囁きの魔女はブチ切れていた/冒険者たちは分からされる
執務室の効果は絶大だった。隊室には入ってくるが、レーヴェやアルクに会おうとする者に対してきっぱりと断れる。
これにより、まずアルクのストレスが激減した。食事中や移動中は仕方がないが、休憩中にまで声を掛けられる事がなくなったのは大きい。
続いて、アルクとレーヴェのいちゃつきを見せられていたリュートのストレスが激減した。アルクのストレスが激減した事でレーヴェに甘える必要が無くなり、嫌な事があっても執務室のソファでくっついているので見えない。執務室に主に入るのはオーガストなので、二人を見る事はなくなった。
「美形二人のイチャイチャ見られなくて残念がる声もあるけど、レーヴェ隊長の目の下のクマとアルク副隊長の雰囲気が酷かったから、心配してる人が多かったんですよ。お二人が安心して過ごせる場所が出来て良かったです」
そう話すのは、遊撃隊にたまに協力する第三騎士団の団員だ。彼女は以前、隊室自体を隊員以外立ち入り禁止にすればいいと進言してくれたこともある。しかしそうすると、ティカは専属とはいえ外部協力者なのだから、特別扱いはえこひいきだろうと第二騎士団から釘を刺された。
団にすっかりと馴染んでいるし、去年の騎士団の式典に隊服を着て参加していたとはいえ、ティカの身分は冒険者のままなのだ。ティカにオーガストとヴァスクの引き抜きを阻止された事を恨んでいるらしい。
隊室のソファに座り、団員――銃士のミネットは出された紅茶を飲みながら、ちらりと執務室に視線を向け安心したように微笑む。
正面に座ったオーガストも執務室を見て、ミネットへと微笑んだ。隣に座るティカはもぐもぐとミネットが持ってきたクッキーを食べる。
「しかし、オーガストさんは二人のいちゃつき見ても何も思わないんですか? 一応旦那様でしょ?」
ミネットの心配ももっともだ。酔い潰れて怒濤の愚痴を吐いていたオーガストを見ていたティカは、彼女が思うところが無いわけがないと分かっているが、職場での彼女達の様子しか見ていなければ、オーガストの事が心配になるだろう。
カップをソーサーに戻したオーガストは、余裕のある微笑みを浮かべて頷いた。
「アルクさんはこの隊の支柱ですから、彼のメンタルケアが最優先されるのも致し方ない事。レーヴェさんも少しは癒やされてるところがありましたし、文句はありませんよ」
妻として、部下としての模範解答に、ミネットが思いっきり眉を寄せて不満そうにオーガストを睨む。
「それで貴女がストレスを溜めていては意味が無いでしょう」
貴女自身の心配をしていると不満と心配を隠さずにぶつける彼女に、オーガストは表情を少しだけ変えた。
嬉しそうな笑みにしてテーブルにカップを置き、内緒話をするように身を乗り出したので、ミネットもカップを置いて身を乗り出す。
「今回の事で、レーヴェさんの不眠症を治せるのは私だけとわかったので。充分です」
そう。今までは倒れる前に薬や魔法で無理やり眠っていたレーヴェが。アルクが側に居たとしても三十分も眠れなかったレーヴェが!
たった一人、オーガストと一緒に寝ると熟睡する事が分かったのだ!!
レーヴェは相変わらず家には帰らないし、夜は碌に眠れてないらしいが、昼食後にオーガストの膝枕で仮眠を取っているので倒れる事はないようだ。レーヴェに頼られていることでオーガストのストレスも解消し、万々歳である。
嬉しそうなオーガストにミネットは一瞬呆れた顔をして、息を吐いた。
「それなら良かった」
そう言いながら、少しの安堵の混じった微笑を隠すように紅茶を手に取り口を付けた。
微笑に気付いては居るもののツッコミはせず、だがにやける口元はどうにもできずにティカも紅茶を飲む事で口元を隠す。そして飲み干した後、カップを持って立ち上がる。
時計を見ればちょうど良い時間帯。
「まだお菓子は残ってますよ?」
「紅茶もありますが」
「んー、ちょっとやることあったの思い出して」
不思議そうなミネットとオーガストに笑顔で首を振り、さっさとシンクに持っていってカップを洗った。
「いってきまーす」
「いってらっしゃい」
「どこに行くかは知りませんが、いってらっしゃい。お気を付けて」
二人からの声を背に受け、笑顔のままティカは部屋を出た。
ドアを閉めれば、彼女の顔から笑顔が消える。
声かけが酷くて、レーヴェもアルクもかなりのストレスが掛かっていたことは知っていたつもりだ。
しかし、オーガストが女の嫉妬の標的にならないよう、後をつけられて家に来られないよう、家に帰っていないなんて知らなかったし、アルクがストレスのあまり凶悪面になってるのも知らなかったし、ストレス発散にレーヴェにべったりしているなんて知らなかったし、リュートがその現場を毎回見てげんなりしてるのも知らなかった。
アルクはティカの前では笑顔だったし、レーヴェとはあまり触れ合っていなかった。心配させないよう隠していたのだろう。
兄として頑張っている彼に、かなり腹が立った。
ティカとアルクは同い年で、なんならティカのほうが数日だが先に生まれているので姉だ。
そしてティカは、実は四人姉弟の一番上の姉である。男兄弟の一番上のせいで、自分の中でも長女と言うよりも長男という認識が強いが、とにかく一番上の姉なのだ。
姉とは、弟に理不尽な要望を押しつけつつも、少しぐらいは弟のためになることをしてやる存在だとティカは認識している。
アルクのことは、皆の前では彼の顔を立てて兄と呼んでいるが、ティカとしては弟に近い。双子の兄弟は互いを兄姉であり、弟妹として認識すると言うが、おそらくその感覚に近いのではないだろうか。
まぁ、つまり。何が言いたいかというと。
兄であり弟である彼と大事な友人達に対して、過度なストレスを与える存在に、ブチ切れていた。
だが、しかし。調査をしている人間から「もう少し耐えてくれ」などと言われては、ティカは冒険者たちの雇い主である第二騎士団に文句を言いに行くことが出来ない。
(エウロさんがいたら、ギルド側から注意もしてもらえたんだろうけど……)
いつも利用している情報屋が情報収集中のためか連絡が取れないため、どのギルドに連絡すれば良いのかが分からなかった。そもそも一つのギルドではない可能性だってある。
だから、今いる冒険者たちだけでも、釘を刺すことにした。
思いっきり。
****
第二騎士団、外部協力者用控え室に、子供と見間違うほどの低身長の人物が訪れた。ちょうど昼勤務の者と夜勤務の者で交代し、情報を共有する時間だった。
髪が長いことと顔立ちからおそらく少女だと思うが、女顔の少年だと言われても違和感がない。無表情のまま銀の瞳で中を見回している。
黒のシャツに焦げ茶の胸当てを付け、片側だけの黒いマントを羽織り、紫のクリスタルがはまった銀の留め具で留めていた。騎士団の隊服にも見えるが、騎士団は身長制限があったはずだ。
腰には魔導銃と短剣を佩いており、使い込まれた様子から相当な手練れだと判断した彼は、すぐに認識を子供から女性、あるいは青年だと認識を改めた。水の都では子供の身長でも、別の国では大人だったことは当たり前にある。
「あれ。子供は立ち入り禁止だよ。どこから入り込んだの?」
だが、それを知らないのだろう。装備の異常さにも気付いていない様子の、面倒見の良さそうな女性の黒魔道士が少し不思議そうに声を掛けた。
その人物は彼女を見上げ、皮肉げに笑って血色の良い小さな唇を開く。
「オレが子供に見えるなら、あんたは冒険者をやり直したほうが良いよ」
少年のようなアルトボイスが皮肉を吐き出す。見た目に反して、想像以上に声が低い。中性的な声に女性だけでなく注目していた全員が驚いた。
ぎょっとしている女性をよそに、青年だか女性だか分からない中性的な冒険者とおぼしき人物は遠慮無く部屋の中へと進む。
そして周りを見回し全員が自分に注目していることを確認すると、にっこりと愛らしく微笑んだ。
「初めまして、冒険者の皆さん。
私はティカ。ティカ・エボルタと申します」
胸に手を当て自己紹介をする姿は正しく女性。声も綺麗なソプラノボイスで、先ほどのアルトボイスは聞き間違いかのようだ。
動きは高位貴族のような振る舞いなのに、装備品は冒険者の彼女のちぐはぐさに混乱しているところに、彼女は更に混乱を招く。
「第三騎士団遊撃隊専属外部協力者ですが……冒険者の皆さんには、【創造士】のティカ、と言ったほうが分かってもらえるでしょうか?」
全員が動揺し、部屋の中が一瞬ざわついた後に静まり返る。
今回の募集よりもずっと前から王城を出入りする冒険者のことは当然耳に挟んでいる。「何でも知っているが制約により話せない」という噂を持つ【囁きの魔女】。第二騎士団が冒険者を募集するきっかけになったとも聞いている。
それがまさか、水の都の者なら誰もが知っている三英雄が一人、【創造士】のティカだったとは。こんな幼い外見だとは思いもしなかった。
「今回は、皆さんにお願いがあり、皆さんが集まるこの時間にお邪魔させていただきました。
私のお願いはただ一つ。
騎士団の団員を含む、王城で働く者への声かけはおやめください、というものです」
にっこりと微笑みながら、その銀の瞳はけっして微笑んでいなかった。
彼は長期契約をした冒険者だ。王城図書館の貴重な本を読むチャンスなので、報酬は少々安いが他の仕事を蹴ってでも受けた。
対して、騎士達に近付くチャンスだと短期で契約している冒険者もいると聞いている。彼らはどこからか話を聞いて、積極的に声を掛けに言っているらしい。
昼食後、食堂の隣のガゼボで休んでいる様子の、紺の髪の団員とオレンジの髪の団員に声を掛けている冒険者を見たことがあり、よくやるものだと呆れたものだ。頭だけしか見えていなかったが、あの近さは恋人のそれだ。そこに割って入るなど愚かすぎる。
そんな事柄が他にも数多くあったのだろう。
だから、釘を刺しに来た。
「本来なら第二騎士団から注意をしてもらうのが正しい手順ですが、短期契約ゆえに行き届かないことがある。なんて言われてしまいまして。
ならば、同じ冒険者として、働きにくくなるのでやめてほしいと直接お願いに来たのです」
銀の瞳は笑わないまま、全員を見回す。
「王城は出会いの場ではありません。ここでは多くの人間が働いています。
同じ冒険者として、どうか恥ずかしくない行動をお願いします」
静かに淡々と。口元には笑みを携えたままお願いをして、彼女は胸に手を当て頭を下げた。
「……なるほど。お前の言うことは分かった」
一人の青年が片手を上げて発言し、堂々とした態度でティカへと歩み寄り、見下ろす。身長差はまさに大人と子供。
術者と言えど冒険者は体が資本だ。彼は晒している腕を見るにそこそこ鍛えている。腰に下げた杖から黒魔道士だと分かった。
「オレは黒魔道士、キアランだ。三英雄の頼み事なら、聞いても良い。
だが、お前が本当にあの三英雄のティカなら、だ。
本当に【創造士】なら、何か一つ魔法を使ってもらおうか」
ニヤリと笑った彼は意地が悪い。王城内では魔法の使用が禁止されている。証明のために魔法を使えば規則違反として彼女を訴えられるし、規則を理由に唱えなければ偽物だと主張するつもりなのだろう。
対して、彼女はにっこりと微笑んだ。
「《略式――私が成す》」
呪文の詠唱とも思えないような短い言葉を、先ほども聞いた低いアルトボイスが紡ぐ。
そして、笑みを消して銀の瞳は命じた。
「《跪け》」
「っぐぅ!?」
青年の口から短く押し殺した呻き声が上がると同時、青年は彼女の前に片膝を付いて項垂れていた。
「一つ、教えよう。
オレとお前たちとでは契約の内容が違う。オレは、オレの実力を見せる場合に限り、魔法の使用が許可されている」
青年は立ち上がろうとしているのか力を入れているようだが、全く動けていない。口から低い呻き声が上がっていた。
そんな青年の頭を撫でながら、全員を見回してティカは低い声のまま全員に聞こえるように説明した。
「まだ何か見せる必要があれば、見せてやるが?」
低い声で淡々と問う様は、静かなのに威圧的だ。
誰もが押し黙り、彼女と視線が合った者は首を振った。彼も銀の瞳に見つめられて、口を引き結んで首を振った。
その間も青年を撫でていたが、ティカは手を離して離れ、指を鳴らす。途端、青年が尻餅をついた。力を籠めすぎて倒れたようだ。
「これで、オレが【創造士】のティカだと証明できただろう。
――お願い、聞いてくれますね?」
アルトボイスから一転。明るいソプラノボイスになって笑顔で彼女は皆を見回す。
これにも皆、頷くしかなかった。
ブチギレ。脅しという無かれ。