12.タウのムカー
駅舎内は自然光をふんだんに取り入れるため、高い天井にガラス張りの設計がなされていた。人々の通行は植込みの針葉樹が壁となり、うまく誘導が施されている。多少座って休憩ができるスペースもあった。石畳のベンチ8脚が八角形に取り囲んだその真ん中を、シックな黒塗りをしてもらったマイナスイオン発生器がわずかのノイズを響かせて佇んでいた。
「ムッカー! ほんと腹立つー! タウもそう思うだろ? ムカムカムカ。」
「うん。」
トーグォンはそのベンチの1脚に、タウと一緒に座っていた。背中にマイナスイオンを浴びながら、なおも怒り続けていた。
「時は遡り、人類の誕生から宗教と哲学が生まれ、それらは細分化された個別の学問へと派生し、分野の垣根を超えて研究が進むうちにさらなる派生が誕生、そうこうしてる間に時は現代。商業目的の学問が栄える現在、宗教は社会から汚いマーケティング手法の烙印を押され、哲学は暇を持て余した坊ちゃんの道楽として見なされるに至った。一方では資本主義批判も盛況! 他人の意見を裏から付いてやった快感が永遠忘れられないサラリーマンパンク! 長い年月の果て、とうとう世間知らずに自身の年齢が追いついた──おじいちゃん先生は俗世間から距離を置いていらっしゃり!──そんな謎の大学教授の繰り出す哲学的視点による解説! 『ストリート出身ではなく、優秀と名高い教育機関の認定を受けた代物ならば、経済の要たる我々消費者共々、安心・大納得の内容でした』『この作品の制作陣は消費者に対する説明義務を怠っているのでは?』はあ? バカじゃねえの? 『はい。そうです。我々消費者共々、みなバカでございまして~』ふっざっけんじゃねええ! ムカムカムカムカムカムカ。」
一呼吸挟み。
「開いた口が笑い飛んでいくようにパタパタ売れていくクソ安い思想はファッキンオブクソ! しょーもねええええ! もはや商業主義者たちはジャンク漁りはしてもそこから何も発明を起こそうとはしない! タウもオレとおんなじに思うよな? な? ムカムカ。」
トーグォンはその手でタウの両肩をがっちり挟み込んだ。
「うん。」
「タウ。今の世の中はな、ソ連の芸術が面白半分で世界中に分配されてるんだぜ……ああ、まあ、それは別にいいことか。とにかくさあムカムカ。」
トーグォンはタウの体を手放すと、そのままうなだれた。
「オレは悲しいんだ。悔しいんだ。何がって特定は難しいけど、オレは恐らく、かなりの部分において正しい。確信してる。この湧き出る怒りが、オレ自身まだ飲み込み切れない矛盾点の存在を明らかにしているし、その矛盾点とはまだまだこれからも向き合っていくつもりだよ。オレは相当な部分、正しいんだ。当然正しいものが必ずスタンダートになるとか、世間に通用するなんてこれっぽっちも思ってない。でも、アイツら全員、それがこの世の摂理なんだとか言って、自覚した上で自分からしょうもない卑劣な場所に飛び込んで行くんだ。自分から分かり切って不幸に向かうんだ。そしてその姿をオレは決して止めることはできないんだ。こうやって一人で騒いでるだけ、あとは見ていることしかできない。人を動かせる奴らっていうのはな、オレみたいに自分自身で動けって真実を説いて回るようなタイプじゃなくて、オレと一緒にいれば大丈夫だとか高らかに宣言できちゃうタイプなんだ。そっちの方が絶対的に才能あるんだ。すでに歴史が証明している。宗教がまさに。何も考えなくても死や生に答えを与えてくれる。だけどな、単なるオタクでしかないオレには、どうしてもその歴史を否定できそうもない。オタクという人生丸ごと知識の集積系のオレは、その最たる領域である歴史を否定できない人生の岐路にすでに置かれてしまっているんだ。オレはさ、たまに、思いついたことを片っぱしからノートに書きなぐってみることがある。とめどない。世界の神秘からクソまで、文章上に、一挙に立ち並んだ形態は小説か論文かはっきりしない。それはもしかしたら一見すれば壮観かもしれないが、同時に、空っぽにも見えてくる。つまりそのノートには、文章によってこの世の全てが等価に表現されている。全てが等価っていうのは、全てがフラットに扱われているんだ。そうすると全てが記述されているのに何もない。引っ掛かりと呼べるものがなく目が文章の上を滑り続ける。焼け野原すらもない、文章空間だけがぼんやりと浮かんでいる。読んでも読んでも実感がない。その虚しさが、つまり書き手のオレ自身がいかに空虚であるか、証明している気がしてならない。オレは今まで出会ったあらゆる物に対して、一切、本物の感情を抱いて来なかったのかもしれない。今日のこの怒りだって、あくまで思考機械としての、思想の矛盾点発見を報せるためのアラートに過ぎなかったのかもしれない。少なくとも、オレの書いた文章には、オレ独自と呼べそうなものは何も表れていなかった。知識の羅列。完全なるフラットだった。なあ、オレはこれからどうすればいいと思う? タウ。オレはこのままでいいのかな?」
「うん。」
「なんでだ? なんでそんな簡単そうに頷けるんだよ?」
トーグォンはタウを疑わし気に見つめる。駅舎内はとっくに夕日色に包まれていた。舎内に行き交う人たちの種類もとっくに移り変わっていた。
「そうか。そうだよな、タウ。そうだよ。どうであろうと、オレたちは生きていかなくちゃならないんだよ。虚しく思えようが何だろうが、まず結論が先に出てる。生きるか死ぬかなんだ。でもな、タウ。違うんだ。オレはその、先に結論があって、そこに狙いを定めて理屈を組み立てていくみたいなやり方はしたくない。そんな奴らばっかりだよ。飽き飽きしてるし、正確さを求めるとしても、絶対にそんなんじゃいけないはずなんだ。ここについてはまだはっきりとは分からない……分からない……違う! そうじゃない! この世にある全ての計器を1つの問題に用いて近似、あるいは全容を掴むんだ。学問なんてそれぞれが独自に成り立っている別々の計器に過ぎないが、それら計器を用いあくまで参考に留める。だって学問以外にも問題を計るための道具は大量に存在しているからな。社会規範、道徳、義理人情、政治思想、ヤンキー根性、プログラマーの美学、なんでもござれ……それらを全て1つの問題にぶつければ大量のデータが得られる。それをどう使うかは人によりけり、そうしてさらに浮き彫りになった新たな問題に再度全ての計器をぶつける。それを繰り返すことによってのみ、人間の編み出すことのできる最も正確な近似値を叩きだすことができるんだ……うーん、でもなんだか、結局は統計学に美味しいとこ全部持ってかれる気配もするなあ。なんかつまんねー。こういうのが一番冷めるっつうか、統計学ってなんかその態度が冷めるよな。なあ、タウ?」
「うん。」
「クソつまんねえし帰るか! うわっ、もう真っ暗! 早く帰るぞ!」
2人はベンチから立ちあがると、夜になって帰る人混みの中に紛れ込んだ。そのうちにトーグォンはタウと離れ離れになってしまったが、改札を抜ければ自然にタウと合流できるだろうと考えていた。しかし改札を抜けてもタウの姿はどこにも見当たらなかった。
「タウ? おいどこだよ。いないのか? タウ?」
タウは呼ぶと出て来た。
「ここにいるよ。」
「びっくりした。急に居なくなったのかと思った。よし、じゃあまたな。」
「バイバイ。」




