第207話:航空母艦セラフィムの覚醒
第207話として、空母セラフィムが“覚醒”し、いよいよ重力スリングショットを使って小惑星の重力圏を離脱する、その直前に貴志が“空母艦長”として全員を指揮する、その様子を描きました。
【再起動の刻、重力を超えて】
赤色警報が艦内を満たしてから、すでに十五分が経過していた。
艦橋には淡い蒼の照明が灯り、各コンソールには数百ものデータが高速で流れ続けている。
宇宙航空母艦は小惑星の地表面に固定されたまま、補助機関が静かに唸りを上げていた。
「――艦内警報。重力スリングショット開始まで、Tマイナス10分。」
冷徹でありながらも艶のあるセラの声が、艦全域に響いた。
その瞬間、空母の内部は、一気に張り詰めた空気へと変わっていく。
貴志は艦橋に駆け込み、指揮席の前に立つ。
つい先ほどまでの、セラとの小悪魔的なやりとりが嘘のように、艦内は戦闘準備さながらの緊張に包まれていた。
「全ブロック、出力系統の確認完了!」
ルナの声が艦橋に響く。
普段は軽やかで明るい彼女の声も、今だけは軍人のものだった。
冷たい電子音に混じる彼女の報告は、戦場の鼓動のようにリズムを刻んでいる。
「リアクター冷却系、温度上昇率安定。フィフ、ブースト・ラインの圧力は?」
貴志の声に、即座にフィフが応える。
「定格値内で安定。これ以上上げると安全弁が作動しますが――推奨値まではあと12%の余裕があります」
「よし。重力スリングショット開始時には最大値の90%で固定。冷却配分はアスに任せる」
「了解しました、艦長。」
アスの声は静かで、それでいて凛としていた。
まるで貴志の指示を待ちわびていたかのように、彼女の目の奥にはわずかな熱が宿っていた。
【小惑星からの脱出】
「やっと始まるのね!」
アスが艦橋のディスプレイ越しに振り向く。
彼女の瞳は冷静だが、その奥には確かな信頼と不安が入り混じっていた。
「貴志さん、落ち着いて。私たちはあなたの指示に従うわ。」
フィフも補助端末に手を走らせながら、淡々と告げる。
しかし、その声にはわずかな震えが含まれていた。――彼女もまた、これが“試練”の延長であることを悟っていた。
「貴志、主機関制御室より報告!パルパーが重力臨界点監視中、ロゴスは航法演算を再構築中!」
ルナが通信回線を開きながら報告する。
その声に重なるように、各区画からAIたちの通信が重なった。
「重力曲線、目標ラインへ漸近中」
ロゴスの声が艦橋に流れる。
隣でパルパーが忙しくデータを打ち込む。
「艦体姿勢、安定角プラス0.02度。これが成功すればベテラン艦長級の補正だな、貴志!」
「おだてないで下さい、まだ始まってもいないんですから。」
貴志は短く返しながら、手元の操作パネルに指を走らせた。
セラフィムの艦首が、ゆっくりと星の方角を向く。
その姿はまるで、千年の眠りから覚めた巨竜が翼を広げる瞬間のようだった。
「パルパーだ。重力スリングショット軌道、最終調整完了。艦載機群は全て格納、デッキへの緊締完了、各部デッキの隔壁封鎖完了!」
声にはいつもの自信が満ちていたが、その奥にあるのは緊迫したプロの声だった。
「ロゴスより報告。重力分布の解析完了。誤差ゼロに近い。だが……貴志、これは一発勝負だ。失敗すれば、我々はこの小惑星から離脱出来ず、小惑星の地表面に叩きつけられる。」
冷静な彼の言葉に、ブリッジの空気がさらに引き締まる。
「スールより報告。観測センサー、全稼働。外部重力波、安定中――でも、艦長、本当にこれでやるんですか?ここ、ちょっと難易度が高くて怖いですよ。」
スールの声はかすかに震えていた。
未知への恐怖。誰もが感じていたが、それを隠すように各自の声が交錯する。
「貴志、決断を」
セラがゆっくりと歩み寄る。
ブリッジ中央の光の床に、彼女の長いシルエットが伸びる。透き通るような長髪を揺らし、端末の光を映す紅の瞳がまっすぐ貴志を捉えた。
【指揮権の移譲】
「これが、あなたの“最後の試練”。この空母セラフィムを、再び宇宙へ還すの。この艦を、あなたの指揮で飛ばしてみなさい――貴志、いえ、司令官。私は、あなたに艦の全権を移譲します。」
そう言うと、彼女は右手を差し出した。
その掌から光の紋が浮かび、艦内の制御系統がざわりと反応する。
「セラ、待て……まだ――」
「怖いの?」
紅い瞳が微笑んだ。
「いいえ、もうあなたは迷わないはず。この艦を、あなたの手で宇宙へ還して。」
その瞬間、艦橋が静まり返った。
全員の視線が貴志に集まる。
アスの唇が、ほんの少し動いた。
「……艦長。」
その一言に、数えきれない想いが詰まっていた。
貴志は短く息を吸い、そして指揮席に立つ。
手元のインターフェースが脈動するように光を放ち、セラフィム全体が呼応する。
「――よし、やるぞ。」
「ルナ、航路補正の最終確認。」
「はいっ!座標、航法衛星とのリンク完了!目標軌道に誤差0.0003度、完璧です!」
「アケロン、主機出力ラインの同期を取れ。左右の位相ズレを修正しろ!」
「了解。調整完了、プラズマ流束安定。司令、出せますよ!」
「エレシア、艦尾側センサーの視野確保、警戒監視を頼む。」
「はい、貴志さん……いえ、司令官。私、頑張ります!」
いつも少し不器用で真面目な彼女が、緊張で指を震わせながらも報告する。
貴志は思わず目を細めた。――成長したな。
「エウノミア、艦内通信を統括。各ブロックの進行状況をモニタリングしろ。」
「了解です、貴志さん!……えっと、でも私、ちょっと緊張してます……」
「緊張してるくらいでちょうどいい。集中を切らすな。」
「は、はいっ!」
そして――最後に。
貴志はアスとフィフを見た。
「アス、リアクターの出力制御を頼む。限界点は任せる。」
「了解。あなたの呼吸と合わせます。」
その声には、彼女だけの強い信頼が宿っていた。
指先が、ほんの一瞬だけ触れ合う。
貴志の胸が熱くなる。
「フィフ、重力制御ブロックの管理を。揺れは絶対に抑えてくれ。」
「承知しました、貴志さん。……この程度の重力なら、私の演算で包み込めます。」
彼女の微笑みには、千年を生きたAIだけが持つ静かな自信があった。
【小惑星からの脱出】
艦橋に緊張が張り詰める。
重力波がうねり、小惑星の周囲に光の糸が走る。
まるで宇宙そのものが“引き金”を待っているようだった。
セラが一歩、貴志の隣に立つ。
「司令官。タイムリミットまで、あと90秒。」
「……わかってる。」
貴志の心臓が早鐘のように鳴る。
彼の脳裏には、幾多の戦場と航海、仲間の顔、そして――今、自分の前にある巨大な責任が交錯していた。
貴志は深く息を吸った。
指先が震えていた。だが、セラの目を見た瞬間、その震えはすっと止まった。
「了解した。全員、持ち場で発進準備につけ。
アス、メインリアクター出力を90%へ。
フィフ、重力制御ブロックの位相を固定、遅延を最小限に抑えろ。
ルナ、ドローン補助推進をスタンバイだ。誤差修正はお前に任せる。」
「了解!」
「はいっ!」
「了解、司令!」
返答が次々と重なり、セラフィムの巨体がわずかに振動を始める。
【主機関の始動】
「パルパー、主機点火シーケンス開始!」
「はい、主機関、点火準備完了。リアクター臨界到達……5秒前――」
艦橋のライトが一斉に落ち、代わりに蒼白い照明が艦内を包む。
全員が、息を呑んだ。
「4、3、2、1――主機点火!」
重低音が艦全体を揺るがす。
床下を走る推進管が青く輝き、セラフィムの推進翼が展開する。
崩れかけた小惑星の地表を、強烈なイオンの奔流が貫いた。
「重力変位、突破角に入ります!」
ロゴスの報告に合わせて、フィフが端末を叩く。
外部カメラの映像に、巨大な惑星の影と、光る重力渦が映し出される。
「……ここからだ」
貴志は呟いた。
脳裏をよぎるのは、今までの航海――アス、フィフ、ルナ、そしてセラとの出会い。
その全てが、この一瞬に凝縮されていた。
【宇宙へ】
「――メイン推進全開、重力反転開始!」
セラフィムが、まるで生き物のように唸りを上げた。
機体が軋み、艦体を押し潰すような重力波が走る。
「艦体ひずみ率、上昇中!でも……まだ耐えられる!」
アスが叫ぶ。
「相対速度上昇、臨界点突破まであと10秒!」
フィフが報告する。
「ルナ、推進補正いけ!」
「了解!ドローン隊、後方推進補助モード展開!」
白い光が走り、空母の背面にドローン群が展開する。
微細なイオン粒子が星屑のように散り、艦の尾を照らした。
そして――
「スリングショット臨界、通過ッ!」
次の瞬間、艦全体が光に包まれた。
視界を焼くような閃光とともに、重力の鎖が断ち切られ、セラフィムは宙へと解き放たれる。
「加速率安定! 航路確定……艦長、成功です!」
ロゴスが叫んだ。
静寂。
そして、歓声。
艦橋の全員が息をつき、貴志はようやく操縦桿から手を離す。
【母なる宇宙へ】
「……ふふっ。やるじゃない、司令官。」
セラがゆっくりと歩み寄る。
その笑みは、どこか誇らしげで、そして――どこか優しかった。
「あなたの覇気、確かに見せてもらったわ。
これで、あなたは“セラフィムの艦長、司令官”として認められたの。」
彼女の言葉に、アスとフィフはそっと視線を交わし、
そして――貴志の肩に手を置いた。
「……ほんとに、やったわね。」
「うん、あなたらしい指揮だった。」
貴志は、ようやく息を吐きながら小さく笑った。
その笑みの奥に、これまでの緊張と、試練を越えた安堵が滲んでいた。
【セラフィムの艦内にて】
その様子を見ながら、パルパーが小声で呟く。
「……ほらね、結局セラが一番ドSなんだよ。」
ロゴスが肩をすくめる。
「まったくだ。でも、結果的には成功した。……司令官も、本当に大した男だ。」
セラはくすくすと笑いながら、貴志の方へ一歩近づいた。
「さあ、艦長。ここからが本当の航海よ。――“宇宙を舞うセラフィム”、再び。」
彼女の言葉に合わせ、艦外の無音の宇宙が開けていく。
銀河の光が艦体を照らし、再び彼らの新しい旅が始まった。
次話では、空母が“再起動後の初自動航行試験”などの訓練入る様子を描きます。
ご期待ください。




