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17.タウのお尋ね者(前編)

 ジャンゴロウはまるで、遠い過去か宇宙から発せられた伝言でも受け取ったみたいだった。彼は数カ月ぶりにソファから身体を起こしたかと思うと地面の感覚がまだ懐かしいはずのその足でガレージまで直行。埃っぽい薄暗がりで同様に眠りに就いていたマイ・オープンカー『ハンマーヘッドシャーク』に跳び乗れば、待ってましたと言わんばかりにガタガタ音を立て上がりはじめる鋼製シャッターは電動制御が施されている。キーを挿して回して活気あふれる各種メーター、紅色の火を吹くエンジン、アクセルは危険なほど軽い。陰気なガレージを抜けてなだらかな黄土色砂漠へ。

 この辺りはかつて連続殺人鬼の最後の隠れ家だった。長い間ほとんど誰も通りかかる者はなく、貴重な税金をもって敷かれた国道でさえ自然と砂のベールに覆い隠され忘れられてしまう。フロントガラス越しジャンゴロウの目に映る、わずかな記憶を頼りに浮かび上がった道路の白線は柔らかな閃きを纏っていた。この星が球形に丸みを帯びていることを明らかにしてみせるそのどこまでも伸びた白線の曲線を追いかける。その結末には直感(インスパイア)、巨大な黄金郷を目掛けてジャンゴロウは奔走した。

 予想では永遠まで掛かると思われていた旅路は、ものの1時間でとある郊外の町を手繰り寄せた。欲しい物があれば複合商業施設に行くかそれとアンチの姿勢を取るかで大抵事足りてしまう何の変哲もないこの町に一体、何があるというのか。彼の求めるものが本当にこの町にはあるのか。その疑念はとうとう当人の心にまで到達する。ジャンゴロウは今一度自分の胸に手を当て、あの感覚を呼び起こそうとしてみた。だが、この旅唯一の指針である今朝の直感(インスパイア)は、爽快な砂漠のドライブにかまけるあまり今にも消えそうなほど冷めてしまっていた。ジャンゴロウは一度車から降りると、後部座席に積んであった十ある袋のうち一つを持ってすぐ近くの質屋に駆け込んだ。

 **ドゴガーン!** 落石でも訪れたみたいな扉の音に質屋の年配店主は心臓が跳ね起きた。そのシワシワ干し柿みたいな肺で息を整える暇も与えられることなく、ジャンゴロウは肩に担いだ袋を店主の前でひっくり返してみせる。果たしてその袋の中身とは、五十年の間ずっと退屈に人生を支配され続けていたこの年配店主が突然悲鳴を上げながら、テキパキと仕事に精を出しはじめてしまう絶世の珍品だった。

「ウギャー! こ、これくらいになりますよ旦那ウギャー!」

 目まぐるしく手渡される札束札束! ジャンゴロウはポケットに入り切らない分を自分の着ているシャツの下に詰め込んだ。それでも入りきらない分はズボンの下に詰め込んだ。ズボンの裾から零れたお札が一枚、また一枚と彼の足跡を刻む。刻み終えてはヒューヒュー吹かれて旅に出る。

「毎度でございますー!」

 年配店主は自分担当の死神からすっかり元気を取り返したようだった。

 服のボタンの隙間からはみ出す大金で松ぼっくりみたいになったジャンゴロウは次に、その辺を歩いていた美しいスタイルのギャルに目を付けた。晴れた日によく似合うエロ涼しい服装、老若男女手あたり次第挑発して突き進む強い目張り。そんな佇まい眩しいギャルがジャンゴロウのすぐ側を通り過ぎようとしたその時だった。よく手入れのされた肌が露出したその細い腕にジャンゴロウが掴みかかった。

「おい女。俺に付き合え。」

「な、なんだよ! 離せよ!」

 そう叫びながらジャンゴロウの手を振り払うと、彼女は歯を立てる勢いですぐ隣のタウの体にしがみ付き、怒りに任せて無礼者ジャンゴロウを睨み返した。

「アタシらデート中!」

 隣でタウが頷く。「うん。」

「そうか。間が悪いか。だが俺に付き合え。」

 ジャンゴロウはもう一度彼女の腕を掴むと、今度は初めから無理矢理引っぺがそうとその剛腕を振るった。彼女も何とか離すまいとタウを持つ手に力を込めたが全く及ばず引き離される。この争いの煽りを受けたタウは高速で三回転してガムみたくその場に潰れてしまった。

「しっかりしてよ! ダーリン!」

 駆け寄ろうとしてもそれを許さないジャンゴロウ。

「いいから来い。」

「こら、離せっ……。」

 必至の抵抗も虚しくジャンゴロウの太い腕にズルズルと引きずられて行く。何をしても怪力には敵わないのだと分かると彼女は潔く抵抗を諦め、早くも交渉に移るべくジャンゴロウと会話を試みる。

「ねえ、どっか付き合えばいいの? それが終わったらもう放っておいてくれる?」

「何が食べたい。いってみろ。」

「まず約束して。アンタのそれに付き合ったらおしまい。それでいい?」

 サチは腹に這い回る恐怖も苛立ちも制してまず冷静に言質を取ろうとした。だが肝心のジャンゴロウからの返答は質問に別の質問をぶつけてくる有様。

「答えろ、女。食べたい物はあるのかと聞いている。」

 「話聞けよっ」埒が明かないと踏んだ彼女は一旦こちらの用件は後に回すこととし、だがせめてもの注文を付ける。「その女っていうのはやめて。」

 「なんだ。」ジャンゴロウの表情は硬く動かない。「俺はお前の名前を知らない。だから女だ。」

「あっそ。じゃあ……ナーコ。」

「ナーコ……それがお前の名前か。女よ。」

 もちろんナーコなんてデタラメな名前だ。彼女の本名はサチ。学生時代のあだ名はサッチ、サッちょん、薩長同盟など。好きな食べ物はトルティーヤ。

「はーい。ナーコですよーっ。」サチは言葉の弾みに合わせて腕をしならせ、ジャンゴロウの捕まえる手をほどいた。しかし下手に逃げだすような愚策は取らず、とりあえずは大人しく彼に付き合うことを選んだのだった。

「ナーコよ。何か食べたい物はあるか。」

「別に、何でもいいけど。」

「ナーコ。俺は具体的な案を欲しているのだ。」

「あっそう。じゃあここにしたら。」

 サチはちょうど目の前を通り過ぎようとしていた、ラブリーで甘ったるいクレープ屋を指さした。筋肉質なジャンゴロウの体格をからかうような目をして。

「そうか。ここか。では入るとしよう。」

 だがそんなサチの意図についてはあまり気に留めていない様子だった。

 クレープ屋の内装は外装に負けず劣らずの可愛らしい、カートゥーン調にまとめられていた。ロリポップモチーフの壁紙。背もたれが上方向に膨らんだプラスチック製のイス。脚の先が極端にカールしたテーブル。昼の時間帯の席を埋める客たちのファッション傾向をみても必ずどこかに現実離れした要素を含んでいる。目に入るもの口に入るもの、それら同様甘々な会話に花が咲き乱れるこのクレープ屋は、悪漢ジャンゴロウが来店した途端異様な静けさに包まれた。店内BGMがよく耳に届くようになり、そんな原宿系ソングは不思議と痛々しかった。

 いい気味とばかりに隣のサチが言った。

「アンタ浮きまくり。」

「何を言う。俺は甘物が結構好みだ。」

「そんなの知らないわよ。アンタの見た目じゃほとんど営業妨害だって言ってるの。」

 ジャンゴロウはサチを無視し、首を回して空席を探す。それを見たサチが、

「バカッ。あんたと座ってゆっくり食べようなんてつもり無いんだからっ。」

 「テイクアウトあっち!」とジャンゴロウの背中を叩くと案外素直にそっちへ動きだした。ちゃんと4組ほどいた列も抜かすことなく並んだ。

 ほどなくして2人の順番がやって来た。レジ担当の店員がにこやかに迎え撃つ。

「いらっしゃいませ。ご注文はお決まりでしょうか。」

「ああ。ここのメニューを全て頼もう。1つずつで構わない。」

「す、全て1つずつですか……その、トッピングなどはいかがしましょう。」

「当然全てつける。」

「う、承りました。」

 タッチパネルを操作するレジ店員の運指はピアノ演奏のように両手づかいで全域に及んだ。

「俺は終わりだ。ナーコはどうする。」

「待って、うーんと……」

「早くしろ。」

「えーっ」不服そうに下のショーウィンドウから顔を上げたサチはその中のサンプルを2ヶ所指さした。「じゃあ、御祭りバナナホイップと、宇治抹茶で。」

 彼女の注文内容に、厚い皮膚に覆われたジャンゴロウの顔が軽く綻ぶ。

「ナーコ、2つも食べるのか。よく食べる女は好きだ。」

 実際はあっちで倒れたままのタウに分けてあげるための2つ目だったし、わざわざ説明してやる義務もなかった。「別に。」

「ご注文承りました。できあがりましたらお呼び出しいたしますので……」

 そこまで述べたとき、キッチンから従業員らの間でのみ意味がありそうなチャイムが2度聞こえて来た。レジ店員はその音を聞くなり話を急転換。「ご注文の商品ができあがりました。そちらの受け渡し口からお受け取り願いします。」

 お会計はこちらになります、とデジタル表示された値段にはゼロの灯りが人に桁を惑わすほど続いた。

「うはあ、見たことない額。」

 リッチなジャンゴロウは動じずたった一言、「分かった。」シャツに詰めていた分のお金を余すことなく引っ張り出して支払った。

 店員は支払われたお札を素早く数え上げ、確認を済ますとその束を机に打ちつけてからレジの引き出しに仕舞い込む。

「ちょうどですね。ありがとうございました。あの、本当にお気をつけてお持ち帰りください。」

 サチは受け取りカウンタ―から自分たちのクレープだけを抜き取ると、あとの残りとジャンゴロウを懐疑的な目で見比べた。

「ねえ、持って帰れるわけ? 言っとくけどアタシは手伝わないよ。」

「ああ。問題ない。」

 一店舗が提供する全商品がそこに一堂に会したのだ。混沌を極めた匂いと色合い、下敷きにされた包装紙に潰れるソースやジャムの影のせいで、せっかく湧いた食欲も我先にと消え失せるファストスイーツの巨塊。これと対峙したジャンゴロウはとりあえず両腕を横に大きく広げると、受け渡し口に置かれたその大量のスイーツを一気に抱え込んだ。あとは自分の胸を皿にして支えるよう重心を後ろにかければ、なんと軽々とこれを持ち上げてしまった。そのガラ空きになった脇腹をサチの指がツンツンやってもよろめくことすらしない。「頑丈すぎてつまんなーい。」

 オープンカーの停めてあるところまで戻って来ると、目を覚ましたタウが茫然と立ち尽くしている姿もすぐに見つけることができた。2つのクレープを持ったサチがタウの元に駆け寄った。

「タウ君。大丈夫だった? お待たせ。」

「うん。」

「こっちがタウ君の分。宇治抹茶。」

「ありがとう。」

 サチの後ろから遅れてやって来るジャンゴロウ、両腕に抱えられた大量のスイーツはまるで迫り来る山のようだった。その迫力に周囲の通行人は二度見、三度見、何かのイベントかと勘違いした子供や犬が勝手にクレープを持っていこうとする始末。ジャンゴロウが一発「バウッ!」と威嚇すると簡単に逃げてしまう子らばかりだった。

 サチはあることに気が付く。

「なんかそれ、小さくなってない?」

「うむ…**ムシャムシャ**…俺が現在…**ムシャムシャ**…進行形で食べている…**ムシャムシャ**…からな。」

 ジャンゴロウの声は、スイーツの山の背後から回り込んでサチとタウの元にまで到達するので少し遠く、思い込みの激しい性格の持ち主なら山びこにだって感じられる質感があった。こうしている間にもジャンゴロウの食は進み、抱えられた大量のスイーツはその背丈も太さもみるみる縮んでいく。

「マジおばけ。」

「…**ムシャムシャ**…問題ないと言っただろう。」

 それは見かけ上の問題であり、ジャンゴロウのスイーツを食べ進めるスピードは塊が小さくなるほどに勢いを増すイリュージョンのようだった。不潔なほど大量にあったはずのスイーツの山が顕微鏡のピントを絞るみたいに一瞬で小さくされる。そして最後の一口を食べ終えた直後、ジャンゴロウの口元に超新星爆発のようなきらめきが現れたように見えたが、一度瞬きを挟んでしまった後にはその光もスイーツと共に消滅し、恐ろしいことは何もおきなかった。

 ジャンゴロウは満ち足りたため息をついた。

「嗚呼。甘かった。」

 そして直感(インスパイア)も今朝と同等の輝きを取り戻していた。その光が示すところによれば黄金郷は間もなくのようだ。

 サチはサチでこれで一件落着なのだと、タウを引っ張ってジャンゴロウに背を向ける。

「それじゃあクレープありがとー。じゃねー。」その手を華々しく振り、なんでも力任せな男ジャンゴロウからさっさと距離を取ってしまいたかった。

「待て。」

 しかしヒラヒラと伸びたその手は、再びジャンゴロウに捕らえられるための便利なストラップにされてしまった。強引に待ったを掛けられ背後へひっくり返りそうになるところを、タウの肩に手をつくことでなんとか持ちこたえる体幹優良女性サチ。支えに使われる影響でタウのクレープを持つ方の手は一切持ち上げることができなくなっていた。

「ナーコ、俺はお前が気に入った。旅に付き合ってもらおう。」

「いや! 離して! あっち行って!」

「いや、俺が来いと言っているのだ。共に来る以外選択肢はない。」

「行かないってば! アタシはタウ君と行くんだから!」

「ならば仕方あるまい。」

 ジャンゴロウがサチの手を掴んだまま思いきり上に放り投げると、彼女はそのまま空に打ちあがり、花びらのように風に揺られ、屋根のついていない車の助手席に落ち、そっと納まった。怪我こそないがサチは気絶、クレープは無事。取り残されたタウは相変わらずそこにつっ立っているだけだった。

「念のためお前も連れて行こう。」

 女にギャーギャー泣かれるのとガミガミ言われるのが嫌いだったジャンゴロウは、タウをサチの慰め役として片手でアスファルトに引きずって車まで運び、九つの袋を乗せた後部座席に詰め込む。サチと違ってタウからの抵抗は皆無だった。

 運転席に着きハンドルを握った。充填された直感(インスパイア)が体の隅々にまで脈動していることが分かる。夢にみたあの巨大な黄金郷はむしろ向こうから迫ってきている気配がした。助手席には女、後ろには念入りの男手を手に入れた。ジャンゴロウはその運命と衝突を起こすまで『ハンマーヘッドシャーク』を走らせ続けた。

遅くなりましたが明けましておめでとうございます。

今年もよろしくお願いします。

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