで熱い喉に冷えた風を一呼吸。
「……。」「……。」「……。」「……。」
集まってこんなことしてるの婆さんたちには内緒だ。口元に銀歯が輝く。
「……。」
タウは眠い目を擦りながら凍結混じりのジントニックをちびちび啜っている。もうとっくに寝ていたところをパーティーへ行くとハネコに叩き起こされたのだった。
「ちょっとタウ、まだ眠いっての。しっかりしてよ。」
「んー……。」
「ギャハハハハ。」
マモリのなんでも盛大に笑う癖が、今夜この場所においてはすっかり馴染んでしまっていた。三角錐のレーザーホロとDJロボのパフォーマンスに巻き込まれたスケートリンク周辺は比較的若い層のテリトリーで騒がしかったが、それでもやっぱりタウは眠い。マモリはあらゆることをきっかけにデカい笑い声を何度も吹き返している。この時間を正当に楽しむつもりなのは3人の中ではハネコだけだったが、ハネコであっても一緒に来た仲間を完全には無視できるものじゃない。自分のグラスが空になったハネコは、後ろの氷の柵から体重を離して言った。
「私お酒取ってくるけど、タウとマモは何がいい。」
「ジントニック。同じやつ。」
「アヘヘ、ヘヘ……本物ビール……フフフ……。」
「うい。二人とも勝手にどっかいかないでよ?」
ハネコが地元をぎゅっとした人混みに消えて行く。
「アハハハハ、アハ、アハハ……ハ、ハ、タウ。フフフ、タウ、たすけ、アッハハッハ。」
酸欠で目が虚ろになったマモリがタウに向かって倒れ、それを受け止めたタウはマモリを支えながらゆっくり地面にしゃがみ込んだ。膝と胸を使ってマモリの体を預かり、伸縮の早い背中をほぐすように手で撫でてやった。するとマモリは鼻をすすりながら泣き始めた。
「う~、くるしいよ~……もうやだよ~……。」
タウは言葉なくマモリの背中を撫で続けた。
ハネコが3人のグラスを持って戻る頃にはマモリが落ち着きを取り戻していた。しかし明らかに様子の違うマモリのことをみるなりハネコは自分のいない間に起こった全てを察した。
「タウ、マモリ大丈夫だった? これ、タウのやつね。」
「うん。大丈夫。ありがと。」
当のマモリは雪のうえにお尻をつけて体育座り。顔つきは涙も笑いも引っ込んだばかりの赤みがかった無表情だった。
「……。」
「はい、これマモのー。あーもー、これじゃあ2人とも無口で私の話し相手いないじゃん!」
不貞腐れるハネコ。タウとマモリは受け取ったお酒を口に流し入れて、知らねとばかりにハネコのことを丸い目で見つめている。
「マモリはともかくとしてさあ、こうなったらタウはもうお酒没収でいいね。アンタお酒飲むとマジで喋んなくなるかんね。お願いだから現状維持で頼むよ。」
「えー。」
「えーってなによ。もっとこう、なんかいい返しなさいよ。」
「うーん……。」
「……。」
「はーあ。」
DJの方から飛んできたレーザー光線が氷の柵に乱反射して、3人とも目を眩まされた。なんだかんだと3人で少しはスケートリンクで滑ったりしたが、みんな不得意だと分かっただけですぐにやめた。他のもっと上手に滑るグループを鑑賞したり音楽に知ってる知らないを当てはめたりして、あとは代わり番でカウンターからお酒を持って来て飲んでいるだけでも決して悪くはなかった。ハネコの言っていた話し相手の問題は、そもそもハネコは自分がついた悪態から会話を切り開くことに長けていたので、腑抜けてしまったタウとマモリでも順に贄を差し出してやることで、3人の間で話が尽きることはなかった。
ハネコがついに、寄りかかっていた氷の柵を破壊してすっ転んだ頃、マモリも健全な笑みを取り戻して、会場内に初めて、男の機械音声によるアナウンスが響き渡った。それに合わせてDJブースの動きも止まったので、まず騒いでいた集団から静まり返った。
『本日はご来場いただきありがとうございました。こちらの氷の会場は日の出とともに消滅します。予定されている日の出時間まで残り30分です。各自でご帰宅の準備を進めるよう、よろしくお願いいたします。』
再開の合図もなくDJブースが光線と音楽を取り戻し、それを発信源としてアナウンスが終了したことが周知されていった。みんな割と素直に従い、帰りの支度をしてから適度にラストオーダーを楽しんだ。
備蓄されたドリンクも切れて、そこら中の氷が歪んだり崩れたりしてきたころ、再度あのアナウンスが入った。
『本日はありがとうございました。日の出はもう間もなくです。会場から避難を開始していただくようお願いいたします。』
今度はDJブースも再開しなかった。再会がないことでもう本当にパーティーは終わりだということがはっきりし、みんなくっちゃべりながらも列を成して氷の会場から退場していく。ずっと走り回っていた子供たちやその子供と一緒に来た親なんかは、溶けて床に溜まった水の跳ね返りで服がびしょ濡れ、終わりの時間になって急に疲労が押し寄せてきたような様子だった。会場を後にする長蛇の列の、後ろの方に並んでいた人たちは、各位置でロボット店員の異変を目撃した。この一夜の仕事を終えたロボットたちが、内側で排熱ファンの激しい作動音を鳴らし立ち尽くしていたのだ。
ちょうど全員が外に出てくるとタイミング見計らったかのように、部分的には崩壊しつつも辛うじて原型を留めていた氷のパーティー会場は、中から強力な熱風を繰り出したあと一瞬にして気化した。そこへ東の空から顔を出した太陽が、パーティーの水たまりの上に大きな虹を照らし出す。眩しい霧の奥には、空の瓶や缶やステンレスのトレーやレコードやレーザー装置やイスに張ってあった革や、腕やタイヤの弾け飛んだロボットの残骸が横たわっていた。
「ねえハネコ、タウ。ヘヘ、もう帰ろ……ここに居たら警察に掃除しろって、フフフ、怒られちゃうよ……アハハハ。」
この結末に立ち会った全員の思惑は同じ。あとの祭りに駆け付けた警察官と消防士は、装備品とバッジを身に着けた大掛かりな清掃部隊だった。