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『スポーツが社会をつなぐとき――華やかな演出を超えた価値』

作者: 小川敦人

『スポーツが社会をつなぐとき――華やかな演出を超えた価値』


## 第一章:古びた施設の番人


かつて、ある静かな地方都市の外れに古びたスポーツ施設があった。

高度経済成長期に建てられたその競技場は、バブル崩壊後の予算削減で徐々にその輝きを失っていった。

そこには、年老いた管理者が一人、施設の整備や掃除をしていた。

彼の名前は木村昭夫。70歳を迎えた木村さんは若い頃からスポーツに情熱を注ぎ、地元の少年たちにバレーボールを教えていた。

地域の子どもたちの成長を見守ってきたこの施設は、彼にとって第二の我が家のような場所だった。

長年の地域貢献が認められ、定年後も特別に管理人として残ることを許されていた。

最近、木村さんはあることに強い違和感を抱き始めていた。それは、現代のスポーツイベントの演出方法だった。


木村さんがこの施設を深く愛するようになったきっかけは、高校時代の恩師の存在だった。木村さんがまだ17歳の頃、バレーボール部の顧問を務めていた恩師は、「スポーツには人の心を動かす力がある」と常々口にしていた。試合の勝ち負け以上に、チームメイトとの助け合いや、応援してくれる地域住民との絆を大切にするように説かれたのである。その言葉が心に強く残り、卒業後に地元企業へ就職したあとも、休日には少年たちにバレーボールを教えるボランティアを続けた。そんな人生を重ねるうちに、この競技場は木村さんにとってただのコンクリートの箱ではなく、人々をつなぐ架け橋のような大切な存在になっていったのだ。

しかし時代は移り変わり、人口減少に伴う地方の過疎化は進んだ。かつては地元住民でにぎわっていた体育館も、今ではイベントの数が限られ、稼働率は大きく落ち込んでいる。新しい施設が次々と市街地に建設されたこともあり、古い競技場には足を運ぶ人が少なくなってしまった。木村さんは毎朝、ほうきと雑巾を手に、誰もいない客席や廊下を掃除しながら、昔のにぎわいを思い出す。バレーボールだけでなく、バスケットボールや卓球の大会、あるいは地域の文化祭など、朝から晩まで利用者が絶えなかったあの頃。補助金の打ち切りや人員削減の影響で設備のメンテナンスも十分に行き届かなくなり、壁の塗装は剥げ落ち、コートの床には小さな亀裂さえ入るようになった。

「時代の流れ」と言われてしまえばそれまでだが、木村さんにとっては「スポーツの灯火」が少しずつ消えていくのが、我が子が傷ついていくのを見るようで、胸が痛かった。誰もが華やかなイベントや儲けが見込めるプロスポーツに関心を寄せる中、こうした地道なスポーツ環境を支えてきた施設はなおざりにされがちになっている。木村さんは、自分にできることはわずかだと知りながらも、毎朝、雑巾がけをしてシャワー室のカビを取り除き、外壁の亀裂を簡単なモルタルで埋めるなど、細やかな整備を続けていた。

施設を訪れる利用者も少なくなったとはいえ、まったくのゼロというわけではない。時々、小さな大会や合宿でやってくる学生たちがいる。その子たちが伸び伸びとプレーできるように、と木村さんはあらかじめコートを清潔に整え、ボールやネットの具合をチェックする。彼の手による整備は、周囲から見れば些細なことかもしれないが、スポーツに懸ける情熱を少しでも絶やさないための、自分自身への誓いのようでもあった。

そんな木村さんの目には、昨今のスポーツイベントの「ショー化」に対する違和感が強く映る。音楽や照明に頼り派手な演出をするのが一概に悪いわけではないと理解しつつも、純粋な競技の面白さを引き立てる以上のものになってしまうと、スポーツそのものの魅力がかすんでしまうのではないかと心配している。施設の古びた外観と対照的に、時代は加速度的に「見せ方」「盛り上げ方」を追求する方向へ進んでいるように思えたのだ。



## 第二章:変わりゆくスポーツの風景

「木村さん、これからのスポーツは『体験』なんですよ。ただ試合を見せるだけじゃ、若い世代は振り向いてくれません」

市のスポーツ振興課に勤める若い職員、佐藤は木村さんにそう説明した。

佐藤は大手スポーツマーケティング会社から市役所に転職してきた新進気鋭の職員だった。

「でもね、佐藤くん。スポーツの本質は競技そのものにあるんじゃないのかね」

木村さんは静かに問いかけた。佐藤は少し困ったような表情を浮かべると、タブレットを取り出して市の新しいスポーツ振興計画を見せた。

「来年度から、この施設も『体験型スポーツエンターテインメント』の方針で改修されます。大型ビジョン、照明設備、音響システム、さらにVR体験コーナーも設置予定です」

画面に映し出されたのは、まるでコンサートホールのような華やかな内装のスポーツアリーナだった。木村さんは眉をひそめた。

佐藤が熱心に説明する「体験型スポーツエンターテインメント」は、最先端の技術を駆使して若者を呼び込み、地域経済の活性化を目指すのが主眼だという。具体的には、試合のハイライトをリアルタイムでSNSに連動させ、観客が自分のスマートフォンを通じて得点演出に参加できるシステムなども企画されていた。試合のクライマックスになると、巨大スクリーンに派手なグラフィックが流れ、会場全体がまるで音楽フェスのように盛り上がる。さらにVR体験コーナーでは、実際のプロ選手と対戦しているかのような感覚を味わえるアトラクションを導入する予定らしい。

木村さんは佐藤のプレゼンを最後までじっと聞いていたが、その間ずっと胸にくすぶるものを感じていた。もちろん、地域に若い世代の目を向けてもらうことは大切だと考えているし、スポーツが娯楽産業として発展していく流れを頭から否定しているわけではない。だが、佐藤の見せる華やかなイメージ図面は、どこか「競技の場」というよりは「イベント会場」の色合いが強い。ここがスポーツを真剣に楽しむ選手や、その指導者、あるいは純粋に試合を楽しみたい観客にとってふさわしい空間になるのか、木村さんには疑問があった。

「私のような年寄りが口を出すと、時代に取り残された考えだと笑われるかもしれんが……」木村さんはそう前置きしながら、ゆっくりと口を開いた。「スポーツには、汗をかき、身体を動かし、技を磨くという根源的な喜びがある。もちろん観る側も、選手の技術や戦略に惹きこまれて、真剣勝負の世界に没頭するのが醍醐味だ。そんなシンプルな喜びが、あまりにも派手な演出に埋もれてしまわないかと心配なんだよ」

佐藤は一瞬言葉に詰まりつつも、「確かに、演出や体験ばかりが先行すると、競技そのものが二の次になってしまうリスクはあります」と率直に認めた。そのうえで、「ただ、観客の興味を引く仕掛けがないと、お客さんはなかなか集まらないんです。特にこの地域では人口が減っていて、若者も都市部に流出していますから」と続ける。

木村さんには、佐藤の言うことも分からなくはなかった。実際、この古びた施設を維持するには相応の予算が必要であり、今のままでは財政的に厳しいという現実もある。市としても、新しい方針を打ち出さなければ補助金を得られず、施設を維持できないかもしれない。だが一方で、安易に大規模な改修を進めてしまうと、昔ながらの地域のスポーツ文化が壊れてしまう恐れも大きい。

「佐藤くん、君は若いが、スポーツが持つ本当の力を信じているようにも見えるよ。だからこそ、新しいものを取り入れるだけじゃなく、古い良さをどう生かしていくかも考えてほしいんだ」木村さんはそう言い残すと、少し疲れた様子で背を伸ばした。佐藤も真剣なまなざしを返し、「ありがとうございます。木村さんの想い、しっかり受け止めますよ」と答えた。その目には、単なる流行追随型の若手とは違う、ある種の誠実さが感じられた。


## 第三章:経済の変化と社会の歪み

その晩、木村さんは自宅で新聞を広げながら、物価の上昇を伝える記事に目を留めた。

「インフレ傾向が鮮明に―食品価格前年比3%上昇、実質賃金は低下続く」という見出しだった。

息子夫婦との週末の食事で、孫の大輔が野球チームの合宿費用について心配していたことを思い出した。

「お父さん、部活の遠征費だけで月に3万円もかかるんだ。このままじゃ辞めさせなきゃいけないかも」と言う娘の言葉が頭をよぎる。

一方で、テレビではプロ野球選手の数十億円規模の契約が話題になっていた。

Jリーグの新しいスタジアム建設には数百億円の税金が投入されるというニュースも流れていた。

「何かがおかしい」と木村さんは感じた。

長年のデフレから転じたインフレの波が、普通の人々の生活を圧迫する一方で、スポーツビジネスだけが肥大化していく矛盾。

かつて、日本は高度経済成長期に一億総中流と呼ばれる時代を経験したが、その幻想が崩れ去ってからは、経済格差が徐々に広がってきた。特に最近のインフレ傾向は、庶民にとって厳しい現実を突きつける。木村さんの息子夫婦も共働きで、決して貧しいわけではないが、それでも孫の野球チームの遠征費や合宿費となると大きな負担になるのだ。練習着や道具の買い替えも必要で、成長期の子どもなら尚更出費がかさむ。

一方で、スポーツ産業に流れ込む莫大な資金には驚くばかりだ。プロ野球選手の契約金は年々跳ね上がり、スター選手には数億円、時には数十億円もの金額が動く。大手スポンサーがつくことでチームの経営が安定する一方、その恩恵を受けるのは一部のトップ層だけというのが現状だ。さらに驚くべきことに、地方自治体が大規模なスタジアム建設に多額の税金を投入するケースも増えている。住民の意見が十分に反映されないまま、観光客誘致や経済効果の名目で巨額のプロジェクトが進められるのだ。

木村さんは、こうした大規模プロジェクトが本当に市民のためになるのか疑問を抱いていた。もちろんプロスポーツの盛り上がりが地域経済を活性化させる場合もあるだろう。しかし、多くの住民にとっては、まず日々の生活が安定することが最優先だ。医療や介護、教育などの社会保障の充実こそが急務だと考えている人々も少なくない。にもかかわらず、スポーツビジネスには巨額の投資が行われる。その結果、低所得層や地方在住者は「スポーツを支える」という大義名分の下で、実は恩恵を受けにくい立場に追いやられているのではないか、と感じていた。

また、最近ではスポーツやエンターテインメントの分野での過剰な演出に対する批判の声も多い。大掛かりな設備やショーアップは、一時的には観客を惹きつけるかもしれないが、本質的な競技力向上や地域スポーツ振興につながっていないのではないか、との指摘もある。木村さんが懸念するのは、まさにそこだ。華やかなショーに目を奪われているうちに、スポーツそのものの意義が忘れられ、真剣に競技に取り組む場が失われていくことに強い危機感を抱いている。

テレビのニュースでは、プロ野球選手のとある大型契約を大々的に報じていた。キャスターが「まさに夢のある話ですね!」と笑顔でコメントを添える。しかし木村さんの頭には、「果たしてそれは本当の夢なのか?」という疑問が過ぎる。一方で、孫が合宿を断念するかもしれない現実がある。そこには埋めがたい溝があるように思え、やりきれない気持ちがこみ上げた。

木村さんは新聞を閉じ、ため息をつく。「この国のスポーツの在り方は、本当にこれでいいんだろうか……」と自問しながら、古い日記帳を取り出した。そこにはかつて木村さんが指導していた少年バレーボールチームの思い出がぎっしりと書き込まれている。試合に勝ったときの喜び、負けたときの悔しさ、そして子どもたちが無邪気に笑い合う姿。そこには華やかな広告塔も高額な年俸もなかったが、スポーツがもたらしてくれた真の輝きが確かにあったのだ。


## 第四章:過去と現在の共通点

週末、木村さんは地元で開催された国際バスケットボール大会を見に行った。会場に入ると、そこはまるで別世界だった。

巨大LEDスクリーン、レーザー光線、爆音のヒップホップ。

選手が入場するたびに火柱が上がり、試合の合間には派手な衣装を着たダンサーたちがパフォーマンスを繰り広げていた。

観客は熱狂し、スマートフォンでそれらの「体験」を撮影しながら盛り上がっていた。

しかし、木村さんの目には、人々が試合そのものよりも、その周辺の派手な演出に反応しているように見えた。

「パンとサーカス...」

木村さんは歴史の授業で習った古代ローマの言葉を思い出した。

支配層が民衆の不満をそらすために与えた「パン(食料)」と「サーカス(見世物)」。

戦時中、政府はプロパガンダを駆使して国民を戦争へと煽り、真実を隠蔽した。

その手法と現在のスポーツイベントの過度な演出に、木村さんは不気味な共通点を見出した。

試合後、木村さんはスタンドに残って考え込んだ。

今日の試合では、選手たちの技術や戦術よりも、その周りの派手な演出が話題になっていた。

スポーツの本質が見えにくくなっているのではないか。

木村さんは席に座ったまま、しばらく試合会場の余韻を感じ取ろうとした。試合そのものは接戦で、選手たちのレベルも高かったが、観客たちが夢中になっていたのはむしろハーフタイムショーや入場時の演出だったように思える。もちろん、それによって会場の一体感が生まれ、盛り上がりが増すことは否定できない。だが、同時に「派手な演出を見に来たのか、選手の真剣勝負を見に来たのか」が曖昧になっている印象を受けた。

「昔はどうだったかな……」木村さんは若い頃に行われた全国大会の記憶を辿る。あの頃は確かに華やかさはなかったものの、選手たちは純粋に技を競い合う姿を観客に見せていたし、観客もまた、その競技力や緊張感に釘付けになっていた。応援には太鼓やメガホンなどはあったが、今のように大規模な照明演出や爆音のBGMはなかった。それでも、あの空気には確かにエネルギーが満ちていて、観る者の胸を熱くさせる力があったのだ。

時代が変わり、人々の価値観も変わる。エンターテインメント性が求められるのも、一つの時代の流れだろう。それでも木村さんは、古代ローマの「パンとサーカス」に近いものを感じずにはいられなかった。「本来の関心事や問題から目を逸らすために、過度な興行や見世物を用意する」という古の手法が、形を変えて現代に蘇っているように見えたからだ。

もしスポーツイベントが「試合そっちのけで、観客をいかに盛り上げるか」に力を注ぐあまり、本質であるはずの技術やチームワーク、フェアプレーといった要素がないがしろにされるとしたら、それはスポーツの未来にとって危険な兆候かもしれない。木村さんは、目を閉じてバスケットコートの中央に立つ選手たちを思い浮かべる。彼らが流した汗と涙、そして苦労を重ねてきた練習の日々こそが、最も称えられるべきものではないだろうか。

スタンドの片づけが始まり、スタッフが客席をまわってゴミを集めている。最先端のイベントにふさわしい派手な映像技術も、観客が帰ってしまえば虚しく灯りを落とすだけだ。スポーツが持つ本来の魅力を理解しているスタッフがどれほどいるだろうか、と木村さんは思う。彼らも仕事としてこの場に立っているのだろうが、木村さんのようにスポーツを人生と重ねて見つめる人は多くないのかもしれない。

「まだ、時代に取り残されているだけかもしれないな……」そうつぶやいて木村さんは立ち上がった。彼は新しいものすべてを否定したいわけではない。派手な演出のすべてが悪だとも思っていない。むしろ、時代に合わせた進化は必要だし、それによってスポーツが多様な人々をひきつけられるなら、それは喜ばしいことでもある。ただ、そこに「競技そのものを楽しむ視点」が失われてしまう危険性を強く感じるのだ。

会場を後にしながら、木村さんは「スポーツが本来持つ力」が、ただの演出効果の背景とならないように、何とか声を上げていく必要があるのだろうと強く思った。古い施設を守り続けている自分の存在理由も、まさにそこにあるように感じられた。


## 第五章:社会問題の影

翌日の新聞には、「若者の貧困率が過去最高に」という記事が掲載されていた。

非正規雇用の拡大、実質賃金の低下、社会保障費の削減。庶民の生活が厳しさを増す中、スポーツビジネスには巨額の資金が流れ込んでいた。

市議会では、新しいスポーツアリーナ建設に30億円の予算が計上されたが、同時に介護施設の補助金削減も決定された。

木村さんは違和感を覚えずにはいられなかった。

かつての教え子で現在は経済学者として活躍する野村が、テレビで解説していた言葉が耳に残っていた。

「日本はデフレからインフレに移行する転換期にあります。しかし賃金の上昇が追いつかないため、庶民の実質所得は低下しています。

その一方で、一部の企業や富裕層だけが恩恵を受ける構図が強まっています」

若者の貧困が深刻化する中で、木村さんの知人やかつての教え子の中にも、経済的な理由でスポーツを続けられなくなった者が何人もいる。特に団体競技の場合、遠征や合宿に必要な費用はバカにならない。学校や自治体からの補助があるとしても十分ではなく、保護者の負担が大きいのが現状だ。スポーツが子どもたちの心身を鍛え、人間関係や協調性を学ぶ場として素晴らしい効果を持つことを木村さんは知っているだけに、経済的な制約でスポーツを諦める子どもが増えるのは悲しい話だった。

一方で、市議会や行政の場では、大きな経済効果を生み出せる見込みがあるという理由で、新しいスポーツアリーナ建設が推し進められている。このアリーナには最新の音響設備や大型ビジョンが導入され、さらにVIP専用のロッジ席を設け、企業や富裕層から多額のスポンサー料を集める狙いもあるようだ。もちろん、地域に新しい施設ができることで雇用が生まれるという見方もあるだろう。しかし、その恩恵を実際に受けられるのはどの層なのか、木村さんは疑問を拭えない。

介護施設の補助金が削減されたという事実は、地域の高齢者にとって死活問題にもなり得る。年金収入だけでは生活が厳しい世帯も増えている現在、介護の負担を家庭だけで抱え込むのは困難だ。スポーツアリーナの建設には30億円の巨費を投じるのに、社会保障にまわすはずだった予算が削られてしまえば、弱い立場の人々の生活はさらに厳しくなる。これでは「スポーツの振興」という名目で、実は格差が広がる結果になりかねない。

木村さんは、経済学者となった教え子の野村の解説を思い出しながら、改めて今の社会が抱える矛盾を痛感した。スポーツがビジネスとして成功していくこと自体は悪いことではない。だが、その背後で、スポーツを支えようにも支えられない人々が増えているという現実を見過ごしてはいないだろうか。

かつての教え子たちの中には、プロの道に進むことを夢見た子もいた。実力さえあれば、スポーツで世界に羽ばたくことができる。そのチャンスは平等だと信じていた。しかし実際には、トレーニング環境や練習機会、遠征の費用といった条件が充実しているのは、経済的に恵まれた一部の選手だけなのではないか。木村さんはそんな疑念を抱かざるを得ない。

スポーツが本来果たすはずの社会的な役割は何だろうか。人々に希望を与え、努力や仲間との絆の大切さを伝えることではないのか。それが、いつの間にか大きな資本が流れ込む「興行産業」へと変わり、そこに参加できるのはお金と時間に余裕のある人だけという構図が生まれつつある。木村さんは一人のスポーツ指導者として、この流れをどうにか変えられないかと思案する。スポーツが再び多くの人にとって身近な存在となるためには、何が必要なのだろうか。


## 第六章:対話の始まり

市の新しいスポーツ施設計画の住民説明会が開かれることになった。木村さんは久しぶりに背広を着て、会場に足を運んだ。

佐藤をはじめとする市の担当者が、最新設備を備えた「スポーツエンターテインメント複合施設」の構想を熱心に説明していた。

巨大スクリーン、VR体験館、ショッピングモール併設、年間100億円の経済効果...。

説明が終わり、質疑応答の時間になった。しばらく沈黙が続いた後、木村さんはゆっくりと立ち上がった。

「私は60年間スポーツに携わってきましたが、今日ぜひ皆さんにお聞きしたいことがあります」

会場の視線が木村さんに集まった。

「この新しい施設で、チケット料金はいくらになるのでしょうか。また、地域の子どもたちが自由に使える時間はどれくらい確保されるのでしょうか」

担当者は少し戸惑いながら、「VIPシートは3万円から、一般席でも6,000円から8,000円程度を想定しています。

子ども向けの無料開放日も年に数回予定しています」と答えた。

会場からはざわめきが起こった。

「実質賃金が低下し、物価が上昇する中で、そのような料金設定では、この地域の多くの家族がスポーツを楽しむことができなくなります。スポーツは一部の裕福な人々だけのものになってしまうのでは?」

木村さんの発言に、会場から拍手が起こった。

担当者の説明によると、新しい施設では有名アーティストのライブや大型イベントも積極的に誘致する予定で、収益を確保する仕組みを構築しているという。確かに、収益が安定すれば施設の維持費をまかない、雇用を生むなど一定のメリットはあるのだろう。しかし、木村さんが質問したチケット料金の問題は、地域住民にとって切実なものだった。

ある若い母親が手を挙げ、声を震わせながら意見を述べる。「うちは子どもが二人いますが、6,000円や8,000円のチケットなんて簡単に買えません。しかも子どもは無料じゃなくて、大人よりは安いにしてもお金がかかるんですよね。年に数回の無料開放日があるといっても、そこだけで満足にスポーツに触れられるとは思えません」その言葉には多くの参加者が深くうなずいていた。

また、地域の高校で体育教師をしている男性も立ち上がった。「私は生徒たちを引率して、試合や練習の機会を増やしたいと考えていますが、新しい施設の使用料が高額になるなら使いにくい。結局、お金があるチームだけが利用できるようになるのではないでしょうか?」彼の問いかけに、担当者は「優先利用枠を設ける予定です」と答えたものの、その優先枠が実際にどれほどの数になるのかは明言されなかった。

会場には、木村さんの発言に共感する人々が多く集まっていた。高齢者施設や子育て支援を優先してほしいと訴える声も上がり、住民説明会は次第に熱気を帯びていく。佐藤はその様子を壇上から見つめていたが、かつて木村さんと交わした会話を思い出し、「単なるショーアップの時代」に対する疑問が胸に蘇っていた。

「ここで立ち止まって議論することは大切だ」と佐藤は思う。「住民の声を聞かずに、大企業や投資家だけの論理で物事を進めれば、格差は広がるばかりだろう。スポーツ本来の意味や、地域社会に根ざしたスポーツ文化は、そこからは生まれてこない。」説明会が終わりに近づいていく中、佐藤は資料を片手に、木村さんの視線を捉えた。木村さんは静かにうなずき、まるで「これからが本当の勝負だぞ」と言わんばかりの表情をしている。

拍手や意見が飛び交う中、市の担当者たちは一旦話し合いの時間を設けるとして、住民からの質問をメモしていた。数百億円を投じる国家規模のプロジェクトに比べれば、30億円という市の予算はささやかかもしれない。しかし、住民にとっては生活に直結する大問題である。もし施設の利用料金が高いままなら、市民は一体誰のためのスポーツなのかと不満を抱くだろう。

木村さんは大きく深呼吸しながら、拍手に包まれた会場を眺めた。彼は確信していた。スポーツは決してお金持ちだけの贅沢品であってはならない。子どもから高齢者まで、誰もが気軽に体を動かし、応援し合える環境こそが、本来あるべきスポーツ文化の姿だと。そして、この説明会で上がった声は、スポーツを取り巻く環境が変わりつつある中で、まだ失われていない多くの人々の思いを示しているのだと感じていた。


## 第七章:本質への回帰

説明会から一週間後、佐藤が古い体育館に木村さんを訪ねてきた。

「木村さん、あの後、市民から多くの意見が寄せられました。計画の見直しを検討することになりました」

二人は長いベンチに腰掛けた。

「佐藤くん、私はスポーツビジネスそのものを否定しているわけじゃない。でもね、スポーツの本質は何かをもう一度考えてほしいんだ」

木村さんは静かに語り始めた。

「スポーツはシンプルであるべきだ。選手たちの努力と技術、観客の真摯な応援、そして何より、参加する喜び。派手な演出よりも大切なのは、スポーツ自体の持つ力だよ」

佐藤は黙って聞いていた。

「今、日本は経済の転換期にある。多くの人が苦しい生活を強いられている。そんな時代に、スポーツがさらに格差を広げる存在になってはいけない。むしろ、スポーツこそが、人々に希望や団結をもたらす存在であるべきだ」

夕暮れの体育館に、二人の長い影が伸びていた。

「私たちが今投資すべきは、華やかな演出や施設ではなく、すべての人がスポーツに触れられる環境づくりなのではないかな」

木村さんと佐藤は、それからしばらく無言のまま、ひんやりとした体育館の空気を感じていた。夕日がさしこむコートはどこか神聖な雰囲気すらあり、木村さんは懐かしい思い出を胸に浮かべながら、かつての練習風景を思い返す。

昔、木村さんが少年バレーボールチームを指導していたころは、派手な演出などまるでなかった。それでも、子どもたちは一心不乱にボールを追いかけ、失敗してもすぐに立ち上がって仲間と声を掛け合っていた。試合に負けて悔し涙を流す子を励ますうちに、チーム全体の結束は強くなり、勝ち負け以上に大切な何かを学ぶ場がそこにあった。

「どうやったら、あの純粋なスポーツの力を取り戻せるんでしょうか」佐藤は木村さんの言葉を反芻するように問いかけた。

「きっと、いろいろな方法があると思うよ。華やかなイベントを完全に排除する必要はないだろう。ただ、地域の子どもたちが無料か安い料金で頻繁に使える時間帯を確保するとか、シンプルな設備のコートもいくつか残すとか、工夫の仕方はたくさんあるはずだ。結局、スポーツがもっとも輝くのは、誰もがそれぞれのレベルで楽しめる環境が整っているときなんじゃないかな」木村さんはそう言ってベンチから立ち上がり、床にワックスがけをしたばかりのコートを眺めた。

佐藤はタブレットを取り出し、住民説明会で寄せられた意見を見返していた。子ども連れの家族、高齢者、学生、非正規雇用で時間が不規則な人々——それぞれの立場から、「気軽にスポーツができる環境」を求める声が多かったという。反対意見ばかりではなく、「派手な試合演出もたまには見たい」「地域に活気をもたらすための大きなイベントは必要」といった前向きな声も少なくなかった。

要するに、市民が望んでいるのは「派手さ一辺倒」か「昔ながらの地味さ一辺倒」かという二択ではない。誰もが自分のスタイルで楽しめる、柔軟で多様なスポーツ環境なのだろう。そこにはビジネス的な大成功ばかりを追い求めるのではなく、人々の健康や心の充実、地域コミュニティの強化といったさまざまな価値観を大切にする余地がある。

「木村さんの言うように、スポーツが格差を広げる道具になってはいけませんよね。むしろ、いろんな立場の人をつなげる接着剤にならなくちゃいけない。」佐藤はそうつぶやき、体育館の入り口に目をやった。そこから見える夕焼け空に、かすかな光が射しているように思えた。

「これからは市の方でも住民の声をもっと丁寧に拾って、具体的なプランを考えていきます。プロモーション会社やスポンサー企業とも話し合って、地域の子どもやお年寄りが参加しやすい仕組みづくりを模索してみます」佐藤の言葉には、初めて会った頃よりもずっと強い意志が感じられた。木村さんはその背中を見て、「まだ捨てたもんじゃない」と心の中で微笑む。


## 終章:新たな輝き

一年後、その古い体育館は大規模な改修を終えていた。

しかし、当初計画されていた華やかな演出設備はなく、シンプルながらも機能的な空間に生まれ変わっていた。

観客席は増設されたものの、チケット料金は抑えられ、地域の子どもたちが無料で利用できる時間帯も確保された。

地元企業のスポンサーシップも、過度な商業主義を避けるような形で取り入れられていた。

木村さんは、新しくなった体育館で少年少女たちがバレーボールに興じる様子を見守っていた。佐藤も隣に立ち、満足そうに頷いていた。

「木村さん、おかげで良い方向に進みました。

あのまま派手なエンターテインメント施設にしていたら、本当のスポーツの価値が失われていたかもしれません」

木村さんは微笑んだ。

「時代は変わっても、スポーツの本質は変わらないんだ。それは競技そのものが持つ輝きだよ。派手な演出に頼らずとも、その輝きを伝えることができる。そして何より、スポーツは社会の一部であり、社会全体が健全であってこそ、真の意味で発展するものなんだ」

夕日に照らされた体育館に、子どもたちの元気な声が響いていた。それは木村さんにとって、最も美しい音楽だった。

改修後の体育館は、外観こそ大きな変化はないものの、内部は見違えるほど快適になっていた。天井の照明や空調設備が一新され、かつて老朽化でしばしば問題になっていた雨漏りや冬場の極端な寒さも解消された。地域の中学生や高校生が練習に打ち込む姿を見ると、木村さんは胸が熱くなる。

新しい試みとして、地元企業との提携による「スポーツ教室」も始まった。地元のスーパーや自動車販売店が少額ずつスポンサー料を出し合い、子ども向けの無料指導を定期的に行う取り組みだ。プロ選手を呼ぶような大げさなものではないが、地元の大学でスポーツ科学を学ぶ学生や、かつての教え子たちが講師として参加し、子どもたちに基礎から丁寧に教えている。参加者同士の交流も増え、親同士が情報を共有する場としても盛り上がっているようだ。

この体育館は、目立つ派手さや豪華さを追求するのではなく、誰にでも開かれたスペースとして生まれ変わった。昼間は学校の部活や市民サークルが使い、夜間には仕事帰りの社会人リーグが練習を行う。さらには高齢者向けの健康体操教室や、週末には車椅子バスケットボールの練習試合も行われるようになった。そこには「共につくるスポーツ空間」という理念がしっかりと根づいている。

佐藤は市役所の担当部署で、「地域とスポーツの共生」をテーマに、さらに新しい企画を考案中だ。例えば、スポーツイベントと同時に地元商店街と連携し、特産品の出店を開き、地域経済との相乗効果を目指すなど、多角的な発展を模索している。派手な大規模投資ではなく、地域に根ざした緩やかな成長を実現していく方針だ。

その日、木村さんは改修後の体育館で行われるバレーボールの交流戦を眺めていた。小学生から高校生までが混合チームを作り、世代を超えたプレーを楽しんでいる。コートサイドには保護者だけでなく、近所に住むお年寄りが気軽に足を運び、家族連れが笑顔で応援していた。派手な音楽も大きなスクリーンもないが、ボールが行き交うたびに沸き起こる歓声と拍手が、真の意味でスポーツの楽しさを物語っている。

「スポーツというのは、単なる娯楽や見世物じゃないんだな……」と、改めて思い知る。そこには日常生活の延長としての喜びがあり、人と人とを結ぶ絆がある。華やかなショーよりも、一人ひとりの笑顔のほうがずっとまぶしい。木村さんは、昔の自分と同じように、一生懸命にボールを追いかける子どもたちの姿を見て、心からそう感じるのだった。

試合が終わり、コートの片づけを手伝う子どもたちに声をかける。「お疲れさん。けがはなかったか?」子どもたちは笑顔で首を振る。「また一緒に練習しようね!」と元気に答える姿に、木村さんは自分が守り続けたかった「スポーツの輝き」を見る。かつて失われそうだった競技場が、今、新たな光を放ち始めているのだ。


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