1.物語はかくして始まる
異世界転生したら何をする?
僕の場合は、知り、そしてあらゆる謎を解き明かすことが望みだ。
ダークエルフのサナリィは、呆れるような表情と共に僕へ問いかける。
「せっかくの異世界なのに、もっと楽しそうなことを思いつかないわけ?」
ただ、彼女は言い終わるとすぐに、輝く銀髪を揺らしながら苦笑する。
「まあ、エルフの私がこんなことを言うのもおかしいのだけれど。でも、貴方の世界の人たちって、何しろ奔放なものだから」
確かに、活力的とは言い難いエルフがこのような発言を行うことは珍しい。かの種族は、人生に刺激や充実感を求めるタイプではないのだから。
それだけ、僕の同胞たちが転生後の世界で自由に振る舞っているということなのだろう。
むしろ、無軌道と言っても差し支えない。
手に入れた力を思うままに振るったり、美しい異性のハレムをこしらえたり、富の寡占を図ったり、分かりやすい形で欲望を発露する者たちがあまりに多い。
僕も聖人君子ではないので、そういった欲求がないわけではない。
ただ、物事にはプライオリティがあり、僕の中では「知る」という行為が、何よりも優先されるというだけだ。
大魔王さまのお言葉はすべてに優先する、というほどではないが。
「知的好奇心は何よりも刺激的だよ。僕の世界では、智慧への限りない欲求がなければ人類はここまで到達することができなかった。偉大なる先人たちの魂に幸あれ! 貴君らの後継者は、異世界ソラルナで新たな知覚の扉を開いている!」と僕は強調する。「異世界においてもこうした姿勢を崩さない僕こそが、欲望を最も正しい形で継承している地球人類代表と言えるかもしれない。好奇心は猫を殺すということわざもあるけれど、幸いなことに僕はワーキャットではないしね」
僕の力強い宣言に対し、サナリィは再び呆れるような表情を向けた。
僕は真顔のまま冗談を言うことが趣味で、この趣味はなかなか他人には理解されない。ましてや、価値観の異なる異世界では。
◆◇◆
近年、僕の暮らす社会では異世界についての言及事例が加速度的に増えている。
単なる一過性の流行と結論づけるのは簡単だが、「それにしても――」と唸りたくなるほどの広がりだ。
星の数ほど類例が溢れているのが目に入ると、「考え屋」の僕はついつい思考を廻らせてしまう。
「果たして、人々が異世界転生譚について語るのは本当にただの流行なのだろうか」と。
いささかユング的に解釈させてもらえば、因果関係のない人間が一斉に同じような物語を紡ぎだすのは、シンクロニシティと言えないこともない。
我々の世界で何かが起きていることを感知した人々の集合的無意識が、異世界転生譚を現実社会に投影している、というのが僕のアイデアだ。
人間というのは往々にして、無意識に物事を認知し、そして無意識に行動へと反映させる。つまり、異世界転生は実際に起きていて、それを意識下で知覚した人々が物語としてそれをアウトプットしている。さながら、神々と交信したシャーマンが民衆に託宣を告げるように。
「巷に溢れる異世界転生譚にも、本当はこのような背景があるのかもしれない――」
そう考えることは、僕にとって非常に愉快で秀逸な着想のように思えた。
そして、その21時間26分後、僕は身をもって自分の推理が正しかったことを知った。
◆◇◆
僕が転生した異世界には、名前がない。
ただし、これはそれほどおかしなことではない。
何故なら、僕の元いた世界にも名前なんてなかったからだ。
地球も、太陽系も、天の川銀河も、世界の名称とは言うには差し障る。
それぞれ惑星、惑星系、銀河につけられた固有名詞であって、遍く世界を象徴する名ではないことはお分かりいただけるだろう。
同じように僕が転生した異世界にも名前はなかったが、記録する上でいろいろと不都合があったので、個人的に「ソラルナ」と呼称することにした。
太陽神と月神が支配する世界なので、SolarとLunaでソラルナ。
異世界での日々を記す上では勝手がいいのだが、仲間との会話でうっかり口にしてしまうと、みんなから「勝手に変な名前をつけるな」と突っ込みが入る。僕の周囲には、手厳しい人たちが多い。
さて、話を戻そう。
僕は20××年×月×日の14時18分にソラルナへの転生に至った。
召喚でも、転移でもなく、転生。
こう断言できるのは、同時刻に東京都杉並区で死に至ったことを明確に記憶しているからだ。最後に見た壊れた時計の針が、その時刻を示していた。
死因については、あまり思い出したくないから割愛する。あまり心愉快な死因でないことだけはお伝えしておこう(ハッピーウキウキな死因なんてあるはずもないが)。
出血と共に意識が薄れ、完全な無が訪れると、僕はソラルナの大地に横たわっていることに気が付いた。どれくらいの時間が経過したかは分からない。一瞬のような気もするし、果てしなく長い時間が経った気もする。
なので、正確に言うならば、僕は20××年×月×日の14時18分に地球における生を終え、そのn秒~時間後にソラルナへと転生した、と表現するべきだろう。地球とソラルナの時間の連続性は不明なので、nの値を計測することは不能だ。
僕が目覚めたのは背の低い草花が生い茂った丘の上で、風に揺られた細長い葉っぱがやさしく頬をくすぐった。太陽は世界を明るく照らしており、あらゆる生命に祝福を与えているように感じられた。
最初に思ったのは、「僕は何故こんなところにいるのだろう?」ということだ。
小高い丘の上から周囲を見渡すと、なだらかな丘陵地帯が続いている。
人工物らしきものは、緑に覆われた大地を二分するように横断する未舗装の道だけだ。
風景を見渡しながら、自分の視界に違和感があることに気が付いた。
――いつもより、視線が低い。
僕の身体は、昨日までの僕の身体ではなかった。
身長が幾分か低く、骨格そのものも華奢だ。肌の色も薄くなっているように思える。
「イエベからブルべに変わったのかしらん」などと益体もないことが頭に浮かぶが、さすがの僕でもこのような状況下ではユーモアを必要としていない。
・僕は東京ではない、どこかにいる
・僕の身体的特徴が変質している
現時点で分かるのは、この2点だけだ。
だが、これまでの記憶と照らし合わせ、「おそらく僕は死んだのだろう」と結論付ける。それで死後の世界に送られたのかグレートスピリッツに回帰したのか知らないが、異なる肉体で見知らぬ場所に存在している。「或いは、巷で流行りの異世界転生かもしれない」と苦笑する。
自分を取り巻く状況への考察をひとまず終えると、僕の親しい人たちへと思いを馳せた。いや、彼らはもう僕の死によって「かつて」親しかった人たちへと変わってしまった。
きっと、家族は悲しんでいることだろう。
友人も悪態をつきつつも、寂しく思ってくれているかもしれない。
僕は僕の死で泣いている両親の姿を想像し、「とんだ親不孝をしちまったな」と独りごちる。
僕の親しかった人たちにもう会えないことは悲しいが、それ以上に彼らに取り返しようのない喪失感を与えているであろうことが苦しい。
こうした気持ちに折り合いをつけるには少々の時間が必要だったが、僕はしっかりと立ち上がることができた。もちろん、比喩的な意味で(何故なら僕は周囲を確認してから、ずっと立ちっぱなしだったから)。
僕は、基本的には前向きな人間だ。どんな環境下でも、生きるための努力は払わなければならない――というのがモットーだ。
◆◇◆
少々長かった上に横道にそれたりもしたが、僕の異世界転生をめぐる旅は、このようにして始まった。
僕は基本的には独りを好む人間なのだが、旅の過程で幾人かの仲間と呼べる人たちとも出会うことができた。まさに旅は道連れ、世は情けだ。
仲間の中でも、サナリィは僕にとって最も重要な人だ。
寄る辺もないソラルナの大地で、彼女だけが僕の存在をつなぎとめてくれる。
「サナリィ、僕の旅についてきてくれるかい?」
僕が問いかけると、サナリィは満更でもなさそうな顔で「仕方ないわね」と言う。
「あまり面白味のない僕かもしれないけど、きっと退屈はさせないさ」
サナリィは「本当かしら」と言いながら、細い指で銀色の髪をかき上げる。彼女の銀髪ときめ細かな褐色の肌は、とても美しいコントラストとして僕の目に映る。
「それで結局、貴方の旅の最終目的は何なわけ?」
「それはね、サナリィ――」
それは――。
多発する異世界転生の謎を解き明かすこと。
そのために、僕はソラルナを識り、仮説を立て、実証を行う。
それがこの僕、雨月悠理の物語だ。