囁きの魔女は分からせる/門番は教える
翌日。
オーガストに頼まれたものを持って、ティカは王城へとやってきた。
「昨日話して顔見知りになったでしょ? なんで確認作業するわけ~?」
「顔見知りでも規則だからな、シュゾンさん。ちゃんと冒険者証を出して」
腰に魔本を下げた冒険者が門番に確認作業を受けているのを横目に、もう一人の門番に挨拶をして素通りする。流石に七年も通っているので、相手が新人でもない限り顔パスだ。
「ちょっと! なんであの子はいいのよ!」
「ああ、あの方はいいんだよ。遊撃隊所属だからね」
「はぁ!? あんな子供が!?」
後ろで聞こえる信じられないと言わんばかりの驚愕の声は、僅かに嘲りも混じっている。慣れているので無視して歩を進めた。
「遊撃隊の小間使いってわけ?」
「キミ! 口が過ぎるぞ!」
続いた嘲笑に、足が止まった。門番が厳しく叱咤するが、もう出てきた言葉は取り消せない。
そのまま謝罪すればまだティカは許してやれた。人間、勢い余って思いもしない言葉が飛び出すことはある。
「だって、あんな弱そうな子供が戦えるわけないじゃん! やっぱり私が入ったほうが良いって!
あ、それとも愛玩用? 隊長って幼女趣味?」
「いい加減にしろ! 彼女は」
「ポットさん、いいよ」
アウトである。
冒険者と応対していた門番が憤り、きっと肩書きを言おうとしたのだろう。それを振り返って止める。
ティカへの嘲りはいくらでもやればいい。彼女の装備の異常性に気付けない者など、三流以下。風の国では冒険者にすらなれない。
だが。遊撃隊への侮辱は、絶対に許さない。
「《略式――私が紡ぎ、私が織り、私が成す》」
「ティ、ティカさん!」
「は? なにそれ。詠唱のつもり?」
こんな小物に魔法など必要ないが、ティカの実力と二つ名を知らしめる必要がある。
大がかりなものは使わないので略式で、最後の締めの句だけを聞かせた。
聞こえたか冒険者に応対していた門番、ポットは若干慌てていたが、ティカは微笑んで大丈夫だと示した。視界の端でもう一人の門番、リックが面白そうに笑っている。
ポットに近い位置にいる冒険者は、馬鹿にしたように笑っていた。ちゃんと聞こえている。
「《あいつの耳元に次の詠唱は届く》」
吐息だけで小さく素早く唱え、目を細め、微笑む。できるだけ怪しく見えるように。
「《お前は魔法を唱えられない》」
そして、とても小さな声で"囁いた"。
「きゃっ!?」
随分と可愛らしい悲鳴を上げ、冒険者は両耳を押さえた。突然耳元で声が聞こえたのだからそんな反応になるのも当然だろう。
ポットは哀れむように首を振る。リックはあーあ。と残念そうに、でもどこか面白そうに声を上げて冒険者の肩を叩いた。
「キミ、囁かれたな。なんて言われた?」
「魔法を唱えられないって。なによ、沈黙の魔法なら残念ながら失敗ね! こうして喋れるもの!」
「なら試しに、何か唱えれば良い」
リックに促されて冒険者はぎょっとした目で彼を見た。本来ならば城門の前で魔法など即逮捕だ。しかし、他でもない門番のリックがどうぞ。となおも勧めるので、おずおずと魔本を開く。
慣れた動作で本のページに手をかざし、
「……え?」
魔力は練れているようで本は光っている。だが、冒険者の口から詠唱は出てこない。
何度も何度も、唱えようと口は開くが、そこから音は出てこなかった。
喋れはするが、詠唱にはならない。魔力も練れているのに言葉が出ないせいで魔法は発動しない。
「なん、なんで!? 呪い!?」
「んー。分類的に呪いなのかなー。でも浄化されたことないんだよな」
「なんですって!?」
慌てふためき睨み付ける冒険者に、ティカは思ったままのことを口に出す。
味方に掛けてみたことがなく、浄化の魔法を使ってみたことが無いためだが、そんなこと冒険者には分かるはずもない。
未知の魔法を掛けられたと顔を青ざめさせる冒険者を面白そうに笑ったまま、リックはティカに顔を向けた。
「ティカさん。この魔法は何日持つの?」
「さぁ? 略式で唱えたから、早ければ数時間だろうけど……最長は知らない」
正確には、この魔法を掛けたことが無いので分からない。それでも略式なので最長でもせいぜい一晩だろう。
最悪を想像したか、冒険者はますます血の気を失い、その場に崩れ落ちた。バサリと本が開いたまま落ちる。
ティカは気軽に近付くと、冒険者が落とした魔本を拾って砂を払ってやった。破れていないか確認して、ついでに内容も確認して、閉じて冒険者へと差し出すも、顔を俯かせたまま動かないのでそっと近くに置いておいた。
「あんた、Aランクだけあって難しいの使うね。でも、癒やしの本が使えないなら遊撃隊ではひよっこだよ。
うち、両方ともこれよりもっと難しいのを使う人が二人も居るんだ」
言外に、お前程度の魔本士は必要ないと告げると、冒険者は完全に怯えた目で見上げてきた。癒やしと破壊、両方を使いこなす魔本士の存在が恐ろしかっただろうか。風の国ではそれが出来ないとBランクにすら上がれないのだが。
「あ、アンタ、なんであたしがAランクって知ってんの……? 言ってないわよね……?」
震える声で言われて、そういえば冒険者自身は言っていなかったことに気付いた。オーガストの昨日の愚痴と、やっぱり入ったほうが良いという発言、破壊の魔本を一冊しか持っていない様子から、遊撃隊へ売り込みに来ている冒険者だと勝手に判断した。間違ってたら笑いものだった。
正直に教えてやる義理はないので、ティカは余裕を持って微笑みを浮かべて見下ろす。
「情報収集を軽視する冒険者は早死にするよ。――シュゾンさん」
先ほどポットが言っていた名前を呼んでやれば、冒険者は完全にすくみ上がって震えだした。
こうやって断片だけの情報でも、使い方次第では相手より有利が取れる良い例だ。相手にとっては悪い例か。
「一つだけ、オレの事を教えとくね」
ティカについてはちょっと周りから聞けば情報は出てくるだろう。だから、周りが知らない事を教えておく。しゃがみながら自分の冒険者証を取り出した。
カード型の表面は写真と名前、生年月日、ランク、所属するギルドの名、発行国が書かれている。発行国に関してはカード自体の色でも分かる。裏面には合格したジョブの名前が書かれている。ランク試験はいろんなジョブで受けて良いことになっており、その中でも最高ランクがその人のランクとなる。
ティカは、風の国で発行した事を示す緑色のカードを示して見せ、裏面を見せた。
冒険者はカードの色だけでももう息絶え絶えだったが、裏面を見てヒッと小さく悲鳴を上げた。
「これがオレのジョブ」
Bランクの欄に付いている名前は四つ。短剣か剣での二刀流を示す【双剣士】、左右違う武器の二刀流を示す【ウェポンマスター】、銃の知識がある事を示す【ガンナー】、探索技能がある事を示す【レンジャー】。
ランク試験はいろんなジョブで受けて良いが、基本的にメインジョブとレンジャーの二つ程度だ。ティカのように四つもあるのはおかしい。しかも魔道士の天敵、近接ジョブである。
冒険者はもう過呼吸になるほどに呼吸が乱れ、脂汗を滲ませていた。
「オレとあんたじゃ、役割が違うんだよ。次に売り込むときは、ちゃんと売り込み先が必要とする技能を調べてからにしな」
笑みを消し、冷たく言い放って、腰に差した短剣と魔導銃に手を当てて存在を強調させながら立ち上がる。
城内でのティカは【囁きの魔女】。魔法使いとして有名だが、冒険者の能力としては近接なのだ。索敵が得意なニールと一緒に、遠征先の索敵が本来の彼女の役目である。ごく稀に参加する訓練も銃と短剣の二刀流で混じっていたりする。
遊撃隊の外部協力者についてちょっと聞いたようだが、Bランクであることと、魔法を使うとしか聞いていなかったのだろう。未熟にも程がある。二度目になるが、この程度では風の国では冒険者にすらなれない。
****
怒ったティカが去って行くのを見送り、リックは小さく細く息を吐いた。
さすがは騎士団内でも最強と名高い遊撃隊の一員だ。小さな体に見合わないほどの威圧感を放っていた。
「なん、なんなのよ……なによあれ……近接なのに、なんで魔法が、いいえ、知らない。囁く魔法なんて聞いた事無い!」
長い髪を振り乱して錯乱し始めたシュゾンという魔本士に、ポットは優しく声を掛けているが彼女には聞こえていないようだ。
この時間帯の門番は暇とは言え、そろそろ面倒臭い。ポットに代わり、リックはしゃがみ込んで彼女の肩を掴み視線を無理やり合わせた。
「キミさ。七年前の厄災の獣の事件は知ってる?」
「え……?」
「知ってるよな?」
「え、ええ」
視線を合わせ、強く問いかければ、水の都の冒険者である彼女は当然と頷いて見せた。いきなり何の話だと驚いた様子で、錯乱していた頭が少し落ち着いたようだ。
「ティカさんは、厄災を止めた三英雄の一人だよ」
「はぁっ!?」
厄災襲撃事件は、城壁を含むたくさんの建物が崩れ、火災に見舞われたものの、人的被害は少ない。
あの日は太陽が翳る皆既日食の日でもあった。日食は異世界と繋がりやすくなる時であり、毎回、異世界から何かが各国に突如として現われる。
厄災も同じように日食の始まりと共に城壁の外、北西から現われた。
すべての命を吸い取る魔物。それが厄災の獣だと伝え聞いている。現に、獣が通った跡は草木は枯れ果てて跡形もなく消えていった。城壁や建物のレンガにも命がある判定なのか、一定の範囲に入ったものはすべて消えたらしい。
城壁や建物は直ったが、城壁の外はしばらく草木の生えない場所があった。最近になって草の芽が生えたとティカが安心したように教えてくれた。
そんな獣を食い止め、人が避難する時間を作ったのがティカだと第一騎士団では伝えられている。
「風の国の冒険者【囁きの魔女】のティカさんが侵攻を食い止め、
王立騎士団総長【黄金の剣の使い手】のディーオル様が補助して、
水の都の冒険者【不可視】のアルビレオさんが厄災の獣を斬った。
この三人の力で厄災の獣は倒され、水の都に再び平和が訪れたんだ」
三英雄の話は市井の間ではあまり出回っていないのか不安になるが、そもそもシュゾンは情報収集が苦手そうなので単純に知らない可能性もある。
そう思い丁寧に説明してやると、一度血の気が戻ってきた彼女の顔から再び血の気が引いた。もういっそ土気色になっている。
「待って……もしかして、【創造士】のティカ……!? どの魔法形態にも属さない、新たな魔法を編み出した天才……!?」
彼女はガタガタと再び震えてティカが消えた方向を見つめている。
呟きから察するに、市井の間で出回っているティカの二つ名と、城内で出回っているティカの二つ名は異なっているため、イコールで繋がらなかったようだ。ティカという名前は珍しくもない。
ともあれ、魔法を封じられた彼女は今日はもう働く事は出来ないだろう。
「ま、キミは今日はもう帰りな。第二騎士団には体調不良だったから帰したって報告しとくから」
「うん。それが良い。温かいご飯を食べてベッドで休んだほうがいいよ」
やんわりと帰るように促せば、ポットもまた優しく促す。
二人に促されたシュゾンは小さく頷き、魔本を腰のホルダーに仕舞うとのろのろと立ち上がって帰って行った。その足取りはふらついていて、まるでアンデッドだ。
「……あの子、契約では確か明日までのはずだけど……来るかな」
「どうだろうね。とりあえず報告するよ」
「うん、お願い」
ポットは心配そうだが、リックにとってはどうでもいい。
城内で待機している中継役に通信を繋ぎ、冒険者がティカを怒らせて魔法を封じられたので帰らせたと伝える。
『【囁きの魔女】を怒らせるなんて、何をやったんだ?』
「遊撃隊の悪口を言った」
『ああ、それはダメだ。むしろ怪我なく帰れただけ恩情かもな。子細了解した。第二に連絡入れておく』
「頼んだよ」
通信を切り、大きく伸びをする。
第二騎士団がやらかした大きな不祥事の余波は、まだもう少し続く。その影響が一番出ているのは遊撃隊だろう。なにせ彼らはその機動力で水の都の至る所に現われ、様々な事件を解決していて知名度が非常に高い、らしい。おしゃべりな冒険者が一方的に教えてきた。
更に全員の顔が良い。子供だと侮られるティカも、きちんと髪型と服装を整えれば立派に美人だ。一度鎮魂祭で遊撃隊の隊服を着、髪を整えて化粧をした彼女を見た事があるが、あのアルクの妹だと納得出来る顔立ちだった。血は繋がっていないはずだが。
彼らは出会い目的の冒険者に纏わり付かれてストレスが溜まっているようで、レーヴェは顔のクマが日に日に濃くなっていく。アルクも元々無表情気味ではあるが、輪を掛けて無表情だ。伝令役のリュートとオーガストも疲れた顔をしていた。ニール、ヴァスク、アブリスは上手く逃れているようだが、隊の空気に悩んでいた。ティカは表面上はいつも通りでもストレスはあるだろう。
「ねぇ」
「んー?」
「遊撃隊の隊室にさ、何か差し入れしたら喜ばれるかな?」
「ああ、良いかもしれないね。ティカさんがよくケーキやドーナツの箱を持ってくるから、ドーナツ詰め合わせ持って行ってみようか」
「うん。交代したら、ちょっと城下町に出てみるかな」
「僕も行こう」
交代したら仕事は終わり。甘味に詳しい副団長に美味しいドーナツの店を聞いて、買いに行ってみるとしよう。
「遊撃隊に差し入れ? それはいいな」
「何!? 弟と妹に貢ぐチャンスか!?」
「パルスート先輩、落ち着いてください」
「落ち着いていられるか! アルクもシリカもレーヴェも昔から遠慮しおって! ティカにいたっては鎮魂祭で会話した程度! もっと構いたい!!」
「アルクさんはともかく、ティカさんは赤の他人でしょう」
「いや、そうでもないんだ。祖母の妹が若い頃に風の国の冒険者になると言って出て行ったそうでな。彼女は黒に近いほど濃い緑の髪だったそうだ。調べきれなかったが、親戚の可能性がある」
「それがホントなら、世界って狭いですね」
「そうだな。よし、リック。遊撃隊の隊室に行って、必要な物が無いか聞いてきてくれ。金ならオレが出す」
「いや、遠慮されると思いますけど……」
「ポット。ドーナツならこの店がオススメだ。俺のオススメのドーナツも書いておいたから、この金で買ってくるといい」
「あ、ありがとうございます、副団長。しかし、なぜお金まで……」
「彼らには世話になっている。立場上、表立っての支援は出来ないが、お前達が友人として差し入れるぐらいは出来るだろう。
……どうにも、今回の事件は底が知れない。噂の根源に辿り着くまで、隊員達には「もう少し耐えてくれ」と伝えてくれ」
「……わかりました」
プチギレ。(ちょっとだけ怒ってる