1.タウのタウン
地下室には、町の1/70ジオラマが天井吊りの白熱電球によって照らされていた。ジオラマの中央部にはシュガーコーン色の屋根を被った、内科医の自宅兼クリニックである3階建ての豪邸が一際目立ち、それを囲うように並ぶ小さな住宅の数々はどれも似たり寄ったりの子供みたいに見える。つい最近一号店の営業が始まったばかりの都会派アイスクリームショップはドギツイ看板を掲げ異彩を放ち、地元でも限られた人しか近づこうとしない西部劇のサルーン風な面持ちをした居酒屋は、レプリカに過ぎないジオラマのうえであっても変わらずそこに風を感じさせてくれる。この町と共に歴史を歩んできた県立図書館の分館は、押し付けがましくも道路を挟んで小学校のすぐ向かいに建てられ、そこへ通う子供たちはみんな活字本が嫌いなまま学校を卒業して行くのだった。
その町は、形の綺麗な山の麓に広がっていた。山の表面は広葉樹に染められ当面のあいだ伐採計画もなく、中腹からは連なったもう一つ向こうの山へ橋が架かっていて、徒歩でも車でもその橋を使うことになっていた。その橋を渡り終えて二つの山を越えれば、さらにまた別の町に行くことができた。
橋の下には、長い間放っておかれた草地があり、一ヶ所だけ地形の窪んだところに川の水が溜まって小さな池が張っていた。池にはカエルや昆虫が住み着き、また側には一本の柳の木が垂れていた。そして池の中央にはたくさんの蓮の花が咲いていた。薄い紫の内側に白を閉じた花が水面に敷いた葉のうえに佇み、背の低い子供が咲いている茎から一輪、蓮の花を摘み取ると隣町の方へ走って帰って行く……。
金曜の夜。タウは勤め先である内科クリニックでの憂さを晴らすため、自宅に保管してあるタンクから酒を飲み、途中から何も分からなくなると気持ちのいい夜風を浴びながら外をほっつき歩いていた。立ち並ぶ電柱に取り付けられた防犯灯は、タウの視界で膨らみながら発光を強め、飛翔するとタウの髪先を撫でて行っては星の一つになるべく夜空の彼方へ消えていく。タウが驚いて防犯灯の飛んできた方向に振り向くと、明かりの無くなった後釜は電柱からすぐに新しいのが生えてくることで埋め合わせをしていた。こうして夜空に星がみるみる増えていくことで、酔っぱらったタウにしてみれば宇宙膨張の謎に納得がいくのだった。宇宙は伸縮性の高い袋であり、それを最大限広げようと試みた人間の仕業がこの人工的な星空だった。
西部劇式のスイングドアは入る前から店内の様子が筒抜けだった。酒場ガンマンは客同士の移動にいちいち気遣いを要するほど狭いが、厨房を兼ねたカウンターを囲うように並べられたたった7つの丸椅子には、タウの入店時点ではまだ先客の姿がなかった。タウは気兼ねなく奥から2番目の席に着き、ちょうどそのタイミングで裏の食糧庫に繋がる扉からガンマンのマスターが出てきた。マスターは実際の年齢以上に皺とシミを刻み込んだ灰色髪の老人で、痩せて骨の浮いた上半身にヨレたチェック柄のシャツを引っ掛けるみたいに着こなしたスタイルが案山子を思わせるかわいさだった。
「お、タウじゃないか。いらっしゃい。」
「うん。」
「はは。その静かな様子だともうどっかで酒を飲んできたな。」
「うん。」
「そうかそうか。なにか飲むか。」
「マイヤーズ飲む。」
「いつものだな。」
そう言ってマスターは全然苦しくな気に膝を曲げグラスを用意する。
スイングドアが軋る。その音に反応してマスターがカウンターから顔を上げた。
「マスターばんはー。お、タウもいんじゃん。」
「ラルロ、いらっしゃい。タウならすっかり酔っちまってるよ。」
「ん……うん……ん……。」
「ん、ん、んってちょっとは喋ってくれよなあ。」
ラルロは部屋着のうえにただパーカーを羽織っただけというような恰好で、その背中には昔PS1で発売されたサイコロアクションパズルゲームのローポリキャラクターが大きく印刷されていた。検索した画像をまま拡大しただけのような粒の荒さ、そのパーカーは非公認のファングッズだ。ラルロは気鋭のインディーデベロッパーとして、現在3作目となる2Dシューティングゲームの開発真っただ中にあった。もう一人のチームメンバーであるカナダ人のデザイナーとはチャットで定期的に連絡を取り合い、毎日部屋に籠ってサウンドエフェクトやBGMの作成とゲームプログラムを書くことに明け暮れていた。
「ああオレもそれ、マイヤーズでいいよ。」
「はいはい。」
それぞれ氷入りのマイヤーズが行き渡った。
「ラルロはゲームづくりいい感じなのかい。」
「なかなかよ。ちょうど今日カッケエ曲ができたんだよ。これ聞いて。」
ラルロは自分のスマホを取り出してその自作曲をスピーカーから流した。曲は聖歌を思わせる荘厳な歌声で始まると、わずか数秒のうちにレーザー光線と爆発によって突如ドラムンベースの展開に引きずり込まれる。そしてメインパートに入ってからはしばらく同様のループを繰り返しながらも微細にパターンを変えて進行し、ノリのいいギターサウンドとイントロから引き継いだ厳かな合唱の組み合わせがよく機能していた。
「4面ボス、砂漠のマンドリル型ステルス機との戦闘で流すつもりなんだ。そのステルス機はマンドリルの顔をデカくしたみたいなデザインで、頬の色の違った部分とか頭のちょんってなったアンテナ部分に部位破壊を仕掛けて、攻撃方法にはガレッガのブラックハートをオマージュしたやつにしようかなって。でもねえ、ブラックハートオマージュってインディーシューティングだとよくあるからさあ。なんかお決まりみたいに使うのもあれだし。もうちょっと気の利いたアレンジがないもんかなって今は悩み中。」
「うーん、やっぱりガレッガは凄いゲームだね。未だにあの音楽を聞くだけで記憶が蘇ってくる。」
「だからこそ何か新しい攻撃方法に転換したいんだよねえ。まあ、ある程度できたらマスターもタウも今度テストプレイ頼むぞ。」
「うん。やる。」
ガンマンにはこの日、2人以降の客は訪れなかった。代わりにマスターとラルロによるシューティングゲーム談義は深まり、盛り上がったマスターが引っ張り出してきたモニターで二人の大好きなHellsinker.とケツイをやり、タウはその熱の舞うやり取りを隣から眺めながら横やりなど入れず、次々にグラスの酒を飲み干しているだけで満足だった。
ガンマンからの帰り、ラルロは、苦しそうに唸るだけで動かなくなってしまったタウの肩を担いで家まで運んでやった。タウを運び終えて自分の家に戻ってもラルロにはまだ元気がありふれており、ガンマンで摂取したアルコールと2本の傑作で再確認したパワーも借りてさらにもう一曲ボス戦BGMを作り、尽き果てたあとはイーグルダイブでベッドの中に落ちていった。翌朝になってタウは自宅の布団で目を覚ますと、どうして自宅に帰ってこれたのか不思議に思いながら、きっとマスターがタクシーを呼んでくれたのだろうといった勝手な想像を膨らませた。むしろガンマンで飲んでいるあいだ、眺めていた2人のことの方が鮮明過ぎるほど記憶されていた。タウはもうしばらく眠ることにした。