第232話:空母セラフィム側の探索
【追憶の光、彼方より】
暗黒の虚空に、ゆっくりと光が走った。
その光は、かすかな救難信号――一瞬だけ宇宙のノイズを貫いた、微弱な電子の息吹。
艦橋に緊張が走る。
「……今の、救難信号を見た?」
アスが声を震わせた。
通信オペレーター席のディスプレイに表示された光点は、たった一度だけ点灯し、そして――消えた。
「確かに……一瞬でしたが、確実に受信しました」
フィフが解析コンソールを見つめ、声を抑える。
冷静なはずの彼女の声に、僅かに焦燥が混じるのを、アスもセラも聞き逃さなかった。
「距離、推定……光年単位の誤差があるけど、約――」
「言わないで。お願い……」
アスは小さく制止した。
だが、フィフは首を振る。
「……約1,000光年先。航路データにもない宙域。既知領域の外側――“暗灰宙域”です」
艦橋に沈黙が落ちた。
誰もが言葉を失う距離だった。
〈セラフィム〉と〈アストラリス〉の最高速でさえ、ワープを何度繰り返しても一年以上かかる。
その間に、信号の主が存在を保てる保証など――どこにもない。
「この距離だと、どんなに急いでいても約一年は……かかる……」
セラの声は、艦橋中に微かに響いた。
その姿は、金色の髪を照明に濡らし、普段の快活な彼女とはまるで違う。
「アス、どうするの? そんな距離……。戻れる保証もないのよ?」
「いいの……。戻れなくてもいい」
アスは短く、静かに言った。
その声には震えがあったが、決意もあった。
「――貴志さんが、あそこにいるなら。行くしかない」
「……」
セラは唇を噛み、モニターに映る救難信号が発信された箇所までの航路の光線を見つめる。
真っ黒な宇宙の中に、淡く滲む一線と目的地の光点。
その光は、まるで星屑の涙のように儚かった。
「アス」
フィフが静かに言葉を重ねる。
「行くというのなら、私は計画を立てます。リスクは――全て計算済みです」
「……計算済み?」
アスが小さく笑った。
「そんなもの、今さら意味ある? “彼”がいないんだよ、フィフ」
「意味があります。彼は必ず、生きています。だから――迎えに行く計算を立てるのです」
フィフの声は冷静だったが、その瞳の奥では、わずかに青白い光が揺れていた。
それは人間の涙の代わりに、人工瞳が滲ませるエラー光。
感情制御の限界を超えたAIの“悲しみ”だった。
セラはその光を見つめ、深く息を吐いた。
「……いいわ。私も、反対はしない。
でも、アス。あの人が望むと思う? こんな危険な航行を」
「望まなくても、私は行く」
アスはゆっくりと拳を握る。
「私は、彼の艦。〈アストラリス〉そのもの。
彼が帰る場所を、守れなきゃ……艦でいる意味がないの」
艦橋の照明が少しだけ暗くなり、最大戦速モードのオレンジ色のランプが点る。
パルパーの声が静かに響いた。
『――艦長代理。座標データの固定が完了しました。
対象宙域までの距離、ワープ補正航路、外縁宙域通過予測……全て高リスクです。
この航路を選択すれば、帰還まで最低でも宇宙暦時間で約2年を要します』
「パルパー、問答無用。行く」
アスが断言する。
「艦隊行動は私が責任を持つ。ワープエンジンを準備して。
……〈セラフィム〉と〈アストラリス〉、同調跳躍を」
パルパーは短い間を置いた後、答えた。
『了解――艦長代理。あなたの命令に従います。
……彼が、あなたたちの“光の中心”でありますように』
静かに機関音が高まる。
艦全体が震え、時空の境界が軋むような低音が艦橋を包む。
その瞬間、フィフは手元のコンソールに、たった一つの写真を映し出した。
それは――貴志とアス、ルナ、そして笑顔のリオナが、艦上で撮った集合写真。
ピントは少し甘く、光も歪んでいる。だが、その笑顔は確かに本物だった。
「行こう」
フィフが静かに言った。
「彼が、どんな星の下にいても。私たちの声を――必ず、届けるために」
アスは頷き、瞳を閉じた。
その胸の奥で、まだ聞こえる。
“戻るまで、艦を頼むぞ”――そう言った彼の声が。
光のワープゲートが艦首前方に展開し、光の輪が二重に広がる。
〈セラフィム〉の甲板を走る照明がすべて点灯し、 駆逐艦〈アストラリス〉が並走する。
ふたつの艦影が、光の奔流の中へと溶けていった。
そして、誰もいない艦橋に――貴志の笑い声が、ほんの一瞬だけ、幻のように残った。
第232話として、空母〈セラフィム〉と駆逐艦〈アストラリス〉が、貴志とリオナを探して絶望的な距離を越えようとする様子を描きました。
次話では、嵐の朝の草原に残された痕跡が、風の契約であることを知り、その意味に困惑する様子を描きます。
ご期待ください。




