第164話:ガンマで待つ者達
第164話として、貴志達の惑星ガンマに約1年振りの帰還する様子と、貴志を中心とした人間関係を描きました。また、これから少しずつ復興する前段を描写しています。
【帰還の途上】
貴志達が乗艦する駆逐艦アストラリスが惑星ガンマへの進路を取ると、艦内には張り詰めたような、しかしどこか甘やかな緊張が流れていた。
艦長席に腰掛ける貴志は、ただ“帰る”だけではない意味を、肌で感じ取っていた。
惑星ガンマ――帝国中心から遠く離れた辺境の星。
約1000年前の人的ミスで反物質の暴走事故を起こし、惑星環境が激変したことにより全惑星民が強制避難、完全に捨てられた星だったが、だが今ようやく復興の芽を伸ばそうとする場所。
そこに、貴志達がヴァルディウス侯から譲り受けた資材、機材、そして未来への希望を積んだアストラリスが帰っていくのだ。
【進路は惑星ガンマ】
「航路安定。航宙障害、予定通り。ガンマまで六十時間」
アスが艦長席の隣で淡々と告げる。その声は冷徹で正確だが、ほんのわずかに柔らかさを帯びていた。彼女にとっても、ガンマは“帰る場所”だった。
「ドローン群、外周展開完了。アクティブレーダー走査完了。周辺宙域の接近ベクトルに異常なし。通信チャンネルは待機」
ルナが続ける。ホログラムの中で彼女のドローンが舞うように軌跡を描き、無数の目が航路を監視していた。
エレシアは添乗者席で息を整えていた。侯爵家の嫡子として資材移送の責任を担う自分、貴志の婚約者として艦に立つ自分、その二つを意識して背筋が自然と伸びる。
「……この道の先に、どんな街並みが待っているのかしら」
「街並み?まだまだ“瓦礫と骨組み”の方が多いでしょうね」
と、ルナが淡々と返す。
「でも、人や物の数が揃えば、時間は早い。あなたたちが持ってきた資材が加速剤になる」
エレシアは小さく頷き、視線を貴志へ向けた。
彼は黙って前方スクリーンを見つめていたが、ほんの一瞬、彼女に柔らかな目を向けた。
その短い視線に、エレシアの胸は熱を帯びる。
【艦内にて】
艦内は任務航行にふさわしく整然としていた。だが日常の合間に小さなやり取りが生まれる。
食堂では、艦内の昼食時間に備えて、携行補給食の準備が進んでいた。メイラはメイドとしてエレシアの手を取り、慣れないパッケージの開封を支えている。
「お嬢様、こちらは真空保存食品ですので、地上の礼法に従う必要はございません」
「そうね……手が震えるのは、緊張かしら」
「お嬢様が“貴族としての体面”を意識なさるからです。ですが、艦内の皆様は“結果”で評価なさいます」
その会話を背後で聞きながら、ルナが冷ややかに言う。
「震える手で食材を落とさないように。艦内では食材は限られた資源。貴重な物であることを理解してもらえれば十分」
「ルナさん……言い方が冷たい」
「地上とは違い、隔離された宇宙空間での搭載物品の管理の甘さは、艦の規律を狂わせる。わたしは規律の遵守する者しか信じない」
エレシアは苦笑しつつも頷いた。侯爵家の温室育ちだった彼女にとって、この無骨さは逆に支えになっていた。
【貴志とアス】
夜。航路の半ば。
艦長席で短い休憩を取る貴志に、アスが寄り添うように立つ。
「あなたは“執政官”として帰る。つまり、すべての決定があなたの責任になる。……わたしたちは、その補助者に過ぎない」
「補助者、ね」
貴志は苦笑した。
「俺にとっては、アスもルナも、もう半分以上は“俺の一部”みたいなもんだ」
「……そう言ってくれるのは、嬉しい。でも」
アスは少し視線を落とす。
「婚姻者や婚約者が増えた今、その“半分”の比率を疑いたくなるの」
彼女の言葉に、貴志は短く息を呑み、視線を逸らした。
艦橋の空気が一瞬、張り詰める。
そこへ、添乗者席からエレシアの澄んだ声が届いた。
「私が入ったことで、艦の均衡を乱しているのなら……努力して合わせます。私は、あなたたちに敵うと思っていません」
静寂を破ったのは、ルナの無機質な声だった。
「努力する姿勢は、数値で改善できる。ならば問題はない」
アスが苦笑を漏らす。
「ルナは本当に現実的ね」
「これから向かう惑星ガンマで現実を直視しない者は、瓦礫の下敷きになるだけ」
エレシアは小さく肩を震わせたが、それでも視線を落とさなかった。
貴志はそんな彼女を見つめ、心の奥で「可愛い」と思いながらも、艦長としてその感情を抑え込んだ。
【惑星ガンマ】
そして六十時間後。
スクリーンの奥、青灰色の惑星ガンマが姿を現した。まだ荒れた大地に、点々と復興拠点の光が見える。
「到着予定時刻、三十七分後」
アスが告げる。
「通信回線、開きます」
ルナが通信制御盤を操作し、ガンマの管制塔とのリンクが繋がる。
《こちらはガンマ管制、フィフ。アストラリス、ようこそ。そして、お帰りなさいませ、貴志さま》
その声を聞いた瞬間、エレシアの胸が熱くなる。侯爵家の嫡子として、そして貴志の婚約者として、自分の持つすべてをこの地に注ぐ覚悟が固まっていく。
貴志は静かに頷き、短く答えた。
「こちらはアストラリス艦長、貴志。資材と人員をもって帰還した。……これからガンマの復興を始めよう」
艦内に広がるその言葉は、ただの宣言ではなく、未来への合図だった。
アスは瞳を閉じ、ルナは無言で数値を確認し、エレシアは小さく両手を胸の前で重ねる。
――惑星ガンマに帰る。
それは彼ら全員にとって、新しい物語の幕開けだった。
【灰色の補給港】
復興の途上にある惑星ガンマは、まだ人の営みを取り戻したとは言い難かった。
風に煽られる資材の梱包布の音が響くだけで、通りを歩く者もなく、かつて都市だった場所の残骸が遠くに連なっている。
その静かな港に、久方ぶりに駆逐艦アストラリスが帰還した。
外殻に修復痕を刻む艦体が着岸し、タラップが接続されると、待ち構えていた二つの影が勢いよく駆け寄る。
「マスターっ!」
「おかえりなさいませ!」
フィフとティノだった。
扉が開くや否や、彼女たちは貴志に抱きつく。
「お、おい……」
思わず貴志がよろけるほどの勢いだった。
ティノは笑顔で頬を擦り寄せ、フィフは普段の冷静さを忘れ、強くその体を抱き締めて離さなかった。
「本当に……本当に戻ってくださった……」
「マスター、おかえりっ! わたし、ずっと待ってたんだからね!」
その声には、留守を守り続けた一年の寂しさがにじんでいた。
その光景を、少し離れた場所で眺めるアスの眉がぴくりと動いた。
艦の時代から幾度も命を共に預けあった相棒。
彼女の心に、焦げるような感情が走る。
(フィフは第一夫人の立場を誇示するか……)
彼女は無言で視線を逸らしたが、僅かに唇を尖らせていた。
ルナはその横でおかしそうに肩をすくめる。
「ふふ、アス、顔に出てる。あれ、完全に嫉妬だよ」
「違います」
「いやー、艦長をめぐる奥さん戦争、前線は熱いねぇ♪」
「……軽口は控えなさい」
冷たく言い放つが、その声には微かに熱が滲んでいた。
一方、エレシアはその場から一歩引いて眺めていた。
帝国貴族の娘としての矜持を崩さず立つ彼女の胸に、密かな焦りが灯る。
(あの自然な距離感……私も、早く……)
彼女の視線は、貴志の腕を握りしめるフィフに注がれていた。
「婚約者」という立場を得ても、彼女にはまだ“妻”の顔はない。
だが、貴志の優しさに触れるたび、彼女の心は確実に動いていた。
【復興開始の宣言】
「よし、ただいま。資材と器材は、ヴァルディウス侯から譲り受けたものだ。これで復興が加速する」
貴志は皆の前でそう宣言する。
資材の山が灰色の補給港に次々と下ろされていく。
だが、人員はまだ圧倒的に足りない。
運ぶのは彼ら自身と、最低限の補助アンドロイド達だけ。
ティノが嬉しそうに跳ねながら声をあげる。
「ねぇねぇ、これで温室がもっと作れる? フィフお姉ちゃん、やっと野菜食べられるかな!」
「ええ、少しずつでも“街”に近づいていけるわ」
フィフが微笑み、そして貴志を見上げた。
その目にはまだ潤みが残っている。
アスはわざと視線を逸らしながら報告を始めた。
「艦長、資材は総量で三百八十トン。優先すべきは動力炉と浄水施設への割り振りです」
「了解だ。……ありがとな、アス」
「当然のことです。私は、あなたの副官ですから」
その言葉の裏に隠された感情を、ルナだけが見抜いてニヤリと笑った。
夕刻。
補給港の片隅では、エレシアがそっと資材の仕分けを手伝っていた。
貴族である自分にこうした作業は似つかわしくない。
だが、彼女は汗を拭いながら思う。
(私も、この惑星を共に築きたい。貴志様と……)
遠くからその姿を見ていたフィフは、一瞬だけ視線を細めた。
彼女の唇から漏れたのは、小さな独り言。
「……あなたも、いずれ“妻”になるのでしょうね」
だがすぐに、貴志の指示に従うように歩き出す。
【これからのガンマ】
その夜。
久々に人の声が響く補給港の仮設居住区。
簡素な灯りの下、皆で簡単な食事を囲んだ。
ティノは無邪気に笑い、ルナは相変わらず場を茶化し、エレシアは静かに言葉を探し、アスは沈黙を守る。
そしてフィフは、隣に座る貴志の袖を、ほんの少しだけ離さずに握っていた。
一年の空白が、こうして少しずつ埋められていく。
しかし同時に、それぞれの想いが交差し、絡み合い、静かに火花を散らしていた。
惑星ガンマの地上には、まだ灯りが少ない。
だがその下で、人々の関係は確かに揺れ動き、そして新しい未来を描こうとしていた。
次話しでは、惑星ガンマの復興や人間関係を描いていきます。
ご期待ください。




