2.仮定的リィンカーネーション
さしあたっての問題は、長い未舗装の道をどちら向きに進んでいくかであった。
左か右か、右か左か。
片側は山あいへと向かっており、もう一方は小高い丘陵へとつながる。とりあえず、視界を確保できそうな丘陵側へと道を辿ることにする。山は嫌いではないが、今は登山に適したタイミングではないし、万端の服装・装備が揃っているわけでもない。
そう、今の僕の格好は山登りに相応しいとは言い難い。
白いカットソーに黒のジャケット、そしてチノパン。足には、多少奮発して買ったゴートレザーの革靴を履いている。服装はまだしも、せめて歩きやすいスニーカーを履かなければ高尾山に登るのも楽ではない。
これらの格好は、僕が死の前に身に着けていたものだ。
しかし謎なのは、腕時計やジャケットの内ポケットに入れていた財布とスマートフォンなど、服以外のものが一切なかったことだ。
服が変質した身体のサイズに合っていることも不思議である。
僕の服なのに、本来の僕の服ではない。
死の目前に持ち歩いていたバッグもここにはない。
本来ならば生身一つの真っ裸で放り出すところを、異世界転生を導いた神が仏心(神なのに仏心とは此は如何に)で服だけは用意してくれたのだろうか?
この考えが、ある意味では間違いでなかったことを知るのは、まだまだ先のことだ。
小高い丘陵を登り切ると、視界が一気に開けた。
なだらかな下り傾斜の先は平野となっており、道から少し外れたエリアには湖と、その背後に深い緑色の針葉樹林が広がっているのが見える。ただ、人間の気配が感じられるランドマークは一切見当たらないままだ。
体感的に1時間ばかり歩いたように思えるが、僕は軽く汗ばみ、喉が渇き始めていた。
何しろ日は高く、天気も良い。
雨降りに見舞われ体温を奪われるよりは遥かにましだが、喉の渇きは問題だ。
飲み水の当てもなく、このまま道を進みゆくことには不安を感じる。
賢明なる諸兄姉らはご存知であろうが、人間は水がなければ数日しかもたないのだ。
道は依然として遥か先へと続いており、どこまで進めば状況が好転するかは分からない。
せめて、飲料水だけでも確保できれば――。
そんな考えのもと、僕は湖の方面へと足を向ける。
「こんな状況じゃなければ、ピクニック日和なんだけどな」と愚痴をこぼしながら。
◆◇◆
湖面に映した自分の姿を見ると、今の僕がかつての僕ではないことがはっきりと分かった。
忌憚なく言わせてもらうと、僕はどちらかというと顔立ちが整った人間だ(だった)。
時として、世の女性の一部から「かわいい」とちやほやされることもあったので、客観性を伴った事実関係として告げさせていただこう。決して自慢をしようという卑しい心情から記しているわけではないことは承知していただきたい。
そんな僕の元の顔に比べると、新たな顔は少しばかり幼く、より中性的だ。
顔の方向性に大きな違いはないのだが(方向性が違っても解散したりはしない)、骨格のわずかな歪みや鼻孔の形などの細部については、きれいに整えられたかのように形状を変化させている。頭髪は黒いままだが、肌は青白さを増して、いささか不健康そうだ。
悪くはないのだが、はっきり言って気持ち悪い。まるで知らない間に美容整形手術を行われたように感じられる。
背丈が縮んだ分、手足も多少短くなっているみたいで、この違和感に慣れるには時間がかかりそうだ。
自分の姿を正面から確認することで、改めて尋常ではない事態が起こっていることを理解することができた。
左胸に手を当ててみると、心臓は動いている。呼吸も滞りないし、頬をつねるときちんと痛い。未来のひみつ道具「夢たしかめ機」の力を借りるまでもなく、僕が直面している出来事は極めて現実だ。
何故だかは分からないが、とりあえず僕は生きている。
この仮定を受け入れたのち、僕は「巷で話題の異世界転生が本当に起きているのではないだろうか」と考察を重ねる。ここは少なくとも天国ではなさそうだ。ましてや、地獄であるはずもない(善行を積んでいる僕が地獄に落ちるとは言うまいね?)。
僕がこのような飛躍した論理を展開したのは、何も21時間26分+n秒~時間+約1時間(推測歩行時間)前に「異世界転生は実際に起きていて、世に溢れる異世界転生譚はその現象が社会に投影されたもの」という着想を得たからではない。
湖のほとりで水を飲んでいる動物がいることに気が付いて、それが明らかに地球産ではなかったからだ。
僕はかつての生において400ページ以上もある動物図鑑を持っていたが、その内容に精通している人間でなくても、あの生物が地球にいないことは直ちに分かる。
その獣は4つ足で、穢れなき純白の体毛に覆われ、額には1本の角が生えている。
見まごうことなき、ユニコーン。
清純の象徴たる一角獣。
それにしても、異世界転生か――。
まったくもって興味深い。
「面白い」と僕は呟いた。