第213話:修繕ドックとスール
第213話として、スールの奮闘ぶりと、ベテラン技術者に怒られながらも立ち直る姿、そして貴志が彼女を見守る様子を描きました。
【再会、群星の下で】
星の海が、静かに広がっていた。
青白い光を尾に引きながら、駆逐艦は軌道面を上昇していく。
小惑星の灰色の地表が徐々に遠ざかり、代わりに広がるのは無数の星光――。
誰もが諦めかけていた「帰還」の光景だった。
艦橋では、アスが穏やかに報告を続けていた。
「姿勢制御、安定。航行ベクトル修正、完了。――艦長、予定軌道へ復帰します」
その声には、かつての澄んだ音色が戻っている。
貴志は艦長席で深く息を吸い込んだ。
胸の奥にまだ緊張の余韻が残っている。
あの小惑星で、幾度となく死を覚悟した夜を思えば――この振動すら、夢のように思えた。
モニターが一瞬、点滅した。
ルクトの声が艦内スピーカーに響く。
「前方宙域に反応あり……識別信号。――識別コード一致。空母。セラです!」
艦橋の空気が、一瞬で変わる。
アスの瞳が淡く光を宿した。
「セラ……!」
前方スクリーンに、巨大な艦影が映る。
空母――銀色の装甲板に光を散らし、まるで星を背負う女神のようだった。
その姿を見た瞬間、貴志の喉が詰まる。
――帰ってきた。
惑星ガンマの中枢を担う仲間の元へ、ようやく。
次の瞬間、通信ウィンドウが開く。
そこに映ったのは、柔らかな微笑みを浮かべた女性の姿――艦AI〈セラ〉。
彼女の光の輪郭が、淡くアストラリスの艦橋を照らす。
『アストラリスとの通信回線確立。……こちらは空母セラフィム。ようやくですね。おかえりなさい、アス、司令官』
「セラ……!」
アスの声が震えた。
『あの小惑星で通信が途絶えた時、本当に心配しました。あの小惑星は引力が強く、通信が途絶する可能性がありましたが、実際に途絶してしまった時は、レーダーや探索ドローンが、あなたたちを探していたのです』
貴志は苦笑しながらも、言葉を探した。
「……心配かけたな。だが、なんとか帰ってきた」
『はい。――無事で、よかった』
その言葉は、電子信号ではなく、確かに“人の温かい心”を持っていた。
アスは胸に手を当て、静かに頷く。
「セラ、私たちはもう大丈夫。……アストラリスは、まだ走れる」
『ええ、知っています。あなたが再び光を取り戻したこと、セラフィムの全員が感じています。』
セラの笑みは、まるで母のように優しかった。
アスは少し涙ぐみながら、光の中で微笑んだ。
貴志はそんな彼女を見つめ、静かに息を吐いた。
艦橋の誰もが、言葉を交わさずとも――心の中で同じことを思っていた。
――帰還。それは、生き残った者だけに許された、最も重い祈り。
【アストラリス入港】
――数日後。交易都市〈アルカナ・トレードシティ〉 修繕ドック。
濃紺の宇宙を滑るように、駆逐艦が姿勢制御を行いながら、交易都市〈アルカナ・トレードシティ〉の修繕ドックへと進入していった。なお、空母セラフィムは、艦のサイズが大きく、交易都市〈アルカナ・トレードシティ〉には着岸出来ない為、衛星軌道上で待機していた。
入港したアストラリスは、船体は依然として焦げ跡を残し、小惑星に不時着した際での損傷を色濃く残しており、不時着時の激しさの爪痕を残してあった。また主冷却管の一部は、臨時修理の仮溶接や補強鉄骨が残され、動力炉心もスールが手製で組み直した応急処置のままだった。
「ドックコントロールより《アストラリス》、係留完了を確認。炉心出力、五パーセントまで減衰を推奨」
「了解。アス、出力を落とせ」
「出力減衰開始。安全モードに移行。……貴志、あの子、少し落ち込んでるみたいね」
アスの透明な声に、貴志は視線を艦内通路の端に向けた。
そこでは、整備服の袖をまくり上げた少女――スールが、気まずそうにレンチを抱えて立っていた。
頭にはバンダナ、腰には工具の詰まったポーチ。肩に煤がついていても気にせず、明るく笑うのがいつもの彼女だったが……今は少し元気がない。
「よ、よかったぁ……主機関の炉心は、爆発しなかった……」
「スールの腕を信じているからさ、爆発はしねぇよ」
貴志は苦笑しながら言った。
「でもな、あの冷却ポンプ、配管が逆方向になってたぞ。もし、アスが制御システムのイエローアラートに気付かないまま、負圧バランスが崩れてたら、炉心が暴走してたかもしれないんだぞ」
「うぅ……だって、図面が擦れて読めなかったんだもん……でも、応急処置はしたよっ!」
「直してなきゃ今ごろ俺ら宇宙の塵だ」
アスが少し呆れた声でため息をつく。
「スール、直感で作業する腕は確かなのに、少し図面の見方を勉強しないと、また修繕ドックで怒られるわよ」
「……うぐっ、それはイヤぁ……」
スールは肩を落としながら、そっと目を逸らした。
【修繕ドック第4区画にて】
アルカナ・トレードシティの修繕ドックは、古参の技術者たちが集う“腕の街”だ。
彼らは数えきれない艦を見てきた熟練者で、艦体のひずみを見るだけで修理の方向性を言い当てる。
そんなベテランたちの前に、スールは両手を胸の前でぎゅっと握り、緊張に震えていた。
「で、これが……あんたが取り付けた冷却ポンプ、か?」
低くしわがれた声が響く。
灰色の作業服を着た初老の技術者、グレンが、配管を覗き込みながら鼻を鳴らした。
その目はまるで鋭利なスキャナーのように、ミスを見逃さない。
「はいっ……! き、急いでたので、一部配管は仮固定で――」
「仮、だと?」
グレンの眉間に深い皺が刻まれた。
スールの言葉に、周囲の技術者たちがざわめく。
「若いの、仮で炉心まわりをいじる奴がどこにいる? あんた、命知らずか?」
「す、すみませんっ! でも、緊急だったんですっ! あの時は小惑星で部品も図面も見にくく、応急的で――」
「おまえなー。言い訳する前に、この配管図を見ろ。ここの流量バルブが上下逆。しかも溶接は甘い、こりゃ圧がかかった瞬間にぶっ飛ぶぞ!」
スールの顔が一瞬にして青ざめた。
「そ、そんなぁぁぁ……!」
工具を取り落としかけて慌てて拾う姿に、ドック全体の空気が和らぐ。
グレンは深い息を吐き、額を拭った。
「まったく……。上下逆に付けつつも、冷却材の流入が制御されているところは見所あるけどさ。でもさ、ずっとは使えないぞ。こりゃ一から始めからやり直しだ。お嬢ちゃん、見てろ。これが“本職”の仕事だ」
そう言って、彼は溶接トーチを手に取り、正確無比な動作で接合部を組み直していく。
火花が散る中、スールはぽかんとその手際を見つめていた。
「す、すごい……流れるみたいに、まっすぐ……!」
「経験ってのはな、失敗の数だけ積もるんだ。だが、その失敗を次に生かせる奴はほんの一握り。……お前がその一握りになれ」
その言葉に、スールの目が潤んだ。
「わ、わたし……がんばりますっ! もう二度と、逆配管なんてしませんっ!」
「当たり前だ!逆うんぬんの前に、図面の読み方からだ!直感で作業するのは大概にしろ!」
グレンの声が響くと、周囲の整備員たちが笑い声を上げた。
【ドック外、観測デッキにて】
貴志は作業を遠巻きに見ながら、腕を組んでいた。
その背後では、アケロンがドローンを通じて補助作業をしている。
「貴志さん、顔が少し笑ってますよ」
「……そりゃそうだ。あの子、怒られて泣くかと思ったが、立ち直り早ぇな」
「彼女、泣き虫ですけど、芯は強いですから」
「まぁな。あのスピードで復帰できるのは大したもんだ」
ふと、視界の向こうでスールがこちらに気づき、手を振った。
その笑顔は、先ほどまでの涙をすっかり拭った快晴のようだった。
貴志は無意識に、少しだけ胸が熱くなるのを感じた。
(まったく……あの明るさ、ずるいな)
彼は静かに呟く。
アケロンが横目で彼の様子を見て、クスリと笑った。
「貴志さん、顔が赤いですよ」
「うるせぇ」
【数時間後、修繕完了報告】
「貴志さぁんっ! 炉心冷却ライン、完了しましたーっ!!」
汗だくのスールが飛び込んできた。頬には油汚れ、手にはまだレンチを持ったままだ。
「見てくださいっ、今度は完璧ですっ!」
「……あぁ、確認する」
貴志は笑いを抑えながら、炉心の制御モニターを確認した。
すべての数値が安定、冷却バランスは理想値に近い。
「……よくやった、スール。完璧だ」
「へへっ、やったぁっ!!!」
スールは飛び上がって両手を上げた。
その明るさに、アスの声が少しだけ柔らかくなる。
「ふふ。やっと“アストラリスの技術主任”らしくなってきたじゃない」
「はいっ! 今度は誰にも怒られませんっ!」
貴志は笑いながら、そっとスールの頭を撫でた。
スールは一瞬びっくりして、頬を赤く染める。
「き、貴志さんっ!? い、今のは……!」
「お疲れさん、って意味だ。深い意味はねぇ」
「~~っ、そ、そうですよねっ、はいっ!」
だが、その声の裏に、わずかな鼓動の高鳴りがあった。
それは貴志も同じで――
互いの視線が一瞬だけ交錯し、すぐに逸らされた。
修繕ドックに、笑いと溶接の音が交じる。
戦いの終わりと、新しい始まりを告げる音。
《アストラリス》は再び、銀河の航路へと戻る準備を整えていた。
【アストラリスの整備】
作業を終えたあと、貴志はドックの観測デッキで、修繕中のアストラリスを見つめていた。
溶接の火花が艦体を照らし、少しずつ新しい金属板が貼り重ねられていく。
その姿は、まるで“生き直している”ようだった。
「……また、宇宙へ出られるな」
彼が呟くと、隣に立っていたアスが静かに微笑んだ。
「ええ。次は、もう少し無茶を減らしましょう。艦長」
「う……それは耳が痛いな」
アスはくすりと笑い、空を見上げた。
そこには、修繕ドームのガラス越しに広がる星空があった。
《セラフィム》が軌道上で光を放ち、その下に、彼らの“艦”――アストラリスが貴志達の指示を待っている。
「また一緒に行こう、アス。どこまでも」
「はい。私はあなたと、この艦と、星の果てまで」
二人の言葉が、金属の反響音の中に溶けていった。
それは、再出発を誓う静かな祈りだった。
次話では、惑星ガンマに駐留している戦艦エウノミアの復帰の第一歩として、再稼働に必要な「主機関プラズマコア」を持って帰る様子を描きます。
ご期待ください。




