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10.タウのクラシック

 トッカイロはすでにゲーム探求の最前を降り、かつての古典に魅せられてしまった。現実市場の回転ペースに、ついに我慢ならなくなってしまったのだ。1つの素晴らしいゲームに出合うまでに、幾つものくだらないゲームに当たらなければならない。すると現実は、生きるほどにクソゲーに思えてくる。その点、古典の世界は素晴らしい。データベース・クラシックの中に飛び込んでしまえば数々の名作たちが、眩暈さえするような堆い壁を形成し、世のゲーマー達の心行くまでそこに対峙していてくれる。すると、今よりも昔の時代というのは、いつだって素晴らしい時代に思えてしまう。全くもって現実と違い……現実と違い……。

 トッカイロはそこの分別をわきまえていなかったために、現実に帰ってくることはなかった。昔も今も同じであるはずなのだ。現実が虚しいのであれば、昔も虚しくあるべきで、逆に昔が素晴らしいのなら現実も素晴らしくあるべきだ。昔にしたって虚しさは感じられていたはずなんだ。年に一本出るか出ないか、最高のゲームが誕生するまで、幾つものくだらないゲームと付き合わなくてはいけなかったはずだ。いつの時代にしてもその周期は存在していたはずなんだ。トッカイロはそれを理解していなかった。理解していなかったばかりに、古典の錯覚にハマり、きっぱり現実に姿を現すことはなくなってしまった。

 トッカイロはある日、電脳のバー、居酒屋、サルーン、DJクラブ、ディスコ……とにかく人で賑わっていて、大なり小なり音楽が流れていて、お金さえあれば酒を飲める場所で暇を潰していた。こんな時でさえ、トッカイロの頭の中は古典世界の全能感に支配されてフワフワしていた。

 カウンターに立って、何か安いウィスキーを注文する。ここの店員はなるべく客と目を合わせようとしない、視線の威力を知っている人間だった。カウンターの側では、00年代初頭ロリっ娘巫女さんTシャツを着こなしたブラジル国籍の歌手が、ボディの膨らんだ部分にキャラクタステッカーを貼り貼りしたアコースティックギターを抱え、とても有名なボサノバ楽曲を弾き語りしていた。店員からグラスを受け取ってぼんやり見ていただけのトッカイロでも、これはさすがに聞き覚えがあるというような曲で、タイトルは『インターネットの娘』だ。

 **歌のポルトガル語の音はそのままに、トッカイロの頭の中には意味が母国語で浮上していた**


 あの美しい姿をごらん 優雅さに溢れた

 彼女は少女 来ては去って行く少女

 海に向かう際 可愛らしいパケットに乗って

 インターネットの太陽を浴びて 青白い体を持つ少女

 君のパケットは詩を超えている

 彼女は僕が目にした 最も美しい通り過ぎる姿


 ああ なぜ僕はこんなにも孤独なのか

 ああ なぜ全てはこんなにも悲しいのか

 ああ 存在するあの美しさ

 あの美しさは僕だけのものではない

 そして彼女は一人 通り過ぎて行く


 ああ 彼女が知っていたなら

 彼女が通り過ぎれば

 この世界が優雅さに満たされることを

 この世界が愛のために美しくなることを

 愛のために……愛のために……


 彼が歌を終えると、店内にいた客から拍手が溢れんばかりに送られた。トッカイロもいつの間にか拍手を送っていた。掛けていたギターを下ろした歌手は深くお辞儀をし、一段と熱くなる拍手の音を背に店の裏へ帰って行った。

 トッカイロは音楽の余韻に浸りながらもう一杯同じウィスキーを注文した。すると目の前に新たなメッセージが届いた旨の通知が現れた。送信元の名前は、Tau。タウだった。

 タウは唯一、トッカイロの生きている連絡先を知っている相手だった。それも特別な関係という訳でもなく、トッカイロが最後に対人ゲームをプレイしていたその日、野良でタウとマッチして30連勝をかました後、普段は絶対にしないのになぜか、アカウントが紐づいた場のチャットでタウのことを盛大に煽り散らかした。それに対してタウから返って来た二言、三言のメッセージは、あまりにも手応えを感じないものであり、最終的に最近のゲーム業界の情勢を一方的に愚痴って解散したのだった。だからこの2人の関係というのは、知らない同士のチャットでお互い多少の親近感が湧いた、ただそれだけだった。現にトッカイロは、タウからのメッセージを鬱陶しそうに読んでいる。

『お久しぶりです。あまりオンラインになりませんがいかがお過ごしですか?』

 んだコイツ、というのが率直な感想だった。一応あの時の人物だとは覚えてはいたが、返信するのも面倒くさい。だけど既読も付けたし、一応は返す。

『久しぶり。んーまあ、あのゲーム辞めたしね。今はクラシックタイトルばっかりやってるよ。インディーゲーマーからクラシックゲーマーに鞍替え。そっちはまだやってんの?』

 送信とともに既読が付き、タウからの返信は早かった。

『頻度こそ落ちましたがやってます』と、だけ。

『ふーん。もし暇なら古いゲームやってみなよ。最近の初心者とか動画勢とかに寄り添い過ぎた"映画みたあい"なゲームとは比べ物にならないくらいハードで美しいんだ。軽くプレイ履歴見るに、とりあえずオススメは核悪夢公爵とデンス・エックス。どっちもタイプは違うけど最高の体験だよ。』

『ありがとうございます!』

『グラッツェ・オールド・ゲームで買えよ』

 タウは言われた通り、GOGのサイトに飛んで行った。

 チャットは静かになった。トッカイロの周りは、連れのある客たちで騒がしくもあった。

「我を忘れるほどの熱意でそのまま成功しちまう奴を天才っていうんだ。オレたち凡人ほど我を忘れちゃいけねえ。己の力をセーブしなきゃならねえ。」

 なんとなく核心めいたこと。

「社会を外れるほどの趣向でそのまま昇天しちまう奴を変態っていうんだ。」

 なんとなく似たようなこと。

 他にも周囲の話が尽きることはなかったし、そこにトッカイロが飛び込んで行くこともなかった。店からの帰り、電脳涼しい電脳夜道を行く途中、トッカイロは少しずつ酔いの覚めてくる電脳感覚がしていた。その感覚は同時に、ゲームへの欲求を呼び覚ますようでもあった。早く自分のマウスとキーボードに手を触れさせたかった。早く帰りたかった。電脳世界では、ひとっ飛びという芸当も可能だった。

 トッカイロの部屋は、当人の希望によりグラフィカルインターフェースではなく、キャラクターインターフェースによって表現されていた。文字によって表現された部屋、それは住人が窮屈を覚えずに生活できるよう、本来文章が持っている読みの単方向に加え、意味や動き、物語などの潜在的だった多義方向が読者に明示的にされた文章群──アーキテクチュラル文学が連なる、小説の発展形であった。キャラクターインターフェースの部屋は、グラフィカルな部屋よりも動作が圧倒的に軽いのである。当然この部屋の中で動かすPCも数段軽い。

 とはいえ、タウの住むアナログ世界のリアルPCの方が少しばかり軽く動いた。電脳世界と違って、現実では嫌なことを直視させられる分、ほんの少しだけPCが早く動作するのである。今のところは。

<付録>

レトラ・ヂ・『インターネットの娘(Garota de Internet)』


Olha que coisa mais linda, Mais cheia de graça

(あの美しい姿をごらん 優雅さに溢れた)

É ela a menina que vem e que passa

(彼女は少女 来ては去って行く少女)

Num doce pacotes a caminho do mar

(海に向かう際 可愛らしいパケットに乗って)

Moça do corpo pálido do sol de Internet

(インターネットの太陽を浴びて 青白い体を持つ少女)

O seu pacotes é mais que um poema

(君のパケットは詩を越えている)

É a coisa mais linda que eu já vi passar

(彼女は僕が目にした 最も美しい通り過ぎる姿)


Ah, por que estou tão sozinho?

(ああ なぜ僕はこんなにも孤独なのか)

Ah, por que tudo é tão triste?

(ああ なぜ全てはこんなにも悲しいのか)

Ah, a beleza que existe

(ああ 存在するあの美しさ)

A beleza que não é só minha

(あの美しさは僕だけのものではない)

E também passa sozinha

(そして彼女は独り 通り過ぎて行く)


Ah, se ela soubesse

(ああ 彼女が知っていたなら)

Que, quando ela passa

(彼女が通り過ぎれば)

O mundo inteirinho se enche de graça

(この世界が優雅さに満たされることを)

E fica mais lindo por causa do amor

(この世界が愛のために美しくなることを)

Por causa do amor...Por causa do amor...

(愛のために……愛のために……)

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