あの日拾ったスライムが、妹になって恩返ししてくれるようです
休日の午前。昨日までの大学の講義から解放されて惰眠を貪っているところに、インターホンの音が響いた。大学入学を機に始めた一人暮らしのため、俺が出るしかない。
俺は玄関まで行きたくなかった。だってまだ布団にいたいからーーでも覚悟を決めて布団から這い出て、玄関のドアを開ける。
するとそこに立っていたのは、想定していたような宅配業者ではなかった。
「私、貴方の妹になります!!」
目の前にいる、見知らぬ黒髪の美少女はそう言った。
全く知らない女の子である。俺はただ困惑していて、
「……はあ?」
と、少し乱暴な口調でぼやいてしまった。
目の前の彼女は、そんな俺にも臆することなくニコニコと笑っていた。
俺は面食らってしまい、俺より少し背の低くて黒髪でストレートロングな風貌の少女を見つめる。
……彼女の言った発言を、今更になって咀嚼する。
『妹』という言葉が発されたことが妙に引っかかった。
そうしてふと気がついた。
彼女の容姿が、俺の好きなアニメの『妹』キャラに瓜二つなことにーーー。
……新手の詐欺だろうか?
一番に思いついたのはそれだった。
『ヒロインたちに愛されすぎて困るっ!!』ーー前述した俺の好きなアニメのタイトルだーーの視聴者に向けたドッキリなのだろうか。
それともただのイタズラなのだろうか。
俺は警戒心を一段階上げ、いつでも閉められるようにドアノブを握り直した。
「……ところでなぜ、妹になろうと思ったんですか?」
「世の男性はみんな、妹のことが好きだからです!!」
小手調べのつもりでした質問が、重い攻撃が帰ってきた。
マジでやべえ奴なのかもしれない。彼女はまだニコニコと笑っている。
「えー。ちなみに、俺と知り合いだったりします?
もしかして父さんの知り合いだったり??」
俺がこいつのことを追い返せない理由はそこにある。
父さん関係の人かもしれないからだ。
父さんは、なんというか変な人で。よく、知らない変な友人を連れてきては俺と会わそうとしてくる。予告もなしに連れてくるくせに、俺が丁重に出迎えないと後で怒られるのだ。
まあ俺が一人暮らし始めてからは、その機会は減っていたがーーー。
「いえ、あなたの……ううん、お兄ちゃんの友達でした!」
黒髪の少女はそう答えた。
頭がおかしくなりそうな内容である。
「……はあ。
昔は俺の友達で、今は俺の妹になりたい、と」
「そうです!!ちゃんと伝わってます!」
彼女は伝わったことに満足したのか、腕をブンブンとさせていた。
……なるほど。
その主張をするなら終わりだ。だって俺が身に覚えないんだから。俺の知らない友達がいるわけない。
「……まあ、アンタみたいな子は友達じゃないですし。
今度、嘘つくならもっと考えた方がいいっすよ」
と言いながら、あくびを噛み殺してドアを閉めようとした。
鍵に手をかけようとして正面を向くと、彼女がちらっと視界に入った。
そして、ぎょっとした。
ーーー彼女が、大粒の涙を流しながらこっちを見ていたのだ。唇はきゅっと我慢するように結ばれていた。
その口が震えながらも開く。甘えたような可愛らしい声が、マンションの壁に響いた。
「……ユメのこと、わすれちゃったんだ〜〜!!」
『ユメ』。
無意識のうちに、右手が彼女の方に向かっていた。
その言葉を聞きながら、彼女の頭の上に、俺の手を乗せて、その頭を撫で始めてしまう。
……衝動的に動いてしまった右手と、撫でている時の納得感から、ある予感がしていた。
「……お前、"スライム"のユメ??」
「!!!
覚えてたの、そうだよ!!」
そりゃあ、忘れるわけがない。
ただ……さあ?
驚きの気持ちと、ヤレヤレといった気持ちが同居してしまう。
『マジかよ!』と『マジかよ……』の両方の気持ちだ。
「……いや、だってそりゃ。だいぶ違うだろ」
「ユメはずっとユメだよ〜!!どこが違うの〜〜?!」
……主に見た目とか??
だって、ユメって言ったら。
……緑色の球体で、ポヨポヨとした感触で、跳ねながら動いて、お喋りはできなかっただろ??
本当に、RPGにでてくるモンスターのスライムみたいな見た目してたじゃないか。
ーーー俺は、忘れもしないあのスライムの『ユメ』と過ごした時を思い出していた。
******
ある雨の日だった。
大学から帰る途中、傘を差していてもなお濡れる足元に憂鬱になっていた。
雨は嫌いだ、と思う。単純に、濡れると気持ちが悪い。
……なんの変哲もない、平凡な日だった。
はずだった。
ーーー道の端、電柱のすぐ隣に、ダンボールを見つけた。そしてその口は開いていて、何かが中にいるようだった。
べろんと広げられた部分に、『拾ってやってください』と書いてある。
……その能天気な言葉に気分が悪くなった。誰かが犬でも捨てたんだろうか?
俺はその段ボールに近づいていった。
その時点で、心の中では『犬でも猫でも拾って帰るぞ』と覚悟していた。見た後で帰ることはできない、と。……犬なら飼ったことあるし、なんとかできるだろ。
……そうして、意を決した俺が段ボールを覗き込むと。
ーーー緑色をしたスライムが、ぽよんぽよんとその中で跳ねていた。
……スライムって生き物だっけ?
そんなバカなことを考えてしまった。
異世界では生き物のカテゴリだろうけど。現実だと小学生のおもちゃにすぎないはずだ。
俺はもっと、こう、雨に濡れてぐっちょりと萎びている犬とかを想定していたんだが。
実際はというと、スライムの滑らかな表面上を水滴がツーッと滴っていっている。
……半透明の体の、ちょっと奥に透けて見える二つの黒点は目なのか??それだとしたら、俺のことを見つめているような気がする。
スライムは、表面をぷるぷると震わせた。
……スライムは、雨が苦手なのか?光沢のある体だから、得意そうに見えるけど。
俺は、なんとなく、自分の持っている傘をスライムに被せた。
……スライムは、ぽよーん、ぽよーんと大きく跳ね始めた。……嬉しいのか?
人間である俺だって雨が嫌いなんだ。スライムが雨を嫌いでもおかしくはない。
「……まあ、誰だって雨は嫌いだよな」
ーーー俺は、そう言ってスライムを抱き抱えると、俺の家まで連れて帰った。
最初は冷たかったスライムが、俺の手の熱によって段々とぬるくなっていった。
家に帰ると、とりあえず家にある座椅子の上にクッションを置いて、その上にスライムを乗せた。そして風呂用の大きめのタオルを被せてやった。
……これでいいのだろうか?疑問は解消されない。
俺はなんとなく、『スライム 育て方』で検索をかけてみた。……ドラ○エウォークの結果しか出てこなかった。そりゃあそうか。
風呂にでも入れてやった方がいいのか?分からん。
とにかく、『皆ふかふかの布団は好きだろ』と思って、スライムを包むようにブランケットを置いてやった。
……やけに動かないな。
思ってみれば、最初は楕円状だったのに、今は少し溶けたように山みたいな形になっている。
だ、大丈夫か??暑すぎて溶けてるとかないよな……。
「キュ〜……」
「うわっ?!」
何やら鳴き声みたいな音がスライムから聞こえてきた。
……びっくりした。だけど、生きててよかった……。
そこで、スライムに埋まっていたような二つの黒点が今はないことに気づく。
もしかして。
「……寝てる??
今の、寝言……?」
スライムが、俺の問いに答えることはなかった。
ただ、山状になっている体が、さらにだらーっと崩れかけていた。
……気持ちよく眠っているのなら良いのだが。
そう思いながら、四角いクッションを抱きかかえると、瞼が段々重くなってしまう。今日は朝から講義だったし、昨日の夜もレポートに追われていたのだ。
もっと色々考えないといけないのに。これからのこととか。それ以外のこととか。
だがしかし、睡魔には耐えられない。そして俺は、眠りの世界へと誘われていったーーー。
ぺちゃ、ぺちゃ。
何かと何かが粘着しているような音が聞こえた。
頭がまだぼーっとしている。
そんな視界の端に、動く緑の物体が見えた。
……思わずそちらを見てみると、ぽよーんとスライムが飛び跳ね続けていた。
先ほどからの粘着質な音は、フローリングの床とスライムが剥がれる時の音だろう。
咄嗟に持ち帰ってしまったが、スライムを飼うことは出来るのだろうか?
やっと寝起きでリセットされた頭で考える。
「……いいや、考えるのも無駄なことだな。
俺が、責任持って拾ってきたんだから……」
……なんであれ、拾ってくる覚悟はしてきたのだ。
このマンションはペット禁止なのだが、幸い、スライムに関しては咎められないだろうーーー吠えたりしなそうだし。
そこが重要な点でないことは分かっているのだが、俺は現実逃避をしていた。
……現実逃避ついでに、テレビをつけた。
俺は今だにテレビっ子で、家のハードディスクは録画でいっぱいだ。
録画の欄を確認して、最新のところまでスキップする。
よし。しっかりと録画されていた。
そうして俺は昨日の深夜に第四話が放送された、『ヒロインたちに愛されすぎて困るっ!!』を再生し始めた。
可愛くてカラフルなキャラクターが画面に広がる。
いつもと違って集中できそうになかった。緑色のスライムのことが頭から離れない。
膝に何か、重たい感触が乗った。
スライムだった。ぐにーっと形を変えながら、俺の膝を占領してくる。
……俺は、実家で飼っている中型犬のジョンのことを思い出していた。
あいつも、俺がテレビ見てると隣に座ってきたよな〜。ソファーに座ってんのに、うまいこと飛び乗って俺の膝にもたれかかってきてた。重いし動けなくて困ったけど、あったかいんだよなぁ……。
同じような挙動をしたスライムだったが、温度が冷たいところは逆だった。でも、本質的には同じだなぁと思った。
「……これが、俺の今推してるアニメでな〜」
気づいたら、スライムを撫でくりまわしながら、独り言を言ってた。
俺、ジョンに対しても話しかけるの好きだったんだよな。
「そ。それで、これが妹の『ユメ』って子で」
途中まで話すと、元気そうか確認するためにスライムの様子を見てみる。
スライムは、テレビに目が釘付けのようだった。その様子を見て、本当に話を聞いてくれてるみたいな気がして、もっと話に熱が入ってしまった。
「いや〜。
妹キャラは男ならみんな好きだからな!!」
俺の膝の上で、スライムは体をプルプルと震わせた。
「お〜、お前もアニメ好きか??」
まあどうせ言っても分かんないだろうけど。
そう思いながらも、スライムはまた震え出した。それが、俺の質問への答えのように感じた。
……そういえば。
このスライムにまだ名前をつけてなかった。
「よーし。
お前の名前は『ユメ』!ちょうど今日のアニメにちなんで!!」
ーーーそう言って。
俺はこの『ユメ』と2ヶ月間を過ごした。
何なら食ってくれるのかと試行錯誤したり。
最初は遠慮してただけで、意外と大食いだったり。
やわらかい体をぎゅっとしてみたり。
一緒に床で寝落ちしたり。
思い出はたくさんあった。
……飼っている間、誰かに相談しようかと何回も思った。でも、スライムに詳しい知り合いなんている訳ないし。
だからこそ、俺が精一杯幸せにしてやる、と決めたのだ。
……そう覚悟してた時、ユメは呑気に、俺の隣でアイスを食べてたっけ。
ーーーただ、突然ユメは姿を消した。
俺がずっと部屋においていたのが悪かったのか。いや、でも外には連れて行けなかっただろう、未確認生物みたいなもんだし。でも何かできることがあったのか……?
と、後悔は尽きなかった。
それから定期的にネットで、「スライム 発見」と調べる習慣がついた。
何もないに越したことはないんだ。これで、新ニュースが出てくることが最悪の結末だ。
ただ、俺は祈った。
ーーーどうか、心無い人間に捕まってませんように。
そうして、現在俺は、ユメを名乗る美少女と対面している。
******
俺は、にわかに信じがたい気持ちで、目の前の少女を見つめていた。
……ああ、聞くしかない。あの質問をこの少女に。
「……。
妹キャラの『ユメ』が出てくるアニメの名前は?」
「『ヒロインたちに愛されすぎて困るっ!!』!!」
「お前っ……!」
『ユメ』は何でもないことのように、きょとんとしていた。
その呑気な様子がまた、あのスライムのことを思い出させて。
俺は、勢いよく彼女に抱きついた。
細くて華奢な体を抱きしめると、そこには確かに骨の感触があって、間違いなく人間であった。抱いた後に彼女の顔は見えなかったが、その肩が細かく震えていた。
……怖がらせてしまったかと思い、腕を緩めて彼女の顔を見る。
「コウ、タロウ……!」
俺が前に教えた俺の名前を、言い慣れないような口調で呼んだ。
……彼女は、頬を赤らめながら、笑顔でいた。
「まあとにかく入れよ」ということで、俺は彼女を家に招き入れた。
彼女はご機嫌に、「コウタロウ♪コウタロウ♪」と言いながら着いてきた。
座椅子の上にクッションを乗せておく。俺は彼女にその座椅子を勧めた。彼女は正座で、その上へと収まった。
「おい、どうしたんだよ。心配したんだぞ?
ここ出てからどうしてたの?」
色々気になったことはあったが、とりあえずまず聞きたいことはこれだった。
「……ツルの、恩返しですっ!」
「……??」
あまり要領を得ない返答だった。
鶴の恩返しといえば、スライムのユメが日本昔ばなしのアニメを見ていたことを思い出す。
……鶴の恩返しが好きだったのか?
「ユメが、恩返ししたかった!!」
「……あ〜。俺に?」
と言いながら、俺は俺自身を指差して聞いてみた。
「……そういうこと!!」
「そっかあ……。
悪い人に捕まってたりしないよな?」
「え??」
よく分からない、とのように首を傾げられた。
……平和な世界しか知らないならいいんだ、分かった分かった。
「修行してました!」
「……修行??」
ユメは立ち上がると、シャドーボクシングのように、拳をシュッシュッと突き出す動作をして見せた。
……弱そう。かわいい。
「そうかぁ。どこか帰れる場所があったのか?」
「……うん?」
「ほら、今まで故郷とかに帰ってたんだろ?」
「だめ!!」
ユメは怒ったように首を振った。
「やだやだ!!ユメの家はここだけ!!」
……ユメは座り込んで、動かなかった。
拗ねたように頬を膨らませている。
……そうかぁ。
……って、ええ?!
「……ここに、住みたいのか??」
「あたりまえ!!」
……う、うーん。
それは、スライムの時より困ったことになるかも……。犯罪的な意味で。
誘拐とか監禁とかの疑いをかけられるのでは……?
俺は、ユメを拾った時のことを思い出していた。
「なにであれ、責任持って育てる」かぁ……。
そんなこと言ってたなあ俺。現実がちょっと、予想を越えすぎなんだけどなあ。
……しょうがない。
俺は考えた。色々考えた。よくないことは知っていた。
……でも、彼女はここが自分の家だと言ってるんだ。泊まらせるしかない。
「いいぞ〜。ここがお前の家だからな、そうだよな!」
「……うん!!コウタロウ!!」
俺の目は涙目になっていたことだろう。それでも、大人の余裕を見せて、口先では笑顔でユメのことを祝福した。
……どうすんだよ!!!!
******
「……ただいま〜」
「おかえりっ!コウタロウ!!」
俺が大学の研究を終えて家に帰ると、ユメが玄関先まで駆け寄ってくれた。
一人暮らしで寂しかったところに、『おかえり』の言葉が沁みる……。
……いや、こんな平和に過ごしてていいのか?
ユメが家に再来してから、一週間ほどが経っていた。それからユメはずっと俺の部屋にいた。今も俺の服を着て、テレビ前に陣取ってる。
状況だけを見ると、『美少女を飼っている』だ。非常にまずい。
飼っているものがスライムから少女に変わったから、動詞は『飼っている』で間違いないのだが。途端に未成年誘拐の罪状である。
「コウタロウ!!早く!
アニメ見たい!!」
……その言葉を言い終わらないうちに、ユメは再生ボタンを押していた。見るのはやっぱり、毎週の楽しみの『ヒロインたちに愛されすぎて困るっ!!』である。
ユメは、『俺が帰ってきてから一緒に見よう』といつも待っててくれているのだ。最初の時は深く考えてなかったが、「人間になってもユメが良い子でよかったな」と最近は思う。
ユメが喋れるようになってから、実は悪魔のような性格をしていた……と発覚していたかもしれないからだ。
『コウタロウ!ばーか!ご主人はペットの奴隷なんだよッ!』とユメに罵られながら、『毎食中華鍋いっぱいのご飯を作れッ!』と脅される俺を想像する。
……まあ別に、毎日いっぱい手作りしてるのは変わらないか。
「ユメちゃん……。諦めないで!」
今は、アニメ中でヒロインである妹のユメが告白しようか迷ってるシーンだった。義妹だから、主人公との絆を壊さないために悩んでいるのだ。
ユメは、ーー作中のじゃない、俺の隣にいるユメは、目をキラキラさせながら手を握りしめている。本当に、見た目がそっくりなんだよなぁ……と作中の『ユメ』と見比べてしまう。
作中では、『ユメ』が主人公のことを名前で呼びかけようとして、そしてやめていた。『カズユキ……。ううん、お兄ちゃん!お母さんが買い物行ってきてって!』とのセリフ。『ユメ』はうっすらと涙を浮かべていた。そして、テレビを見ている主人公はそれに気づかない。それを横目に、『ユメ』は2階の自室への階段を登るーーー。
「おにいちゃん!おにいちゃん!」
ユメは『お兄ちゃん』という言葉を連呼していた。
アニメを見ていた俺は、『意外と難しい内容だけど分かったか?』と思う。つまり、兄妹の関係を優先して、告白を諦めたということだろうが……。
「よーーし!!おにいちゃん!!」
ユメは隣で盛り上がっていた。ユメにとって、おにいちゃんエンドはハッピーらしい。
EDが流れ始める。
余韻に浸る俺に、ユメは手を重ねてきた。
ユメは俺に顔を近づけてくる。
「おにいちゃん……?
『好きだよ、お兄ちゃん。ずっとずっと……』」
ユメは、先ほど発されたセリフをそのまま真似していた。
上目遣いで、可愛い口調で言ってくる。セリフの部分だけやけに流暢だった。
俺は一瞬胸を掴まれてしまう。思わずドキッとしてしまったが、それは先ほどまで見ていたヒロインとそっくりだからに違いない。
……おい誰だ!これ教えた悪いやつ!!
アニメかぁ!ひいてはこのアニメを教えた俺かぁ……。
「……スラスラ言えるようになったな!えらいぞ〜」
「ユメ、上手い??」
「上手だな〜」
俺は照れ隠しで、セリフの内容には触れずにその流暢さを褒めた。
ユメは嬉しそうにしていた。
******
俺は、テレビの前のチャブ台で頬杖をついていた。
目の前では、また別のアニメの『魔法使いの落第生』を楽しく視聴しているユメがいた。
そのユメを見ながら、俺はユメについて考えている。
……うん。決めた。覚悟を決めた。
「おい、ユメ。
ーーー外に出かけるぞ!」
「……ん。
いってらっしゃい!」
ユメはすぐに振り返ると挨拶してくれた。
いや、そうじゃなくて。
「一緒に行くぞ!!」
「いいの?!」
ユメは途端に振り向くと、俺に対してゼロ距離で迫ってきた。
……ち、近い。
「一緒にお出かけ?!」
「……ああ。そうだな。最初だから、コンビニだけにしよう」
「おおおー!」
ユメは拳を突き上げた。その小さい手で、せっせとリモコンを操作して一時停止していた。
今まで、スライムだった時には出かけることなんてできなかった。だけど、今なら散歩だってなんだって出来るはず。
出かけられるということを証明してやろう。まずはコンビニに行って帰ってくるだけから始めるんだ。外に出られること自体が冒険のようなものだろう。
そう思う。
そうだな、出かける準備をしよう。
俺はクローゼットの奥から厚手のコートを取り出す。今使っているジャンパーより寒い時用の服だ。ユメにこれ貸してやろう。
「おーい、寒いからこれ着て行け」
「りょうかーい!」
元気な返事だことで。
じゃあ俺もジャンパー着るか、とハンガーからジャンパーを手に取る。
ユメの方を見ると、コートのボタンを閉めるのに苦戦しているようだった。
「……んんん?ええ?
よしできた!」
「諦めんな。そのボタン飾りじゃねえから」
ボタンが全空きの状態でも「できた!」とのたまうユメに叱っておく。
近くまで行ってしゃがみこむと、ゆっくりとボタンを留めてみせる。
……おいこれ、逆側からだとやりにくいな。
「……ふふっ。コウタロウもヘタクソ!!」
「お、おい!当たり前にできるから、逆に分かんなくなってるの!!」
「ふふふっ」
笑い声がすぐ近い上方から発された。
ボタンを留める手を止め、ちらっとユメの顔を見ると、その穏やかな笑顔がすぐ側にある。
俺は少し照れてしまい、手早く残りのボタンを留めた。
「……行くぞ!」
「おー!」
……俺たち二人は歩き出した。
そして、共に玄関の扉をくぐった。
******
俺たち二人は、コンビニにてアイスの吟味をしていた。ユメは、冷凍コーナーの巨大な縦長のガラス扉を前に、「おお〜!!」と目を輝かせている。
「いいか〜?俺はスーパーコーンの抹茶と、mawのバニラ、あとシロユキちゃんでも買おうかな!
色々食べ比べた結果な〜、味ごとに好きなブランド違うんだよ。こだわり派だからな!!」
「……??」
色々と一気に言った俺に対して、ユメはアイスと俺を見比べて呆然としてる。
「そうだな……気になったやつある?
三つまで何でも買ってやるぞ!」
「?」
ユメは首を斜めに傾ける。
「……分かんない」
「そっか、抹茶がどんな味とか分かってないよな……」
俺は、スライムの頃のユメが食べていたアイスを思い出していた。
え〜、確かチョコアイス好きだったよな。あと定番のバニラは買っとくとして。
「よし!じゃあ、一つだけ気になったの選んでみな?」
「えーっと……」
ユメはそう言いながら、おずおずとチョコアイスバーを指差した。
「そ、それは!!」
「……なに?コウタロウ。だめな食べ物??」
「いやいやとんでもない!!」
俺は満面の笑みを浮かべて言った。
「とっても洒落た選択だぜ!
あえてカップじゃなくてアイスバー!!」
「……おしゃれ??」
「オシャレっていうのは、本当の意味じゃないっていうか。シャレオツというか、通というか。
……とにかく!これだな?もちろんいいぞ!
じゃあ、このガラス扉開けて自分で取ってみな?」
俺はきっと、悪い顔をしていただろう。
ユメはその小さな両手で、黒い取っ手を掴む。
うーん、と力を入れているのだが、その扉が開く様子はない。
思ったように動かずに、俺のこと振り返ってびっくり顔を見せてくれた。
「コウタロウ!!閉まってるこれ!」
「カギはかかってないぞ〜」
俺は同じ取っ手を掴むと、ほんの少し力を加えてやった。
するといきなり扉が開き、もともと引っ張っていた力の行き場がなくなり、ユメが後ろによろけた。
俺はその背中を軽くガードしながら、
「な?開くだろ?」
「いじわるぅ……」
はっはっはっ。なんとでも言うがいい。
コンビニの初見の反応なんて、一生に一度だからな!!楽しんでいかないと!
って、くだらないな。俺には、どんなくだらないことでも楽しめる才能があるかもしれない……。
……あと実は、ちょっと意地悪してみたかった気持ちもある。
******
アイスを買いに行った次の日。
この前買ったアイスを食べようと、冷凍庫を探していた。
「あれ?ないな〜。
どこやったっけ?って、冷凍庫以外はあり得ないよな……」
俺は昨日の記憶をさらい、確実に冷凍庫に入れたことを思い出す。
「おーい!ユメ、アイスどこにあるか知らない??」
「うーん?」
『魔法使いの落第生』を視聴中だったユメはこっちを振り向いた。
「あるよ!!」
そう言いながら、ユメはテーブルの下からアイスを取り出した。
「ああ!!」
俺はおもわず声をあげてしまった。
……大丈夫か?溶けちゃったのではないか……という気持ちがはやってしまった。
ユメは俺の声に困った悲哀に気付いたのか、オロオロと困った顔をしている。
「……だいじょうぶ?」
「大丈夫、大丈夫。ちょっと貸してくれないか?」
俺はアイスの無事を祈って、俺の分のアイスを開けてみた。
……ドロドロに溶けていた。
……そうか、ユメは知らなかったのだろう。アイスは冷凍庫にずっと入れておくものだと。
「そうだな〜。アイスは固くないといけないから、冷凍庫に入れておかないといけないんだ。
だから、取り出したらすぐ食べるんだぞ〜?」
「で、でも!
コウタロウはやわらかい方がすきって言ったから!!」
ユメは悲しそうな顔をしていた。
「だって!!
コウタロウ、ユメがやわらかくなってる時の方が、いつも撫でてくれてたもん……。
……だから」
……スライムだった時のユメに対して、『溶けてる形態の時の方が、気持ちいいな〜』と言っていたことを思い出した。
そうか、あんな些細なことまで覚えてたんだな……。
俺は、溶けてしまったアイスをテーブルの真ん中に置いた。
「食べよう!
これ、一緒に」
「……でも、これってダメなんじゃ」
「固いアイスが好きか、やわらかいアイスが好きか。
試してみてから決めようぜ」
俺はスプーンを2本、台所から持ってくる。
ユメはそのスプーンで、どろどろになったアイスを掬った。
「……前食べた固いやつのほうがおいしい……」
「そうか〜。
固さにも程度があってな?カチカチが好きな奴と、ちょっと溶けかけが好きな奴がいるんだよな」
「ごめんなさい……」
ユメの目には涙が溜まっていた。しゃくりあげるように、何度も「ごめんなさい……」と繰り返していた。
俺は突然のことに慌ててしまう。
「いや、本当に気にしてないから。
大丈夫。大丈夫だぞ〜?
こんなちょっとしたこと、なんでもないから」
俺は言葉をずっと途切れさせなかった。
そんな中、ユメの口が開きかけたので口をつぐむ。
「ユメ、何も役に立ってない……」
「そんなことないぞ、『ユメはいい子だな〜』って思ってた」
「全然、恩返しできてない」
ユメの言葉は一言ずつだったけど、はっきりと強く主張していた。
「そんなことないから」
「ユメ、とっても、嬉しかったのに。
拾ってくれて。ずっと、誰も来なくて。もう無理だと思って。
こんなところ嫌いだったのに、この部屋のことは、だいすき、」
……俺は、むしろ嬉しかった。ここまで素直に感謝されて、嬉しくない奴はいない。
ユメの涙は止まらなかった。
その頬に涙の筋が一本通っていく。
「ねぇ、コータロー。
ううん……お兄ちゃん。
ーーー『私、お兄ちゃんのことが好き!』」
……ユメが、突然俺に近づいてくる。
抵抗する気のなかった俺が、簡単に押し倒される。
その顔がどんどんとアップになり。……ついに唇が重ね合わせられる。衝撃と共に、「今キスした」と遅れて気づく。
……なんで?最初に疑問が浮かんだ。
数秒の逡巡。ユメの顔が離れていく。今言われた、『私、お兄ちゃんが好き』という言葉に聞き覚えがあることに気づいた。
沈黙。止めていなかったアニメの音が、耳に届いた。
ーーー俺は理解した。
そして、胸に残るのは後悔だった。
体勢を起こすと、俺とユメは元の位置に戻った。距離感が普通に戻る。
俺は、テレビの電源を消した。
できる限り、真剣な眼差しでユメを見つめた。
俺が悪かったという自負がある。
「……『妹』になろうとしないで」
「……。……ど、どうして?」
ユメは本当に分かっていないように、首を傾けた。
「ユメ、下手だった?」
「……そうじゃなくて」
「妹が好きなんでしょ?」
「そうじゃなくて」
「……なんで?」
ユメは何度も首を横に振った。「わかんない、わかんないよ……」と小声で言われる。
俺は迷っていた。言葉を探していた。
……悪いわけじゃない。本当にいい子だ、ユメは。
ただ、俺が偏ったアニメを見て、そのアニメのように振る舞った方がいいと信じさせてしまったのだ。
俺は、ユメが思ったよりも純粋で、影響されやすくて、特別な、特別扱いしないといけなかったことに気づいた。
ユメが悪いとかではなくて、俺はもっと、今まで考えなくてよかったことを、もう一度考えないといけなかったのだ。
「オタクの言葉でさ、『リアルと二次元は違う』って言葉があるんだよ」
「……わかんない」
「アニメの『妹』は、お兄ちゃんのことが絶対好きだけど。
現実は、ーー友達の高橋にも妹がいるんだが、『ついでにアイス買ってこい!』が口癖らしいぞ」
伝えるのが難しい。
……思いやりをなくして欲しいわけじゃなくて、でも今の思いやりは違ってて。
「いいか?ユメは『妹』である前に、俺の『家族』なんだ」
「家族……?」
「何をしても、ずっと信用できる関係」
ユメはいまだにピンと来てない様子だった。
でも、曖昧に「うん」と頷いた。
「俺の家族になってくれ」
「……うん」
「もっと自由に生きてほしいんだ。……自由を強制するのも、なんか違うのかな……」
「うん!ユメ、良い家族目指すっ!」
ユメは、拳を握りしめてガッツポーズを見せてくれた。
「ユメが何もしなくたって、俺はユメのこと好きだからな。……そういう関係なんだ。
……あとな?唇は、好きな人にだけ渡しなさい」
「コータローは好きだよ!」
「そうじゃあないんだ……」
恋愛と親愛の差を咄嗟に説明するのは、難題が過ぎた。
「また今度話そう……」
ユメは、良い子だ。
ただ良い子すぎるがゆえに、アニメを間に受けすぎてしまった気がする。
「コウタロウ、キリッとした目がカッコいいね!」
「俺、滅多に真剣にならないからな〜」
「……カッコいい時に褒める言葉……」
ユメは虚空を見つめて、何か言葉を探していた。
「『さすが、お兄様!!』」
ーーー俺は、頭を抱えたい気持ちになった。
そして俺は、この『スライム』で『家族』な女の子に対して関係を築くのは、なかなかに難しいものであると気がついた。
最後までお読みいただきありがとうございます!
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