16.タウのプロポーズ
昼の仕事を終えて日没のあと、ガタガタ酒場『コスタ』は汗くさい肉体労働者の客ばかりで賑わっていた。デカいビールジョッキを持った男たちの思考に靄を掛けるような照明の下、交わされる話は、もはや笑うことしかできないほど残酷なジョークやグロテスクな猥談なんかで氾濫を起こしている。この場所でならたとえ政府の役人がタブレットを片手に国家機密を公然と話していたって、別テーブルの男たちが別の話題で突如「くだらねえ!」と怒鳴り声を上げ、全て無かったかのようにすぐさま宇宙空間へと繋がるどこか酒場の隅の排水溝まで笑い飛ばしくれる。本来酒の席というのはそういうものであるが時代の流れか、トラディショナルな酒場コスタには常連客が自然と付くようになっていた。
しかしどんな状況下においても例外というのは出来上がるもので、ここコスタで生まれ看板娘として働くキャリーちゃんには、来る客みんな一目で惚れてしまう。動きやすいショートヘアーに人懐っこい笑顔、ハツラツとした接客。それでいてきれいで美しくて、かわいくてかわいい! おっぱいもいっぱい! だから誰もがその酔っぱらった視界の端で、目の前のくだらない話半分で、柄にもなく肩をソワソワさせながら彼女のことをつい追いかけてしまう。中には勢いよくナンパする客も出て来るし、その誰かと話をしている側でこっそり聞き耳立てる壁役に成り代わる客もいる。コスタではキャリーがいつだって輝いている一番星、今夜その話し相手であるタウは、他の男客全員分の嫉妬と羨望の眼差しに曝されるのだった。
カウンター席に腰かけるタウの隣にキャリーは仕事着のまま座っている。キャリーはタウのことを見つめ、猫のグルーミングのような甘えた声を出している。
「今日は、来てくれてありがと……私タウのこと、だ~~い好きっ♡」
そう言って飛びついてきたキャリーの体を、タウは「うん」とだけ言って受け止めた。そしてキャリーは顔をタウの胸に埋めたまま上目遣いに、
「ねぇタウ~♡? そのお酒美味しい♡?」
「うん。」
「えへへぇ、それねぇ、私が注いだんだよ♡! ねぇねぇ偉い♡?」
「うん。」
「やった~♡! ふふ~ん、頭ナデてくれてもいいんだよぉ~♡。」
キャリーは撫でてもらいやすいようイスから床に跪き、タウのひざの上に頭をぽんっと預けた。
「うん。」
タウはキャリーの髪の流れに手を沿わせ、1ナデ。
「にゃふん……♡」
タウはさらに2ナデ。
「にゃふふん……♡」
追加の5ナデ。
「しゃぁわせぇ……♡」
近くで壁になって盗み聞きしていた奴らもさっさと撤退するほどの惚気だ。離れたテーブルからチラチラ見ていた奴らもついに我慢ならず、しかし無理にアレをやめさせれば当然キャリーちゃんには嫌われることになる。それだけは避けなければいけないという一同の考えた末、辿り着いた結論は全て同じだった。そろそろコスタ恒例のステージの時間になろうとしている。男たちは一斉に立ち上がり、安全靴を打ちつける音が酒場中に響いた。
二人のいるカウンター席に打ち寄せる屈強な男たちの波。
「「「「「「キャリーちゃん!」」」」」」
タウのひざに甘えたまま元気よく手を挙げて返事するキャリー。
「はぁ~い♡! なんですかぁ~♡!」
集まった男たちは口々に説得を始める。
「も、もうステージの時間だ!」「俺、キャリーちゃんの歌が聞きてえよ!」「今日は何歌うんすかっ!」「歌だ! そんでビールももう一杯!」「みんなで一緒に歌おうぜ!」
「う~んとねぇ~♡、あともうちょっとだけぇ~……♡」キャリーは最後までゴネてタウの側を離れようとしなかったが、それを見せられる彼らも我慢の限界、実力行使に走り出した六人の男たちによって思いきり腕を引かれたキャリーは何度か体を宙に浮かせながら、
……い~や~♡! た~す~け~て~♡!
…………待って、脱げる♡! スカート脱げる~♡!
………………うわっ脱げた~♡! スカート脱げたよ~♡!
バンドメンバーの待つステージ方面に向かい、激昂した馬たちの後ろに固く結ばれたまま酒場中を引きずり回された。
少しの間を取り、ステージに姿を現したキャリーの格好はさっきまでの仕事着から舞台用の衣装へと変わっていた。顔つきもタウを目の前にしてみせた腑抜け模様を捨て、人々を魅了するエンターテイナーのものへと様変わりしている。
「みなさんお待たせです♡! それじゃあ早速いくよ♡!」
キャリーの合図を受け取ったバンドは、まず軽快なジャズピアノから始まり、その跳躍を仕留めるように鳴る黄金色のギター、それら二つの様相が繰り広げられる遠く背後の地平線としてのドラムによってイントロを演奏した。そして適度な緊張感を指で引いて放つようにキャリーの歌声がマイクへと寛大に開かれる……。
愛しいあなた♡ ハートの苦しみなんて単純なほどよかった♡
あの時してくれたキスは私のせーくりっど・しんぐ♡
なのに燃え落ちてしまう思い出なんて 私には信じられないの♡
キュキュン・キュンな状態 急に思い出しちゃったりして♡
今回のことで私が壊れちゃっても 関係ない態度なんてやめて♡
私はきっとまた新しい人と一緒に幸せになるの♡ でも♡
でもでも♡ あなたとの傷は今も私のハートに残ってるんです♡
あなたとの傷は♡ 今も私のハートに残ってるんです♡
(男コーラス:ハーテイクス……ハーテイクス……)
終わるとキャリーは自然とみんなに笑った。
かわいい歌声の響きの残る酒場に男たちの歓声は止まなかった。冷たい現実が裏打ち、実際ならあんなにあざとくてかわいい女の子には絶対に裏があるから、アイドルとして表舞台に立つキャリーに対してだけは、今だけは拍手を惜しまなかった。それぞれ自覚を持っていようがいまいが、騙されるリスクを取れなくなるほどに臆病が胸に巣食い、心の支えとなる金も時間も歳をとるごとに何かに食い潰されて使えなくなることは全員を通して変わらない事実。取り繕ったようなかわい過ぎる女の子は何か、絶対に怪しい。特に自分に優しくしてきたらまた一段と怪しい。怪しい場所へは深く踏み込まないのが彼らにとっての現実の掟であり、現実をよく分かっていないのはこの場ではタウくらいのものだった。
タウのいるカウンター席へ、キャリーがステージから直接オーディエンスの中をかき分け走り寄る。
「タウ~♡! 見てた~♡!?」
弾丸のような速度で飛び込んで来たキャリーの体をタウは全身で食い止めた。その勢いでタウ座っていたイスは一度倒れかけるが、ダルマのようにゆらゆらしながら再び安定状態へと戻った。
「ねっねっ♡! 今日よかった~♡!?」
「うん。」
「でしょでしょ~♡ ふふ~ん♡ ごろにゃ~ん♡」
タウはひざに甘えて来たキャリーの頭を5回ナデてあげた。
「しゃ、しゃぁわせぇ……♡」
二人の周りからは、さっきの歌を聞いて概ね満足した連中がいたこともあって向けられる嫉妬も羨望もそれなりに柔らかくなっていた。いずれにしたってタウが気にすることではないのだが、今日この日は、ずっと初めから心に決めていたキャリーにとっては他からの邪魔が入らないことはとても重要なポイントだった。
キャリーはタウから一度身を離し、その隣の席に座った。両手をひざに力むまま押し付け、不器用に伸ばした背筋から彼女なりの本気の意思が伝わってくる。タウは黙ってキャリーのことを見ていた。キャリーは息を整えてから思いきり言った。
「タウ、結婚しよ♡!」
「うん。」
「ほ、ほんとに♡!? 嘘じゃない♡??」
「うん。」
「やっった~♡!! 明日♡! 明日にもしよ~♡! 何回もしよ~♡!!」
「うん。」
「タウ、だ~~~い好きっ♡!」
キャリーはタウに向かってとびきりのチューをした。
「じゃあ、ちょっと待ってて。着替えて来る。あとママにも呼ばれてるから、あでもでもそんなには遅くならないから! 行ってきま~す!」
キャリーは舞台用の衣装のままスカートをヒラヒラ、クルクル回転しながら酒場のバックヤードへと姿を消した。




