11.タウの人形館
ミリタリファシリティを備えた丘の上の豪邸。夜の闇に深い霧を介し影が、ごうごうと浮かび上がる……。
不眠症のお嬢様はもうベッドから抜け出し、すぐ側の椅子に掛け直すくらいしか方法が無いのだった。涙を流してもいないのに、その瞳は暗闇のなか輝いていた。
そのキラキラした赤い目が、ダイアルの象徴だった。ダイアルの眼差しは睨みつけるでもなく容易く相手を金縛りにし、時には本人も知らない内にひどく一方的な恋を始動させることもあった。全てを有する地点に向かって他の全ては吸い込まれていく。一様な力場の上、布とボールを用いたブラックホールの体感実験は、つまりダイアルの性質も表現していた。無形の財がその下に有形の財をかき集めればいつか光だって歪ませる。ウェーブの解れと光子のスライダー、ブラックホールはその時、財を継承した彼女の人生を尊重しダイアルを中心に発生してくれるのか、あるいはクソほどの夢もなく財の下に発生しダイアルお嬢様ごと飲み込んぢまうのか。こんなせっかくの似非科学論争、物理学者ばっかり呼んだんじゃつまんないから、坊さん、ホームレス、売れない漫画家なんかも呼んで今から丘の上の豪邸に集合、そんで不眠症スカーレットお目々のお嬢様と一緒に朝まで語らうってのはどう? どうせ彼女に付きっ切りの専属執事が全員分のコーヒーをササっと淹れ配膳っちゃうんだから。コーヒーのおかわりも替えのウィスキーもちゃんと用意してある。迷惑だなんて、そんな心配する暇もつかせない至れり尽くせりの接客が君を待っているよ。
ダイアルの執事がドアをノックする。
「ダイアル様。」
「入っていいわよ……。」
入室を許された執事はダイアルを目に留めてから軽く頭を下げた。
「ダイアル様。今晩もうまくお眠りになれないご様子。」
ダイアルは椅子に座って背中を向けたまま、何も答えない。
「はい。今晩もご用意いたしました……入りなさい。」
そう言われダイアルの寝室に入って来たのは、タウだった。タウはなぜか白とペールオレンジで品よく纏まったヒラヒラ服を着させられている。その恰好が窓から入り込んだ月の光によく映えている。抵抗する素振りは一切見せない。「ほら、歩いて行きなさい」と執事の手に背中を押され、タウはダイアルの居る方へ歩きだした。
「それではダイアル様。わたくしは失礼いたします。」
と、寝室には不眠症のダイアルとヒラヒラ服のタウで二人きりになった。
ダイアルは、廊下の彼の足音が十分遠のいたのを確認してから、タウの体に手を伸ばした。タウの体は血が通っていないみたいに冷たく、また触れられても特別の反応を示さない。ダイアルは熱心に、タウと目を合わせようと顔を近付けるが、焦点の定まっていない黒々としたその両眼は相手にするだけ無駄なようだった。それだけ確認すると、ダイアルはやっと椅子から動くきっかけを掴み、立ち上がって慎重にタウをベッドに運んだ。抱きかかえる際にも、タウにはその中に心臓の鼓動さえ感じられなかった。
しかし死んでいる訳ではないので、ベッドに座らされたタウは背中を垂直からやや後傾に維持していた。ダイアルは広いベッドの空いた空間に自分の身を投げ出し、気持ちよく伸ばした腕の先で、スカートに覆われたタウの膝や腿をなんとなく撫でていた。布の中程から足下へ向かい垂れ下がった裾を手繰り寄せ、スカートの丈を短くすると、ベル状のその下から現れたタウのなだらかな脚が暗いダイアルの部屋に、不足した人の気配を取り戻していくようだった。ダイアルはその肌に直接触れてみたが、やはりタウからの反応はなかった。
ダイアルはタウの背中をベッドに倒すよう導き、また足が外にはみ出さないようタウに、ベッドの上側へ動くよう言った。タウは彼女の指示に従い、シーツを滑ってヘッドボードがある方へ体を上昇させた。それからタウは大人しく寝転び、その上向いてフリルが重なったタウの胸の中にダイアルは顔を埋めた。甘い柔軟剤の香りを吸って吐いた。タウの体臭までは分からなかった。
「おいバカー。頭なでなでくらいしろー。」
ダイアルは力の抜けた声でそう注文をつけた。タウは言われた通り、ダイアルの髪をわしゃわしゃ撫でまわした。
「髪がくちゃくちゃになるだろーが。下手くそ、しね……」
ダイアルはタウの胸に顔を埋めたままモゴモゴ罵った。タウはそれを中断するものだと捉え、パッと彼女の頭から手を離したのだが、再び自分の肋骨の隙間を縫って、内部に生温かく籠った文句が響いた。
「なに勝手にやめてんだこらー。生意気なんだよ。」
タウは急いで手をダイアルの頭の上に戻し、なでなでした。
「下手くそ……ううっ……ママぁ……」
ダイアルはなぜか唇を噛みしめて泣いていたが、その様子はタウからは決して確認できなかった。
部屋を後にした執事はその後、地下の研究室へと訪れていた。ここでは秘密裏に、バイオテクノロジーの研究が行われていた。ここ数年の研究内容は、タウのクローン。それも単に見た目を似せるとか、生物としての機能を確立させるとかに留まらず、ドッペルゲンガーのようにいわゆる性格と呼ばれる項目の一致までをも目標としていた。その足掛かりとして、タウは世界で最も模し易い人間の一人と予想された。感情表現に乏しい方が、クローンに備えるべき要素が少なく済むという理屈である。
しかし最近の研究結果によれば、案外簡単でもないことが判明していた。クローンを人間らしく見せるべく脳に学習機能を追加すると、どうしても発話や表情筋の運動といった感情表現が成長し、本来のタウのように無口・無表情ではいられなくなるのだった。そこで顔面周辺に走る信号を無理に制御してしまえば発作、痙攣、精神崩壊。タウの完璧なクローンを創ることは不可能にも思われていた。
解決の糸口として抜擢されたのが、出資者本人であるダイアルだった。彼女のその乱暴な甘え癖は研究者間でも噂伝いしていた。
「てめえ……もっと褒めろぉ……」
その噂によれば、ダイアルはちゃんと手が出るタイプだということだった。ダイアルと環境を共にすれば、タウは自らの意思で口数を減らすようになると考えられた。だがそれは本来のタウの無口ともまた少し違う。
「偉いよ。偉い偉い。偉いですからね。」
だからタウのクローンは求められればいくらでも口を開いた。
「もっと具体的に。」
「えっと、わがままできて偉い。つねつねできて偉い偉い。」
「う、うるしゃい……バカ当たり前ぇ、でしょーが……」
ここまでしてやっとダイアルの眠りは得られるのだった。タウのクローンは朝、ダイアルが起きる頃にはいつもいなくなっていた。




