6.挨拶から始まる異文化交流(または異種族間ボーイ・ミーツ・ガール)
今しがた戦闘が行われていた開けた空間には、いくつもの大きな水たまりができていた。
激しい水流のせいで堆積していた落ち葉はほとんど流され、露わになった地面の表層はぐずぐずにぬかるんでいた。
僕が呆然としていたように、ダークエルフの少女も呆気にとられた表情を浮かべたまま立ちすくんでいた。
背後に座り込んでいたユニコーンも戸惑うように目を瞬かせた。
先に平静さを取り戻したのは僕の方だ。
「はじめまして」
この異世界の人々が地球とは異なる言語を使用していることは分かっていたが、敵意がないことを示すために日本語で語りかけてみた。できるだけ明るい声で、にっこりと微笑みながら。挨拶は異文化交流のファーストステップだ。
すると、ダークエルフの少女は危機が去っていないことを思い出したかのように、目を険しく吊り上げた。
そして、僕に短剣を突き付けながら、敵意を隠すことなくソラルナ公用語で問い詰める。
確か、この時の言葉は「お前は何者だ!」だったはずだ。
霊力が込められていなかったので発言の意味は理解できなかったが、僕に対して非常に強い警戒心を抱いていることだけは伝わった。
やれやれ、こんなにフレンドリーで無害な男なのに、腑に落ちない。
彼女が発する言葉を聞きながら、僕は心の中で「やはりな」と呟いた。
やはり、ダークエルフの少女の言葉を理解することができない。
今の彼女の言葉には、あの不思議なエネルギーが伴っていなかった。
異世界転生してから未だ短い時間しか経過していないが、たびたび感じてきたあの力が、さまざまな現象のキーになっていることは推測がついた。
言葉にあのエネルギーを乗せれば、「氷の槍」の意味が分かったように、自分の意志を伝達することができるはずだ。
僕は全身を廻る力を意識しながら、「ダークエルフの少女と争うつもりはない」という思いを高める。
その上で、意志を乗せた力が声と共に放出されるイメージを描き、「きみと争うつもりはない。だから、その剣を下してくれないか」と話しかけた。
ダークエルフの少女はしばし逡巡した後、ほんのわずかだけ表情を和らげ、右手の短剣を鞘に納めた。
どうやら、うまくいったようだ。
ただ、謎のエネルギーの放出と、未知の行為に取り組む精神的疲労で、へとへとになってしまいそうだった。
僕とサナリィは時々、初めて出会ったこの日のことを昔話として語り合う。
彼女の中では窮地に助けに来たヒーロー――というよりは「また訳が分からないやつが現れた」という扱いのようで、僕はどことなく釈然としない。
「あの時、身を挺して助けたのに、サナリィは僕に向かって短剣を突き付けたよね」
「だって、急に木の棒を握りしめたおかしな格好の男が出てきたんだもの。ユーリ、貴方って自分が思っているより、かなりの変人よ」
「何てことだ……この世に僕ほどまともな人間なんていないっていうのに」
僕がそう言うと、サナリィは心の底から呆れたような表情を浮かべる。
まあ、よくあることだ。
そして、サナリィが素直になれないのもよくあることだ。
「……でも、あの時のことは感謝してる。本当にありがとう」
照れ隠しするように素っ気なく礼を言うサナリィの姿は、とてもかわいらしい。
◆◇◆
ダークエルフの少女は自分たちの言語が通じないことを分かってくれたようだ。
彼女も僕と同じように言葉に力を乗せながら、「それで結局、貴方はどこの誰なの?」と問いかけてきた。
「雨月悠理」と僕は答える。「自分でも、何でこんなところにいるのか分からないんだ」
ダークエルフの少女は、僕の言葉の意味を吟味するように考え込む。
そして、「貴方は一体何を言っているの?」と返してきた。
確かに自分でも「一体何を言っているんだ?」と思わないでもないが、本当のことなのだから仕方ない。
僕がどのように状況を説明しようかと思っていると、彼女は「でも」と言った。
「でも、精霊たちが貴方は害を成す人間ではないと告げている」
精霊?
「そして何より、貴方からは月神さまの気配を感じる――それも、濃厚に」
月神さま?
今後、僕がどのような運命を辿るにせよ、知的好奇心が枯れる心配をする必要はなさそうだった。