【自己評価:価値なし】の二人
過去編といったけれど書き上がらなかったので!!!!
寒暖差だったり、雨の強く降る日だったり、あるいは日々の疲労だったり。
理由は様々だが、どんな強い人間だって凹むことはある。
それが、日々精一杯虚勢を張っているような人間なら、なおさら。
今日出勤しているのは、リュートとヴァスク、新人のイヴェール、そしてレーヴェだけだった。
珍しくレーヴェが出勤でオーガストが休みなのは、シリカがオーガストと女子会をしたいと騒いだからだ。なので、オーガストは有休を使ってお休み。アルクは元々休みで、二人の護衛をしている。
ティカは基本的に自由出勤だ。なにせ外部協力者。気まぐれで休んだり、出勤したりしていい。
今日は朝から憂鬱な雨。だから本当は行きたくないが、ティカは隊服に袖を通した。
「あれ、行くの?」
「うん。今日は監視役がいないからね。ちゃんと仕事してるか見張らなきゃ」
不思議そうなアルビレオにティカは笑顔を向けて、外套を羽織る。その上で傘も差す。隊服をあまり濡らしたくない。
気を付けてと送り出され、彼女は雨の中、王城へ向けて歩き出した。
激しくはないが緩くもない雨の中を歩く者は少数だ。
どれだけ長く降り続くかは分からないが、通りの隙間から見えた海辺側の雲が薄そうなので、午後には小雨、夕暮れには止んでいるだろうと当たりを付ける。
人気がないことと、雨音でどうせ消えるだろうと、ティカは小さく歌を歌う。そんな気分なので。
「――――……♪」
異国、地球という世界からやってきた異邦人から聞いた、弾むような歌をアレンジも入れながら歌う。憂鬱な気分を吹き飛ばすように。
王城に着いて、傘と外套から水気を切って、腕に抱えて遊撃隊の隊室に向かう道でもティカは小さく歌い続ける。この道は元々人が少ない。
「おはよーございまーす」
「あれ? はよっす。雨なのに来たんすか?」
「おはようございます、ティカさん」
「明日休むからねー。今日は出勤しておかないと」
隊室に居たのはリュートとイヴェールだった。リュートが新人のイヴェールに魔物の倒し方の講義をしていたらしい。作戦会議に使う大きな黒板の前にリュートが立ち、机を移動させてきてイヴェールがメモを取っている。机の上には魔物図鑑も広げられていた。
案外、というと失礼だが、リュートは座学の教え方が上手い。訓練となると手加減が出来ないのでアルクが適任だが、座学に関してはアルクと同じぐらい上手い。ヴァスクは図書館に行ったらしい。レーヴェは隣で仕事中。
「レーヴェ君、入るよー」
ノックをして声を掛け、返事は待たずにドアを開けて執務室に入った。
執務机にレーヴェの姿はなく、明かりを消さずにどこかに行ったように見えるが、ティカは迷うことなく執務机まで向かい、椅子に勝手に座る。
「……少しは探せよ」
「いようといまいと、オレがやる仕事は変わらないからなー」
椅子の後ろ、衝立の向こうからの声に驚くことなく、ティカは机の上にあった書類を読んで分類していく。
「……ティカ」
「いるよー」
呼ばれたとしても彼女は席を立つことなく、書類と向き合う。
「…………ティカ」
「はいなー」
「…………てぃか」
「んー」
「………………ことは」
親以外だと夫と彼にしか許していない本名を呼ばれて、ティカは少し動きを止めて僅かに目を伏せる。
これは相当メンタルがやられている。雨と相棒がいないことと、嫁を親友に取られたことがメンタル激落ちの原因か。
「どうした、スバル」
何にせよその名で呼ぶのなら、仕方のない奴だと笑いながらこちらも本名で呼んでやる。
「…………ことは」
「いるよ。オレはここにいる」
「……えりーをしりかにとられた」
「そうだな。女子会してる」
お前も休んで一緒に行けば良かったのにとは言わない。レーヴェはいつも自分の感情を二の次にして、アルクとシリカを優先させる。オーガストが嫌がっていないのならなおのこと。笑って送り出したのだろう。本心は行って欲しくないと思っていても。
しかし、人数の少ない隊室はあまりにも静かで、さらに雨だ。押し込めていた感情が処理しきれずにグルグルと頭の中を回ってしまう。頭の回転が良いだけに高速で自分で自分の感情を否定し、ドツボにハマっていく。
「まだあるだろ。吐き出せよ」
だからティカは来た。吐き出させるために。彼のその思考は彼女にも経験があることだから。
レーヴェが吐くのはとりとめもないことだ。一つ一つ、自分でも確認するようにゆっくりと、慣れない様子で感情を吐き出していく。ただそれにティカは相槌を打って、時に同意して、助言めいたことや否定の言葉は言わないようにしながら、受け止めていく。
かつて、そうやって自分の感情を解いてもらったように。ティカもレーヴェの感情を解いて、心の澱を吐き出させる。
「……消えたい」
そして最後に残った、根底の濁りを曝け出させる。
やっと吐き出したことに小さく息を吐き、ティカは書類から目を離して宙を見た。
「そうだね。オレも未だに思うよ」
消えてはいけない理由はたくさんある。それらをすべて理解した上で、自分なんてこの世界から消えてしまったほうが良いと思う瞬間がある。
ティカは、弟達より自分が劣ると自覚した子供の頃から。
レーヴェも、おそらくは子供の頃からだろう。
性別も、立場も、生きてきた場所も、すべて違う二人なのに、どうしても死にたい時に、相棒に救われたという共通点がある。
そして、相棒を殺しかけた経験まである。
だからたまに互いにこうして話を聞く。
消えたい。死にたい。誰にも言えない希死念慮を、互いにだけ吐く。
「……エリーにはオレより」
「スバル」
ただ、絶対に吐いてはいけない言葉だけは吐かせない。鋭く名を呼んで遮る。
言葉を飲み込んだレーヴェにティカは表情を緩めて、今度は優しく名を呼ぶ。
「本当に付き合いきれないと思ったら、彼女のほうから離れるだけだ。
お前から手放そうとするな。それはオーガストを傷つける行為だ」
オーガストが欲しいと、レーヴェがなりふり構わず求婚をした。その時の感情は紛れもなく彼の本心だ。そして、その手をオーガストは彼女自身の意思で掴んだ。だから否定させない。他の可能性など上げさせない。その言葉はオーガストに失礼だ。
それにもう、遅いのだ。
「お前の肺を、手放すな」
オーガストはアルクと同じように、レーヴェの心を占めている。彼女無しにもう呼吸など出来ないと言ったのはレーヴェ本人だ。彼女を手放したいというのは、自傷行為に値する。
だからティカは否定する。これ以上傷つこうとする彼を止める。
「――っ」
息を飲んで、少し間が空いて。大きく息を吸って吐く音がした。鼻を啜る音は聞かなかったことにする。
もう大丈夫だとみてティカは書類の分類作業を再開した。
「……コトハ」
「なに?」
声が少し涙に濡れている気がするが、やはり気のせいということにして、ティカは返事をする。
「――好きだ」
処理しきれなかった本心がこぼれ落ちたようだ。この男は気軽に好きと口にするからすぐに勘違いされるのだ。直せと言っているのに好きな物を好きだと言って何が悪いと理解しない。
ティカは溜め息をついて、仕方のない奴だと笑う。感情が先走って言葉が紡げないのは今に始まったことじゃない。この「好きだ」は「付き合ってくれてありがとう。お前のそんな優しいところが好きだ」といったところか。
「はいはい」
故に笑って流した。深刻に受け取る必要などどこにもない。友人同士の言葉遊び。まぁ、声の重さ的にかなりきわどいモノだから、他人の前、特に互いの伴侶と相棒の前では絶対に出来ない遊びだが。
「さっさと元気になってよね」
「ヤダ。今日はお前に全部任す」
「うっわ、最悪だ」
声に少し力が戻ったが、まだ時間はかかるだろう。
分類の終わった書類の中で、不備がありそうなものから処理をすべくティカはペンを手に取った。腹が立つことに、彼女の愛用している店のペンがレーヴェのペンの隣に置いてあった。ティカが来ると信じていたようだ。
「レーヴェ君、甘えんなよなー」
こうやって全幅の信頼を示されると照れてしまうが、そうやって照れることが悔しい。複雑な心を口を尖らせて文句として吐き出したら、衝立の向こうから鼻で笑われた。
「お前には、甘えていいだろ」
不意打ちに、息が止まった。
レーヴェという男は、甘えや弱さを他者に見せることを良しとしない。いつでも誰にとっても頼りになる姿しか見せようとしない。その裏にある血の滲むような努力も見せずに、不敵に笑って胸を張るような意地っ張りな男だ。
そんな男が甘えさせてくれることを信じ切った声で、全力で甘えてくる。
色々と言いたいことはあるが、全力で甘えてきたことを拒否するわけにはいかない。仕方ないなと口を尖らせたつもりだが、口角が上がっている気がした。
「……いいよ。許してあげる」
自分がどんな表情をしているか分からないまま、甘えることがとてつもなく下手な男の甘えを、受け止めてやる。思ったよりも優しく甘い声が出た。
安心したような吐息が、後ろの衝立の向こうから聞こえてきた。
****
「~~……♪」
会話は終わり、ティカは故郷の歌を小さく口ずさみながら、時々読み込むために黙って。間違っている箇所や不備があるなら書き込んで却下しておいて、作業を続けていく。
「……風追いの歌か」
小さな呟きに望郷の想いを感じ取って、ティカは驚いて歌を止める。ペン先をインク壺に付ける前で良かった。付けていたら軸まで差し込んでいたか、壺を倒していたところだ。
風追いの歌は風の国で歌われる子守歌だ。地域によって多少歌詞やメロディラインが異なるものの、大まかには同じ。我が子に風神の加護がありますようにと祈りを捧げる歌。広く歌われているが、当然、他国にはない。せいぜい風の国と国境を挟んで隣り合わせの領なら、話のタネに聞いたことがあるだろうか程度。
ティカが水の都に来てもう八年。いろんな歌を聴いてきたが、この歌を聴いたことは一度もない。
「さすが、博識だね。イヴェールに歌魔法の指導もしてたし、地元はやっぱ国境沿いのどっかかな」
レーヴェの本名から、おそらくは国境沿いだろうと踏んでいた。スバル、コトハと言った名前は、風の国の特徴だ。国境沿いでは双方の名前が入り交じっている。国の中心に行く前に国に合わせた通り名を作り、名乗るのが通例だ。身分証には両方の名前が記載される。
水の都初の歌魔法の使い手として騎士団に入団したイヴェールに、少し歌魔法の歴史を説いていたのを聞いて、さらに疑惑を強めたところだったが確認まではしなかった。そもそもはぐらかされると思った。
歌魔法は風の国グラウンヴァーゼで生まれた独特の魔法で、歌に魔力を乗せ、様々な効果を付与していく。元は羊を集め、狼を退けるための歌だったが、段々と改良され、理論づけられて、やがて魔法として確立した。
歌い手の技量と感情が魔法の効果を決めるので効果が安定せず、原初の魔法と言われている。
風の国では当たり前の知識だが、水の都では全く知られていない。そもそも歌魔法があまり知られていない。
去年、ジュルクが第二騎士団長になったので、約束の【創造詩】の理論を説明するため土台となった歌魔法の本を王城図書館で探してみたら、歌魔法の歴史の本があった。イヴェールはそこで歌魔法を知り、独学で歌魔法を発動させたのだと後で聞いた。
本が既にある以上、読書家のレーヴェが読んでいてもおかしくない。
だからはぐらかされるだろうなと思いながら言って、ペンをインク壺に付けてインクを足し、書類の処理を続けようとした。
「……ソーディスだ」
ペン先が紙に触れる前。返ってきた言葉に嘘の響きはないが、ティカは眉根を寄せて一度ペンを置いた。
「……それ、からかってる?」
僅かな怒りを込めて問いを投げる。なぜならその都市は、風の国の南東にある交易都市の名前。ティカの生まれ故郷だからだ。
そして、レーヴェの種族と風の国の入国禁止種族を知っていれば、あり得ないとわかる場所でもある。
「例外はあんだろ。リヒトとか」
言われると思っていたか即座に返ってきた答えに、ティカはすべてを理解して目を閉じ、背もたれに体を預けながら息を吐いた。
「……後天性の『花人』か……」
風の国以外では魔力が高いこと、花を食べることが出来る程度の特徴しかない種族『花人』。だが、風の国では入国禁止にされている。
理由は明確。彼らは風の国にのみ生息するピクシー族を引き寄せる性質を持っているからだ。ピクシー族は無邪気な子供のような性格で、人間の常識は全く通用しない。悪意なく、時に悪意を持って、様々な悪戯をしてくる。姿を見せることは滅多になく、人の手の入っていない森の奥地や、廃村、遺跡辺りを自らの領域としていた。
花人につられて自らの領域から出てきたピクシー族は、花人を中心として新しい領域を作り出す。そこが町だろうと関係はない。廃村は花人に引きつけられたピクシー族が作り上げたというわけだ。
リヒトは最近保護した、風の国生まれの歌魔法使いの少年だ。訳あって花人になる必要があり、ティカの友人から手助けとしばらく保護して欲しいと頼まれた。現在治療中である。
「てっきり、生まれつきだと思ってたよ」
水の都には普通に花人が暮らしている。本人もそうと知らずに生きてきて、風の国に旅行に行こうとして入国検査で結界に弾かれて初めて花人だったと判明する人もいるくらいだ。
ティカもレーヴェが花を食べている所を偶然見なければ、彼が花人だと気付かなかっただろう。会ったことはないが親も水の都にいるようだし、どちらかが花人で遺伝したのだと思い込んでいた。
「俺が十歳の時、親父が事業に失敗して破産してな。そこから立て直せず、俺だけ母親の妹のところへ預けられることになった。
一人暮らしの若い女のところにいきなり預けられてあの人も大変だっただろうな。でも、ちゃんと衣食住は確保してくれたし、移住手続きも全部やってくれた。そんでまぁ、俺も少しは稼ぐかーって近所で色々と小さな仕事やって小遣い稼ぎしてた。歌魔法も当時もう発現してたから、街角で歌ったりとかもしたな。
流石に学校に行く金はなかったから、図書館で勉強してたらアルクと会って……色々あったな……」
「……お疲れ」
色々あったな。の声がだいぶ遠くを見ているような声だったので、本当に色々とあったのだろう。
とりあえず長年の疑問があっさりと解決した。平民なのにどうして貴族のアルクと幼馴染みになれたのか分からなかったが、そういう経緯なら納得する。アルクはよく家を抜けだし、図書館に本を読みに行って使用人達を困らせていたとジュルクから聞いた。目録から選んで取り寄せるよりも、たくさんの本の中から気になった一冊を読みたい、という気持ちは分からなくもないのだが、一言でも使用人に言付けて行け。
「でも、それでなんで花人に?」
「その色々の中で、なんと歌百合の蜜をアルクに掛けようとしたヤツがいました」
「なんでっ!? え、ちょ、まさか原液!?」
「原液」
ティカが動揺したことが面白かったのだろう、笑った声で信じられない答えを返され、彼女は思わず振り返ってしまった。
風の国では生きられなくなるが、花人化はとある症状を救うための方法でもある。唯一何の後遺症もなく花人化を可能にする歌百合の蜜は国境沿いの町と王都の神殿で厳重に保存されている。どこで手に入れたのだろう。
普通はそれを薄め、患者の体調によって日数を掛けて飲ませるものなのだ。なにせ体内の構造を変えるのだから、多少の苦痛が伴う。様子を見ながら投与しなければ命が危ない。リヒトもこの薬を服用しているところだ。
それを、原液。大人ですら原液をかけられては命がないのだから、子供が耐えられるはずがない。
「死ぬのって、寝てんのと変わんねーよな」
「……そこまで重ならなくていい」
思わぬ共通点をもう一つ発見してしまって、ティカは深々と溜め息を落として背もたれに体を預け直した。
ジュルクか、当時のソル・パルスート家当主が、息子の命の恩人に蘇生魔法を掛けたのだろう。そのままジュルクに白魔法を教わっていたとしてもおかしくない。平民にしては異常なほどの魔力の高さも理解した。花人なのと本人の鍛錬の賜物だと思っていたが、一度死んで世界の狭間を見たのなら納得だ。
レーヴェが喉奥で笑っているのが聞こえて、もう一度ティカは溜め息をつく。
「花を食むアルクが耽美だから花人に変えたかったんだと」
「人の趣味はそれぞれだけど他者を巻き込むな……しかも原液はねえだろ……」
「たまに居るよな。薬全部飲みきったらすぐに病気治るって考えるヤツ」
「いるねぇ……そういうこと……」
頭痛がしてきた。首をゆるりと回し、ティカは一度大きく伸びをし、気を取り直して仕事を再開させるべくペンを手に取る。
肺は伴侶。心臓の左半分は相棒、右半分は互い。でも言わずに、心臓は相棒だと口では言う。
暗い気持ちはお前が受け止めて。伴侶で回復して。相棒が全身に活力を送り出す。そんな関係。