第210話:アストラリス救援作戦②
第210話として、貴志、アス、フィフ、スールがアストラリス救援の為、小惑星へ降下する「着陸船でのトラブル」を中心に描きました。
【小型着陸船への搭乗】
小惑星軌道上、空母セラフィムの主視界には、灰色の岩塊が広がっていた。
微弱な磁気嵐がその表面をなぞり、砂塵が宙に舞っては、無音の爆風のように消えていく。
「司令官、着陸船の射出準備完了」
セラの報告に、貴志は深く息を吸った。胸の奥で、心臓が鈍く打つ。
――この降下を成功させなければ、アストラリスの救援ほ絶望的になる。誰ががまた小惑星の地表面に降り立つ必要があった。
「了解。こちら貴志、最終チェック開始。フィフ、エネルギーライン監視。スールは航行系統、アスは姿勢制御を頼む」
「了解しました、艦長!」
「は、はいっ、航行管制接続、異常なしです!」
「了解。推力ベクトル出力、スタンバイ状態に」
各自の声が重なる。
その短いやりとりに、いつもの温かみと違う“緊張の糸”が走っていた。
発艦ハッチが開く。
視界に映るのは、星も見えない虚空――重力の歪む空間。
小惑星の微弱な重力圏が《イリュシオン》を掴み、滑るように引き込んでいく。
【着陸船発進】
「発艦、行くぞ」
「――発艦シークエンス、オールグリーン」
アスの声とともに、着陸船が光の尾を引いて宙へと飛び出した。
機体が震え、船体を叩く粒子音がわずかに響く。
座席のベルトが貴志の胸を締めつける。
「重力井戸に入る、アス、姿勢制御補正」
「補正開始……う、少し引きが強い。重力波形、乱れてます」
「セラ、そちらから状況を解析してくれ!」
『こちらセラフィム。解析したところ、重力場に局地的な歪みを検知。引力残留波が未減衰、安定軌道ではありません』
セラの声は冷静だが、その奥に微かな焦りが滲む。
「くそ……これじゃあ自動航行管制が保たない」
「手動制御に切り替えますか?」
フィフが即座に提案した。
だが、アスがわずかに眉を寄せるような声で制止した。
「手動切替はまだ早い。重力波のピークを超えた瞬間に制御権を移さないと、推力バランスが壊れる」
「けど、時間がない……!」
「落ち着いて、スール」
貴志は低く言った。彼女の細い手が震えているのが見えた。
スールは搭乗整備士、エンジニアだ。点検や修理などの物理的な処理は高速だが、こうした“予測不能な不安定状況”にはまだ慣れていない。
彼女の瞳が、どこか怯えたように青白く光る。
「アス、航行制御、僕が補助する。波形のピーク、あと何秒だ?」
「……残り、十八秒」
「よし、補正角五度、推力二十パーセント上昇――今だ!」
貴志の号令と同時に、船体が傾き、慣性がねじれるように重力の流れを滑った。
イリュシオンは一瞬、星のない空へと逆落ちしていく感覚に包まれる。
スールが短く悲鳴を上げた。
「機体姿勢角、マイナス二十、修正します!」
「推力再配分、ベクトル均衡、フィフ、補助お願い!」
「了解――出力ライン、補正完了。反応炉負荷、許容範囲です!」
【着陸船の不具合】
その瞬間、船体を叩くような衝撃。
“バチィッ”と高周波の電流が走り、警告灯が赤く染まった。
「管制系統にノイズっ……!」
スールの声が震える。
「通信系統、断続的に不安定!」
「セラフィム、応答せよ!セラ!」
だが返ってくるのは、ノイズ混じりの断片だけだった。
『……重……干渉……、司令官……応答……っ』
「くそっ……完全に孤立したか」
貴志は歯を噛み、息を吐いた。
手のひらには汗が滲む。だが目は、真っ直ぐ前を見据えていた。
――怖い。でも、止まれない。
アストラリスが待っている。俺達の艦アストラリスが、あの小惑星の奥で。
「アス、手動操縦に切り替える」
「了解、貴志」
彼の声に、アスの音声がわずかに柔らかくなる。
「あなたなら……この重力の流れを、掴める」
「期待してるってことか?」
「ええ、信頼です」
その短い一言が、彼の胸を熱くした。
指先が自然と震えたが、それを抑え込むように操縦桿を握りしめる。
フィフが静かに支援回路を操作しながら呟く。
「……あなたの鼓動が速くなっています。けれど、それは恐怖ではありませんね」
「どういう意味だ?」
「かつて、あなたが“戦場で生きていた時”と同じ鼓動です。命を燃やす鼓動」
「……そりゃ、懐かしいな」
貴志はわずかに笑った。だが、その瞳は燃えるように真剣だった。
スールが泣きそうな声で呼びかけた。
「軌道……!もう少しで、安定軌道です!」
「よし――スラスター点火、角度固定!姿勢制御ロック!」
「制御系、安定しました!」
「着陸進入、成功率、六十八パーセント。……やりますか?」
アスの問いに、貴志は短く頷いた。
「もちろん。行くぞ、アストラリスのもとへ!」
次の瞬間――
《イリュシオン》は重力の淵を抜け、閃光のように小惑星の地表へ滑り込んだ。
薄い砂塵が弾け、無音の衝撃波が宙に広がる。
外装のシールドが焼け焦げ、機体はぎりぎりの姿勢で着陸脚を突き立てた。
【小惑星への着陸】
沈黙。
重力が戻り、船内に安堵の吐息が満ちる。
「……着陸、成功」
貴志の声が震える。だが、それは恐怖ではなく、達成の余韻。
「よくやりましたね、貴志様」
フィフが穏やかに微笑む。
「あなたの手で、再び“光”を取り戻しました」
アスは静かに彼の隣で言葉を続けた。
「ここからが、本番ですよ。アストラリスが、私たちを待っています」
スールは胸を押さえながら、かすかに微笑んだ。
「……怖かったけど、信じてよかったです。貴志さんの操縦……すごかった」
「ありがとう。次は、彼女を――アストラリスを、取り戻す番だ」
灰色の空の向こうに、かすかに光る青白い船影。
かつて共に戦った駆逐艦が、沈黙の底で彼らを待っていた。
――そして、その再会は、新たな融合の始まりとなるのだった。
【沈黙の艦、目覚めの声】
着陸船のハッチが開くと、淡い灰色の粉塵が吹き込んだ。
薄暗い空の下、あちらこちらに不時着し、放棄された艦の残骸が散らばる小惑星の地表は、まるで陸のサルガッソー、死の砂漠だった。風はなく、ただ遠くで微弱な放電の光がちらついている。
そこに――見えた。
岩陰に半ば埋まるように横たわる、艦影。
約2日前まで搭乗し、星々を翔けた駆逐艦。
その船体には、不時着時の損傷で所々が黒く焦げ、主砲塔は沈黙したまま、冷たい小惑星の空に影を落としていた。
「……やっと帰ってきたな」
貴志が小さく呟く。その声に、アスはそっと頷いた。
「はい。……でも、あの静寂は、補助機関も一時的に停止している可能性が捨て切れません。サブ艦AI達は……眠っているかも知れません」
ヘルメット越しに息を整え、貴志はハーネスを締め直した。
「よし。全員、艦内突入準備。周辺放射線レベルは?」
「許容範囲内です」フィフが即答する。「ただし、この場所は引力による電磁干渉が強く、空母セラフィムとの通信は安定しません」
「了解。アス、光量子通信で最低限のリンクを保て」
「確立しました。……でも、この静寂の中で感じるノイズ、妙に“懐かしい”です」
アスの言葉に、貴志は苦笑をこぼした。
「懐かしいって言葉が出る時点で、もう“アストラリス本体とのリンク”が切れてしまったんだね」
「残念ながら、そう言われても仕方ありません」
【アストラリスへの侵入】
彼らは艦首側のハッチに取りついた。
スールがポータブル端末を操作する。
「艦内圧、レベル低下。艦AIからの応答、……なし。補助機関稼動停止に伴い、電気的にロック機能が稼動しません」
「ならば、仕方がない。物理的にこじ開ける」貴志はハンドトーチを抜いた。
青白い火花が散り、金属の焼ける匂いがヘルメットのフィルター越しに伝わる。
ゆっくりと、軋む音を立てながらハッチが開いた。
――そこは、時間が止まった世界だった。
暗闇に満ちる漂う粒子、焼け焦げたケーブルの匂い。
艦内照明は落ち、壁面を這う補助光の反射だけが道を照らしていた。
「……アストラリス艦内、通路に侵入。照明及び空調類の稼働なし。内部温度マイナス十二度」
報告しながらも、貴志の胸は重かった。
記憶が甦る――この艦の中で笑っていた仲間、戦闘の閃光、サブ艦AI達の声。
だが今、その全てが沈黙している。
「アス、感じるか?」
「ええ……わずかに、艦中枢コアに反応があります。主機関及び補助機関停止後も、記憶メモリーを残す為、バッテリーを稼働させつつ休眠状態……ルクトと、エナです」
「……やはり」
貴志は息を詰める。
ルクトとエナ――アストラリスのサブ艦AIであり、アスの補佐を担う存在。
彼らがまだ“動いている”のなら、この艦に魂は残っている。
艦中央通路を進む。
床の金属が微かにきしみ、照明が点滅する。
そのたびに、スールがビクッと肩をすくめた。
「……だ、大丈夫ですよね?」
「平気だ。こいつはまだ俺たちの船だ」
そう言いながらも、貴志自身、胸の鼓動が早まっていた。
――そして、艦中枢に辿り着く。
そこには巨大なコア・ユニット。中央のホログラム台座に、薄く光が走る。
「……起動信号、送信します」
アスが手を伸ばした瞬間、静寂を切り裂くように低い共鳴音が響いた。
青白い光が螺旋を描き、コアの中枢が再起動を始める。
そして、声がした。
【サブ艦AIの起動】
『――誰ですか……? 侵入者ですか……?』
冷たくも、どこか懐かしい女性的な声。ルクトだ。
『本艦は……アストラリス。全系統、損傷……主制御ユニット、アス様……応答が、ない……』
アスが一歩、前へ出た。
「ルクト、私です。……帰ってきました」
一瞬、静寂。そして、コア光が強まる。
『アス……? ――信号一致……あなた、本当に……? あなた様は小惑星を離脱したはずでは……』
「そう。でも戻ってきた。あなたたちを迎えに」
もう一つ、柔らかい女性の声が重なった。
『アス様……おかえりなさい……長かった……ずっと、待ってたのよ』
「エナ……!」
アスの声がわずかに震えた。
フィフがその横顔を見つめ、そっと微笑む。
――アスに“涙”という機能はない。それでも、今の彼女の声には確かに“感情”があった。
『状況を報告します。艦内機能の七十二パーセントが破壊、主機関部は損傷、外部通信は断絶状態。主艦長不在期間、四十八時間』
『……でも、もう一度動ける。あなたが戻ったから』
アスは静かに答えた。
「再起動計画を開始します。艦長、お願いします」
「ああ。ルクト、エナ、俺はこの艦の艦長、貴志だ。アストラリスを救いに来た」
『――貴志様……? カンチョが……』
ルクトの声にわずかな警戒が混じる。
『我々は、アス様と、艦長のお帰りをお待ち申していましたが、約2日間の放置の理由をお教え頂きたい!』
貴志は息を呑んだ。
その問いは、鋭く、重かった。
――自分が招いた、無数の戦いの記憶が蘇る。
仲間を救えなかった夜。アスを守るために犠牲を払った過去。
「……俺は完璧じゃない。多くを失った。だが、今は違う。今度こそ、“皆で”生きて帰る」
ルクトの光が一瞬、揺らいだ。
『……“皆で”か。昔、艦長も同じことを言っていたな』
そして、声が静かに和らいだ。
『了解。アストラリス、あなたに再び指揮権を委譲します、貴志』
その瞬間、艦内に微かな振動。
長く眠っていた心臓が再び鼓動を打つように、電力ラインが一つ、また一つと光り始めた。
エナの声が優しく響く。
『アス様、あなたが戻ってきてくれて本当によかった……寂しかったの』
「私も……あなたたちの声を、ずっと聞きたかった」
アスは穏やかに微笑むように言った。
それを見て、貴志は胸の奥で熱いものを感じた。
AI同士の会話――それなのに、まるで家族の再会のように温かい。
フィフが静かに言葉を添える。
「――アストラリス、あなたの再起動は、彼にとっても救いです。
どうか、もう一度、彼と共に歩んでください」
ルクトが短く応えた。
『了解。……艦魂、覚醒開始。全コアユニット、再接続モードへ移行』
艦内を走る光が増し、空気の震えが強まる。
壁面に埋め込まれたエネルギー管が、淡い青に光る。
アストラリスが――再び“目覚めよう”としていた。
その光景を見上げながら、貴志は静かに呟いた。
「帰ろう、アストラリス。お前の仲間のもとへ」
アスが隣で微笑む。
「はい……あなたの艦であり、私たちの家です」
コアユニットの奥で、ルクトとエナの声が重なる。
『アストラリス――再生シークエンス、開始。ようこそ、艦長、そしてアス。』
青い光が艦内を満たし、沈黙の艦は再び“生命”を得た。
次話として、駆逐艦アストラリス救出作戦の続編として、スールを中心とした修理・部品調達作戦を描きます。
ご期待ください。




