自称兄はこうして生まれた
【遊ぶ子猫亭】に向かえば、アブリスもちょうどやってきた所だった。昼よりも少し早い時間だからか、待たされることなく席に案内される。
「アルク! ティカちゃん! あと、騎士団の方かしら? いらっしゃい!」
給仕の指示役として厨房とホールを隔てるカウンターにいたシリカが、給仕の一人に声を掛けて交代し、こちらへとやってきた。
「お姉ちゃん格好いい!」
赤に近い茶髪をポニーテールにした彼女は、常とは違って長い前髪もすべて上げている。着ている服もコックコートで、いかにも働く女性という雰囲気にティカは素直に賞賛する。普段の彼女はスカートで美人系だが、パンツスタイルも似合っている。
「あら、ありがと!」
シリカはまんざらでもないようで嬉しそうに笑うと、アブリスへと頭を下げた。
「初めまして。アルクの妻のシリカ・ヒルシュです。主人がお世話になっております」
「こちらこそ初めまして。この春、第三騎士団遊撃隊に異動してきました、アブリス・フェルステマンと申します。ご主人には僕の方こそお世話になりっぱなしで。とても頼りにさせてもらっています」
「ふふ。無茶ばかりする人なんで、どうかよろしくお願いしますね。
さて、メニューはこちらになります」
笑顔で自己紹介を交わし、世間話には広げずシリカはアブリスの前にメニューを開いて置いた。本当は話したそうにしているが、まだ仕事中のために諦めたようだ。
アブリスがメニューを見ている間に、二人へとシリカは顔を向ける。
「ティカちゃんはいつものでいいわね。アルクはどうする?」
「俺もいつもので」
「僕はこのオススメのシーフードパスタでお願いします」
「りょーかいです」
三人の注文を受け取って、メニューを持って彼女は颯爽とカウンターに向かう。よく通る声が厨房に注文を流した。そのまま指示役に戻ったシリカに代わり、給仕の女性が水を三つ持って来る。
水を一口飲んで唇を湿らせたアブリスが体勢を整えたのを見て、アルクとティカも聞く体勢を取った。わざわざ二人にだけ聞きたいと言うのだから重要な案件なのだろう。しかし、彼は困ったように微笑んで片手を振った。
「ああ、そんな身構えないでください。ちょっとした好奇心なだけです。
なぜお二人は、兄妹と名乗っているのかと気になりまして」
アブリスの疑問に二人の肩から力が抜ける。それは遊撃隊に入隊した者なら一度はしてくる質問だ。アブリスが入隊したのは春からなのでまだ半年程度。そういえば彼にはまだ説明していなかったと思い出して、ティカは顔を上げた。
「オレが遊撃隊の外部協力者になった経緯は知ってるよね」
「ええ。七年前の厄災襲撃事件で騎士団と協力した縁から、冒険者の知識も取り入れる試験的な役割として勧誘されたのでしたね」
「そ。で、見た目がこれだから、保護しなきゃと思ったらしいこの人が、入隊日にいきなり言い出したんだよ」
あの日を思い出して、ティカは少し遠い目をする。あれは酷かった。
****
ティカはかつて、厄災の獣であった。
正確には、厄災の獣を身の内に封じた人間の女性だ。
危険人物のために城での軟禁を提唱されたが、彼女自身が贖罪として水の都に尽くすことを提案。住む場所も城では暴走時に被害が甚大になるとして、郊外を提案した。城内で協議が重ねられた結果、その提案は飲まれ、監視も兼ねて彼女は遊撃隊の外部協力者として城に通うことになった。
だが、当然ながら事情を知らない者からの反発は起きる。
それを手っ取り早く解消する方法として、アルクは第三騎士団に顔を出したティカへとこう言い放った。
「今日から俺が、君の兄だ!! 存分に頼ってくれ!!」
何を言い出したんだこいつは。とその場の全員がアルクを唖然とした目で見たのは言うまでもない。
「え、お断りします……」
片膝を付いてティカの右手を取り見上げてくるアルクにティカがドン引きしたのも、言うまでもない。これがプロポーズならまだギリギリ理解できるのだが、実際には兄宣言である。怖い。
思わず手を引いて離れようとしたが、思った以上に力が強く、まだ力加減を上手く調整できないために安全に振り払うことが出来ない。
「遠慮しないでくれ。兄として君を護り、君の力となろう」
「いや、あの、普通に嫌です。つかまじで関わらないでください」
「しかし、遊撃隊の仲間となるのだから、相互理解は必要だろう」
「あ~……相互理解の必要性は分かりますが、それが兄となることには繋がらないでしょう」
「いいや、大いにある」
真剣な口調で断言され、逃げようとしていたティカは動きを止めて胡乱げな目で銀の双眸を見下ろした。
「遊撃隊は出来たばかりで騎士団の中ではあまり地位が高くない。君の実力は未知数のため、見た目だけで判断した悪意ある誰かから、何かしらの嫌がらせを受ける危険がある。
それらの悪意から君を護りたい。そして俺はこれでも伯爵家の次男だ。俺の身内だと示しておけば、多少は護れるはずだ」
思った以上にまともな考えで下された宣言だったことが分かり、彼女はとても嫌そうに眉を寄せる。遊撃隊の隊長だと紹介された団員へ助けを求める視線を向けると、オレンジの髪の彼は諦めろというように目を伏せ首を振った。
アルクはじっとティカを見つめて待っているし、他の騎士達の視線も刺さっていて、彼女はさっさと逃れたい思いから深々と溜め息をついて一度頷く。
「わかり……いや、分かった。あんたのことは兄さんと呼ばせてもらう」
「ああ! 遠慮無く頼ってくれ!」
途端に顔を輝かせる。そこでティカはやっとこの男が整った顔を持つ美形の部類だと気付いた。別の意味で悪意に晒されそうだと気付いたが時すでに遅し。
こうして、自称兄が生まれたのだ。
それから七年。すっかりと兄呼びが定着したし、呼び方も兄さんからお兄ちゃんに変化した。
ティカが魔法を使うと目の色が銀に変化するのもあり、騎士団の新人の間ではアルクの家の公表できない子供なのだろうと噂されている。
****
「俺も若かったな……」
僅かに目を伏せ、頬を少し染めて少し恥じらうような表情をするアルクに、ティカは片目を眇めて露骨に嫌そうな顔を向けた。この恥じらいは言い方に問題があったという反省が入っているだけで、兄宣言については何一つ恥じていないし反省もしていないと彼女には分かる。
「今すぐ撤回してくれていいよ。オレの実力も知れ渡ったし」
「それは無理だな。お前はいつまで経っても俺の妹だ」
「オレの方が数日早いけど?」
ティカはアルクと同い年だ。更に言えば数日ほど彼女の方が誕生日が早いので、兄弟関係になるならティカの方が姉と慕われるべきだ。せめて弟になれ、それが嫌なら解除しろ。と言外に告げてもアルクは首を振る。
「生きた日数は関係ない。どちらが庇護するかという問題だ」
「もう庇護する必要がないと言ってるのに……」
堂々巡りだ。やはり今回も撤回させることは出来なかった。テーブルに頬杖をついて溜め息をつくティカに、アルクは満足そうな微笑みを向ける。兄なら頭を撫でそうだが血縁者ではない彼が触ることはない。
「……兄なのに、触ることはないんですね」
アブリスの不思議そうな問いに、アルクの笑みは消え、少しだけ遠い目となった。
「出会って半年ほどは何度か撫でたことがあるが、彼女の旦那に分からされたからな……」
「フルボッコだったね」
一応、職場の人間だし顔合わせしておいたほうが良いかとティカが二人を合わせたところ、アルクが気安くティカの頭を撫でたのだ。
それを見たアルビレオが、自然な流れで額に赤のはちまきを巻き、とても綺麗な笑顔を浮かべた。
『アルクさん、でしたね。手合わせをお願いできますか? 一度あなたは、分からせなきゃなと思ってたんですよ』
アルビレオはレーヴェと同じか少し低いほどで、顔立ちはどこにでもいそうな穏やかな外見の男性だ。体格も筋骨隆々というわけでもなく、鍛えられてはいるが見た目は強そうではない。だが、誰も近付けないほどに暴走した厄災の獣をたった一人で止めてみせた、都最強・最速の双剣士である。
アルビレオは木刀一本だけ。アルクは真剣と盾を装備しての手合わせをした結果、アルクは一瞬で一本取られた。後ろから首に突きつけられた木刀に、何が起こったのかアルクだけ理解できなかった。それから何度も手合わせしてもアルビレオに一矢も報いることは出来ず。怪我もないまま負けを認めさせた。
圧倒的なアルビレオの実力と、初めて見せた嫉妬にティカは大いに喜んだ。あの時のことを思い出して少し気分が良くなる。
「ティカさんの旦那さんというと……」
「冒険者のアルビレオさんだ。【不可視】の方が城では通りがいいか」
速すぎて誰にも見えず、気付いた時には敵は斬られている。熟練の剣士ですら、経験からおそらくあの辺りだろうと先に視線を向けても、彼の影しか見えないほど速いため付けられた二つ名だ。魔法も使わず純粋な身体能力でこれである。
「【不可視】!? 厄災を止めたという、あの最強の双剣士ですか!?」
「そそ。カッコいーでしょ」
厄災を止めた際、騎士団の間では名前ではなくそちらの二つ名の方が浸透した。インパクトがある方が広がりやすく覚えやすいのはどの世界も共通だ。その知名度を利用して結婚後にティカは彼の妻であると広めようとしたが、誰も信じてくれずにアルクの妹で定着してしまった。
アブリスは驚きすぎて言葉を失い、唖然とした表情でティカを見つめている。彼女はニンマリと嬉しそうに笑った。
「最っ高に格好いい旦那様だよ」
なお、外見はどこにでもいそうな普通の男性である。(二度目)
どこにでもいそうな普通な顔の人が実は最強とか大好きです。