第170話:危機迫るエレシア
第170話として、エレシアの救出劇とその後の甘い夜を描きました。
【闇からの襲撃】
ザリ……ザリ……。
暗闇の中、足音とも岩を削る音ともつかない、不気味な響きが坑道に広がる。
現れたのは――巨大な昆虫型生物。
体長三メートル、黒鉄のような甲殻を纏い、ミラマイト鉱の粒子を吸収したのか体表は微かに発光している。
複眼は赤く濁り、岩盤をも砕く大顎が開閉した。
さらに背後では、茸の怪物が茎をくねらせ、胞子を噴き出しながら彼女を包囲していく。
「や、やだ……!」
エレシアは後ずさりし、ダイヤモンド結晶群に背を押し付けられた。
だが退路はない。
一匹の昆虫が飛びかかり――
「きゃあああっ!」
彼女の悲鳴が坑道を震わせた。
【救出戦】
坑道奥、エレシアを囲む怪物たち。
その頭上を、光が走った。
――ドンッ!
貴志の放った弾丸が甲殻を弾き、反動で昆虫の一匹が壁に叩きつけられる。
「退けッ!」
アスは無表情のまま、両腕に持ったレーザーブレードを展開。甲殻を切り裂き、正確無比な動きで昆虫を薙ぎ払う。
その姿は効率優先の艦AIでありながら、どこか焦りが滲んでいた。
フィフはエレシアを庇いながら、銃撃で胞子を撒き散らす茸を牽制する。
「エレシア様、後退を! 今は生き残ることが先決です!」
「ごめんなさい……っ、でも私……!」
涙を浮かべながら、エレシアは足をもつれさせつつもフィフの背後に退いた。
ルナのドローン群が一斉に飛び出し、電磁ネットで昆虫を拘束する。
「ほらほら、暴れると余計苦しいよ~!」
茶化す声とは裏腹に、その動きは正確で苛烈だった。
ティノは後方で祈るように声を張り上げる。
「頑張ってー! みんな負けないでー!」
その声が、不思議と皆の士気を支えた。
最後に貴志が至近距離で弾丸を叩き込み、巨大昆虫の顎を吹き飛ばす。
「これで終わりだ!」
轟音と共に、敵は動かなくなった。
【戦闘後の余韻】
埃と胞子が収まり、静寂が戻る。
フィフが安堵の吐息を漏らし、エレシアを抱きしめた。
「……本当に、無茶をなさって……」
その声には叱責と同時に、温かな愛情が混じっていた。
アスは腕を組み、冷たく言い放つ。
「あなたの軽率さが、どれほどの危険を招いたか……理解しているの?」
だがその視線は、ほんのわずかに震えていた。
エレシアはうつむき、震える声で答えた。
「……怖かった……でも、何か成し遂げたくて……」
貴志は黙って彼女の肩に手を置いた。
「その気持ちは分かる。だが――命を賭けるのは、みんなでやることだ」
【ピンクダイヤの発見】
ふとルナが壁面を指さす。
「ねぇ、見て。あの結晶群……ただのダイヤじゃないよ」
そこに輝いていたのは、エレシアが最初に見つけたピンクダイヤモンドだった。
青白い苔の光を浴びて、淡く赤みを帯びた桃色を放つ。
フィフは結晶を観察し、静かに説明する。
「……おそらく、1000年前のミラマイト鉱爆発で生じた超高圧の環境が原因です。通常の地殻深部に匹敵する圧力が、一瞬にして岩盤を押し潰し……不純物を取り込みながら精製されたのでしょう」
アスも頷く。
「つまり、あの爆発が“天然の圧力炉”になったわけね。ミラマイト鉱の副産物……皮肉なものだわ」
ルナは唇を歪めた。
「資金難のセレナード市にとっては朗報かもね。ピンクダイヤなんて、帝都でも滅多に出回らない高級宝石だし」
エレシアはその光を見つめ、胸を押さえた。
「……私、何もできないと思ってた。でも……少しは役に立てた、のかな……」
貴志は彼女を見て、静かに笑った。
「役に立つかどうかは、結果じゃなくてこれからの行動で決まる。俺たちはチームだ。君は一人で輝く必要はない」
エレシアの頬を涙が伝い、微笑みが浮かんだ。
【叱責と赦し、そして寄り添う夜】
戦いを終えた坑道は、蟲達の死骸から生臭い匂いを漂わせていた。
ミラマイト鉱を取り込んだ昆虫や茸の怪物は、光を失い、ただの死骸となって転がっている。
その異様な光景の中、エレシアは自分の震える手を見つめていた。
(わたしのせいで……みんなが……)
彼女の胸の奥で、恐怖と自己嫌悪が交錯していた。
だが同時に、ピンクダイヤモンドの発見がもたらす希望もまた、確かに存在していた。
フィフは彼女の肩に手を置き、冷静に言った。
「エレシア様、あなたの功績は否定いたしません。あの宝石は、セレナード市にとって重要な資金源になるでしょう。……ですが」
声にわずかな揺らぎ。
「あなたが単独で行動したことは、全員の命を危険に晒しました。特に――貴志様を」
その目は、1000年前から愛し続けてきた者の強い想いを宿していた。
アスも続いた。
「フィフの言う通りよ。婚約者という立場があるからこそ、慎重でなければならないの。貴志が命を賭けて戦ったのを見て、まだ自分の軽率さを正当化するつもり?」
冷徹な声色だが、その瞳には嫉妬と焦りが潜んでいた。
エレシアは言葉を失った。
自分の胸に残る焦燥が、どれほど危険を招いたか――ようやく理解したからだ。
【貴志の言葉】
貴志は二人の言葉を聞きながら、深く息をついた。
「……アス、フィフ。ありがとう。俺からも言う」
エレシアの瞳を真正面から見据える。
「エレシア。君が何か役に立ちたい気持ちは分かる。でもな――俺は、君を失いたくない。それだけじゃない。君の行動で、他の誰かを危険に晒すこともあってはならない」
その言葉は、叱責というより懇願に近かった。
エレシアは唇を噛みしめ、涙を滲ませながら小さく頷いた。
「……はい。ごめんなさい……」
ルナが空気を和ませるように口を挟む。
「まぁまぁ、反省してるみたいだし、これ以上責め立てると夜が明けちゃうよ? それに、せっかくベッドがあるんだしさぁ……」
茶化す声音には、優しさが含まれていた。
ティノはエレシアの手を握り、子供らしく無邪気に言った。
「もう、ひとりで行っちゃダメだよ! みんなと一緒なら、きっと大丈夫だから!」
【コンテナの夜】
激闘の後、コンテナの空調は落ち着きを取り戻し、湿り気を含んだ坑道の空気を忘れさせるほどに快適さを保っていた。
夜――いや、地底に時間の概念は薄いが――皆が疲労困憊しているのは確かであり、簡易ベッドがいくつも並ぶ中、皆は再び仮眠を取ることにした。
だが、今回の件を受けて、フィフとアスは顔を見合わせ、無言の合意を得た。
――エレシアを一人にしてはならない。
その結果、エレシアは貴志のベッドで休むことになった。
「えっ……わ、わたしが……!?」
エレシアは慌てふためき、恥ずかしさに顔を赤らめ、毛布の端を握りしめている。
(ち、近い……。鼓動が、うるさい……!)
「ふ、不公平じゃないかしら?」とアスはぼそりと呟いたが、冷静さを装って横を向いた。
フィフは静かに微笑む。
「貴志様を守ることにも繋がります。……婚約者としての責任を、少しずつ果たしてください」
ルナは苦笑しながら毛布を被った。
「はーいはーい、これはこれで修羅場の香りがするねぇ……」
ティノは既に眠気に勝てず、すでに夢の中。丸まって寝ている小さな寝息が、安心感を与えていた。
【寄り添う温もりと夜の静寂】
向かいのベッドから、アスがちらりと視線を投げる。
「……不用心だわ」
冷静を装っているが、表情の硬さは隠しきれなかった。
フィフは穏やかな微笑みを浮かべつつ、薄く瞳を閉じる。
「……それもまた、責任を学ぶ一歩です」
その声には、第一夫人としての余裕と、ほんの少しの寂しさが滲んでいた。
ルナは枕に頬を押し付けながら、声を潜めてひやかす。
「いやぁ~、青春だねぇ。こういうの見ちゃうと、寝付けないなぁ」
【寄り添う想い】
ベッドの中で、エレシアは緊張と疲労が入り混じった顔で貴志を見つめていた。
「……あの、貴志さん」
囁くような声。
「ん?」
「……怖かったんです。あの時、本当に死ぬかと思って。でも……助けてくれて、ありがとう」
その言葉は震えていたが、確かな想いが込められていた。
貴志は一瞬だけ黙し、やがて毛布越しにエレシアの手を包み込む。
「……もう、二度と勝手な真似はするな。それが約束できるなら、俺は何度でもお前を守る」
エレシアの瞳が潤み、抑えきれずに彼の肩に顔を寄せた。
「……はい……約束します」
その瞬間、彼女の体から緊張がふっと抜け、ただ温もりに甘える少女のように身を委ねた。
【静かな夜】
コンテナの中には、空調の低い唸りと、遠く坑道から聞こえる水滴の音だけが響いていた。
それは不思議と心を落ち着ける響きであり、戦いで荒れた心を癒すかのようだった。
アスは薄く目を開け、二人の様子を見やりながら、胸の奥に小さな痛みを抱いた。
(……悔しい。でも、彼女の気持ちも、分かるわ)
フィフは静かに目を閉じ、過去の主と過ごした記憶を重ねながら、今この瞬間の貴志を慈しむように感じていた。
ルナはにやりと笑いながらも、誰にも聞こえないほどの小声で呟いた。
「……まぁ、たまにはこういうのもアリかな」
【眠りへ】
やがて、エレシアの呼吸は落ち着き、穏やかな寝息へと変わっていった。
貴志は彼女の頭にそっと手を置き、眠りに導くように軽く撫でる。
(守らなきゃな……こいつら全員を)
彼の意識もまた、静かに闇へと沈んでいく。
こうして、非常用コンテナの夜は更けていった。
その夜、非常用コンテナの小さな空間には、安堵と緊張、そしてそれぞれの想いが静かに重なり合っていた。
だが外の坑道では、光る苔と不気味な羽音が再び広がりつつあった。
次話では、ミラマイト鉱山の最深部に迫ります。
ご期待ください。




