9.ダークエルフ文化論
その日から、ダークエルフの郷での生活が始まった。
サナリィの家は、巨木の下の方にある。郷長の住居を十合目とすると、おおよそ三合目くらいだろうか。どうやら古くから暮らしているダークエルフほど巨木の高い位置に家を構えているらしい。階段を上り下りするのも非常に大変なので、サナリィの一家が集落の中では年若い部類に入ることを感謝した。
サナリィの家は、父親と彼女、そして妹の三人家族だった。
父親の名はマリガン、妹の名はララミィ。
マリガンは細身で精悍な青年、ララミィは10歳にも満たない子どもに見える。
だが実際の年齢を聞くと、マリガンは144歳、ララミィは35歳だそうだ。
ダークエルフは人間よりも遥かに長い寿命を持つ種族で、郷長に至っては年齢が4桁に至ると言うが、本当なのだろうか。
サナリィの年齢? 彼女は68歳で、見た目は少し大人びたティーネイジャーといったところだ。僕と並ぶと、完全に同年代にしか見えない。
「何もないところだが、ゆっくりしていくといい」とマリガンは低く良く通る声で言った。
自分の娘が「結果的に人間の冒険者から助けられたのよ――私ひとりでも平気だったけどね」と紹介するのを聞いて、僕を歓迎することに決めたようだ。少女らしい強がりに対して、苦笑も浮かべながら。
ララミィははにかみやらしく、父親の背に隠れて、ちらちらと僕の様子を窺っていた。サナリィと同じ赤い瞳でこちらを見ながら、肩先まで伸びた銀髪を指でくるくるといじっている。友好的であることをアピールするため、僕は膝を曲げて目線を合わせながら「よろしくね」と笑顔を見せた。
家の中は郷長の住居のように、天井からぶら下がるタペストリーによって区切られていた。すでに日は暮れていたため、ランプの柔らかい明かりが部屋を薄オレンジ色に照らしている。どうやら光源は火ではなく、魔術的な力のようだ。
サナリィの家は穏やかで、そして静謐さに包まれていた。
この家に母親がいないことも関係しているのだろうか。
深い事情に踏み込むことはできなかったが、マリガンは常に寂寥感をたたえているように見える。それは、伴侶を失った悲しみによるものなのかもしれない。
サナリィはそれまで身に着けていた胸当てや籠手と、地球でいうチャイナドレスのようなスリットの入った形状のレザードレスから、日常着へと着替えていた。ゆるやかなワンピースとも言えそうな膝下まであるローブを、腰帯やケープなどで飾り付けている。
ダークエルフの服装はローブが基本となっているようで、マリガンやララミィも――細かい意匠や装飾、丈の長さは違えども――サナリィと似た形式の格好をしていた。
彼らはその後、夕飯として直火で焼いた獣肉、果実やハーブで作ったサラダ、薄茶色の豆粉を焼いたパンを用意してくれた。
いつもより豪勢なメニューだったようで、サナリィは「今日は特別だからね」と言った。
夕食を終えると、眠りについた。
ダークエルフは寝具として、ハンモックを使う。
僕のためのハンモックは、居間用のスペースの隅っこに設置された。サナリィたち親子の寝所とは、タペストリーで区切られている。僕はハンモックに揺られながら、「この先どうなるのか」と自分の未来に思いを馳せた。
◆◇◆
ダークエルフの生活は緩やかで、精神性を重視したものだ。
寿命の長さや、強い霊力がそうさせているのかもしれない(僕はダークエルフの郷に来て、ようやく霊力という概念について知ることとなった)。
彼らは総じて華奢で優美な外見をしているが、自らの美しさを誇ることはない。自然との調和を図りながら、健やかに日々を過ごしている。
郷の民は各々の能力に従って多様な役割を担っており、代表的なものとしては動物性たんぱく質を調達する「ハンター」、果実・植物を集める「採集者」、森の生態系を守る「レンジャー」、森では採集できない穀類などを育成する「農業者」、服・日用品などを生成する「手工業者」、金属製品・武具を打つ「鍛冶師」、宗教的指導者である「シャーマン」などが挙げられる。
サナリィが果たす役割は、レンジャーだ。
日々、森を巡回し、樹木や植物の保全、野生生物の保護、外部からの密猟者の撃退などを使命としている。
5人組の冒険者からユニコーンを守っていたのも、こうした任務の一環だ。
余談だが、ソラルナでは動物のうち特に霊力が強いものを霊獣と呼ぶ。また、霊獣の中でも人類に害を及ぼすものについては、魔物として分類する。
生物学的な括りがあるわけではないので、人側の都合で霊獣から魔物に変わったり、魔物から霊獣に変わったりすることも多く、分類基準は曖昧だ。
サナリィが守ったユニコーンは、この森に棲みつく代表的な霊獣の一種として認識されている。万能薬となる角を狙って冒険者に襲われることも多く、これを防ぐためレンジャーとの間に戦闘行為が発生することは日常茶飯事だという。
サナリィによると、「私たちは人間なんかに負けたりしないわ。あの時は一人だったから、たまたま不覚を取っただけ!」だそうだ。
ダークエルフは食肉用として獣や野鳥を狩るが、基本的に必要以上の殺生はしない。
森との共生を通じて最低限の恵を得られれば生活は満たされており、「より豊かに」「より発展を」といった人間的な欲望とは無縁のようであった。
森でどうしても調達できない資源については、外部の人間との交易を通じて入手する。信用のおける商人との伝手をつくるため、集落の住人のごく一部は冒険者として外界へ旅立つことがあるそうだ。
僕はこうしたダークエルフの文化について、子どもたちと共に学んだ。
郷では、老いてさまざまな役務からリタイアしたダークエルフが子どもたちの教師役を務める。切り株の椅子に座って行う、木陰の下の青空教室だ。教育内容は、文字の読み書き、霊力や魔術の扱い方、彼らの歴史と宗教、世界の成り立ちなど多岐にわたる。
僕はサナリィの妹のララミィや、他の子どもたちに交じりながら、新たな知識を次々に吸収していった。
教師役の老ダークエルフは、「来訪者の彼には、私たちの言葉が通じません。彼にも分かるように、授業では霊力を込めた真言を話すようにしましょう。霊力の訓練にもなります」と配慮してくれた。
このおかげで、僕はソラルナ公用語をある程度聞き取り、片言で話せるくらいには親しむことができた。
言葉の音と意味が同時に伝わるので、言語の訓練としてはこの上ない。ソラルナ公用語しか使われないという追い込まれた環境も、修得のスピードを加速させた。
子どもたちは外からやってきた人間に興味津々で、僕は毎日質問攻めだった。
「どんなところで暮らしてきたの? ここよりも大きな木はあった?」
「ねえ、ダークエルフの歌を教えてあげるから、外の世界の歌も教えてよ」
「魔術がなかったって、本当? それじゃ何にもできないじゃない」
「貴方って私たちよりも大きいのに、何も知らないのね。今まで何して生きてきたの?」
時々、容赦ない質問が浴びせられることもあったが、まあかわいいものだ。
実際の年齢は僕を上回っていても、彼らの精神年齢は外見に沿って成長していることが如実に表れている。
一緒に日々を過ごすうちに、ララミィも少しずつ慣れてくれた。
僕のスマイル外交戦略が成功したようで、嬉しい。
「お兄ちゃん、いつまでここにいるの?」
「もう少しいさせてもらいたいな。いつかは出ていかなくちゃいけないかもしれないけれど、何しろここはとても良いところだから」
「お兄ちゃんが来てから、家の中が前より明るくなったよ」とララミィは恥ずかしそうに言った。「ずっと、ここにいたらいいのに」
子どもたちと一緒に学びながら、僕はサナリィ一家の家事手伝いや、自分でもできそうな役務には積極的にかかわっていった。
ダークエルフの郷に自らの姿が馴染む頃には、僕は霊力の取り扱いにすっかり慣れていた。