第192話:アストラリス座礁
第192話として、サルガッソー宙域突入後の「目視操艦による緊迫した航行」と、主機関の不可解な異常によって小惑星に引き寄せられていく様子の恐怖感を描きました。
【闇の中の航行】
漆黒の虚空を切り裂くように、アストラリスは進んでいた。だが、通常の宇宙航行とは決定的に違っていた。
艦内のレーダーディスプレイはノイズに覆われ、通信システムは軋むような雑音しか返さない。普段は役立つ電子の眼や耳も、このサルガッソー宙域ではことごとく無力化されており、役に立っていなかった。
「アクティブレーダー及びパッシブレーダー、沈黙。外部探索センサー及び磁気感知センサー、何れも反応なし。……当初の想定通り完全に稼働不可能です」
エレシアが報告する声は張り詰め、震えを押し殺すようだった。彼女の白い指は近接センサーのパネルを必死に操作している。艦内で唯一まだ機能する“目の代わり”を頼りに、周囲の重力場を探る。
「やはり、目視による光学航法しかないか」
貴志は艦長席に深く腰をかけ、目を細めた。彼の前に広がるのは、乱雑に散らばる岩塊と、深い暗黒に浮かぶ無数の影。
「アス、フィフ。操艦補佐を頼む。障害物の可能性がある、わずかな反射光も逃すな」
「了解。目視航行モード、補助システムに切り替えます」
アスの声は冷静だが、その瞳の奥には鋭い光が宿っていた。彼女の指先が触れるたび、艦のスラスターがわずかに吹き、巨体を微調整する。
フィフは逆に淡々と、無表情のまま補助計算を続けていた。
「推定軌道を解析。……システム計算での誤差は増大傾向。人間の判断が必要です」
「分かっている。だから目視だ」
貴志は短く答え、全員に視覚と感覚を研ぎ澄ませるよう促した。
ルナは既に艦外にドローンを散開させていた。
「索敵ドローン、前方1,000メートルに展開。光学カメラ、送信中……」
スクリーンに映し出されるのは、暗闇に浮かぶ岩塊の連なり。だが、映像はぶつぶつと途切れ、時折ノイズで塗りつぶされる。
「ダメ……電磁干渉が強すぎる。安定した映像が取れない」
「やはり……自分たちの目に頼るしかない、か」
貴志は低く呟き、艦橋に漂う緊張を引き締めた。
【迫りくる引力】
しばらくの航行は、様々な箇所からの強力な引力に翻弄され、まるで嵐の中を航行するようだった。
艦が軋み、誰もがシートにしがみつく。やがて、エレシアの声が鋭く響いた。
「艦長!重力波の偏向反応!……このままだとまずいです。1か所の小惑星からの引力が強すぎ、引き寄せられています。このまま航行すると、完全に重力圏内に入ってしまいます!」
「緊急回避だ!」
貴志の命令と同時に、アスとフィフが操艦制御を叩いた。スラスターが咆哮し、艦体が必死に進路を変える。
「推力不足……引力が強すぎて引き剥がせません!」
アスの声に、艦橋の空気が一瞬で凍りついた。
「主機出力を上げろ!」
貴志は即座に指示を飛ばした。
「出力110%まで許容する!」
「了解、出力上昇……!」
艦尾から光が噴き出し、アストラリスは小惑星の重力の鎖に抗うように震えた。だが――
「おかしい……!」
スールの声が、艦内通信に響く。彼女は主機関室で計器を見つめながら、信じられないというように首を振っていた。
「出力上げてるのに、推進効率が落ちてます!主機関は正常なのに……!」
「原因は?」
貴志の声が鋭く飛ぶ。
「……分かりません!反応炉の制御値は正常、でも推力がどんどん……」
スールは歯を噛みしめた。
「これ、理屈に合わないんです……!」
艦橋の誰もが顔を見合わせた。理屈に合わない――それは、この宙域そのものを示す言葉でもあった。
【捕らわれていく艦】
「艦長!重力圏を突破できません!更に主機関出力が低下中!」
エレシアが悲鳴を混じえた声を上げる。
彼女の瞳は恐怖に揺れていた。貴族の教育を受けた彼女にとって、“制御不能”という現実は受け入れがたかった。
「エウノミア、火器は起動したまま維持しろ。何かあれば即応できるように」
「了解。……しかし、撃つ相手がいればの話ですが」
冷たい皮肉混じりの声が、逆に艦橋を引き締めた。
「スール!」
貴志は怒鳴るように通信に声を飛ばした。
「持たせろ!少しでもいい、出力を安定させろ!」
「やってます!でも……この反応、まるで――」
スールは言葉を飲み込んだ。
艦全体が震え、警告アラームが赤く点滅する。
アストラリスは、抗えぬ力に引き寄せられるように、小惑星の重力井戸に捕らえられ、重力の淵へと落ちていった。
【引き寄せられる場所】
艦橋に赤い警告灯が点滅し、金属音が艦体の奥深くから響いていた。
アストラリスは、まるで巨大な見えざる手に引きずり込まれるかのように、サルガッソー宙域の縁を突破した瞬間から、強烈な引力に翻弄されていた。
「艦内制御システム、レッドモードです!」
ルナが報告する声は冷静だが、その指先は緊張で白くなっていた。視界に映るのは、ノイズだらけのディスプレイ。通常なら各部の様子を表示するはずの艦内マップも、今はただの暗い画面か、故障を表示する赤表示に飲み込まれている。
「機関出力を最大に!姿勢制御スラスター、応答せよ!」
アスが鋭く指示を飛ばす。だが、その声には珍しく焦りが混じっていた。彼女の演算ですら、宙域を覆う重力の乱れを予測できない。
「きゃっ、艦がっ……!」
エレシアはシートに縋りつき、恐怖で目を見開いた。生まれて初めて味わう、本物の宇宙の暴力。優雅な学園で学んだ航宙理論は、いま全く役に立たなかった。
「落ち着いて。恐怖に呑まれるな」
貴志の声が艦橋に響いた。彼もまた喉を焼くような緊張を抱えていたが、それを押し殺し、指揮官としての冷静を保っている。
「ルナ、最も弱い引力の場所を探せ!アス、艦体を引き裂かれない程度にスラスターを全開だ!」
「りょ、了解!でも……主機の温度が上がりすぎてます!」
スールが慌ただしくコンソールを叩く。若い技術者の額には冷や汗が浮かんでいた。
「このままじゃエンジン、焼けちゃいます!」
次の瞬間、轟音と共に艦が大きく傾いた。主機関が悲鳴を上げ、推力が途絶する。
「主機、停止!……再点火できません!」
絶望的な報告。
その瞬間、アストラリスは小惑星の重力井戸に引きずり込まれ、光速の落下感覚が全員の胃を掴んだ。
「衝撃に備えろ!」
貴志の叫び。
そして次の瞬間、艦体は小惑星の岩肌に激突した。轟音と共に艦橋が大きく揺れ、天井パネルが火花を散らして落下する。
――そして、アストラリスは座礁した。
【静寂の外へ】
衝撃の余韻が消えた後、艦内には重苦しい沈黙が広がった。
「死傷者報告なし……艦体、辛うじて保っています」
フィフが淡々と報告する。その冷静な声は、逆に不気味な安心感を与えた。
「……修理するしかないな」
貴志は深く息を吐き、決断を下した。
「スール、君が中心だ。主機を復旧させろ。俺たちはその支援に回る」
「わ、分かりました……っ」
緊張で声が震えながらも、スールの瞳には技術者としての意地が宿っていた。
彼らは宇宙服を着込み、エアロックを抜けて艦外へと出た。
【廃墟の墓場】
宇宙服のバイザー越しに広がる光景を見た瞬間、全員が言葉を失った。
そこには――数え切れぬほどの艦影が転がっていた。
戦艦、巡洋艦、空母、輸送艦……かつて宇宙を駆けた数々の艦が、小惑星の岩肌に突き刺さり、もしくは砕かれ、墓標のように静止している。
「な……なんですか、これ……」
エレシアの声が震え、酸素供給の音に混じって響いた。
「ここに迷い込んだ艦は、皆……戻れなかったのね」
ルナが低く呟く。ドローン隊の眼でも、この異様な宙域を解析することは叶わない。
「数百年……いや、それ以上だな」
貴志は錆びついた艦影を見上げ、ぞくりと背筋を震わせた。
「この宙域は、宇宙の墓場だ」
「……不気味、だわ」
アスの声もいつになく硬い。
彼女の演算能力でさえ、今目の前の“答えのない光景”を説明できなかった。
フィフは静かに艦影を見つめていた。無表情の仮面の下に、何か遠い記憶を辿るような光が宿る。
「……誰も、帰らなかったのです。ここで時間が止まっている」
「修理を……早くしないと……!」
スールが震える手を必死に抑え、工具を取り出した。だが、その背中は緊張に強張っている。
「このままじゃ、アストラリスも同じになっちゃう……!」
彼女の言葉に、全員の胸に冷たい針が突き刺さった。
不気味な艦の墓場の中で、彼らは生き残るために修理を開始する。
しかし、その沈黙の宙域には、まだ“何か”が潜んでいるかのような気配があった。
――不穏な気配に気付いたのは、貴志ただ一人だった。
「……おかしい。静かすぎる」
彼は宇宙服越しに吐息を漏らし、星々の見えぬ漆黒の虚空を見上げた。
その視線の先で、誰も知らない“何か”が、じっとこちらを見ていた。
次話では、修理作業中の不気味な現象や座礁艦からの信号などを、未知なる者の恐怖の顕在化として描きます。
ご期待ください。




