咆哮。
その日以来、私はモットレイ修道院に足繁く通っている。
お父さまに書類の書き方を教えてもらい、修道院を孤児院として登録申請した。受理されれば補助金が出るだろう。
お母さまにはお茶会で修道院のことを話題にしてもらったので、物資や寄付が少しずつ届き始めた。
衣食住が充実し始め、子供たちの血色も良い。
「リリーさま、さようなら~」
「えぇ、また来るわ」
「アンナさま、また追いかけっこしてね!」
「そ、そうね。楽しみにしてるわ」
子供たちと遊びすぎてぐったりとなったアンナが馬車の小窓から手を振る。
モットレイ修道院が見えなくなってから「次はデイビッドにお願いして欲しい……」とつぶやいて座席に倒れ込んだ。
「子供の体力、無限すぎます……」
「お疲れさま、アンナ。でも、ああやって走り回れるようになってうれしいわね」
「えぇ、本当に! まだまだたくさん食べさせてあげたいくらいですけれど、初めて会いにきた時に比べるとずいぶん変わりました」
二人でしみじみ思い返していると、遠くからかすかな咆哮が聞こえた。
「リリーさま、今のは……」
「魔物の声ね」
小窓から馬車の外を見ると夕焼け空と黒い山々が連なる。すぐに馬で並走していたデイビッドが「北側です」と教えてくれる。
「声の距離はかなり離れていますね」
「国境の辺りかしら」
「えぇ。一度、馬を落ち着かせましょう」
デイビッドは御者に馬車を止めるよう伝えた。
馬は繊細で魔物の気配にも敏感だ。
我が家で調教している馬たちなので大丈夫だと思うが、気の弱い個体ならば魔物の気配にパニックを起こすこともある。
御者も心得ていて馬たちを優しく撫で、こういう時のための匂い袋を嗅がせた。
中には鎮静効果のある香草が入っているらしい。
私はデイビッドの手を借り、馬車から降りて北側を見る。
カウンタベリー王国の北にはオリアン王国があり、間には高い山が壁のように連なってそびえ立つ。
その山々には魔物が数多く棲むという。咆哮はそちらから聞こえた。
「こっちに降りてくるかしら」
「その気配は今のところ無さそうですね」
百戦錬磨のデイビッドがそう言うのなら大丈夫だろう。
念の為しばらくその場に留まったが、咆哮は薄れ、やがて聞こえなくなった。
デイビッドの指示で馬車が再びゆっくり動き出す。
「オリアン王国では魔物による作物や家畜への被害がたくさん出ているそうです」
この世界ではいわゆる魔力というエネルギーがあり、個人差はあるが人間は魔法が使える。
動植物の中にも体内に多くの魔力を帯びた個体がいて、それが魔物と呼ばれる。
これまでは人と魔物は生息域が違うため、滅多に遭遇して来なかったが、ここ数十年は人里近くによく現れるようになってきた。
各国は対策を強化することにし、軍隊を派遣したり冒険者たちを募って魔物退治に乗り出している。
だが魔物の数は年々増えていて、このままではマンガの通り、魔物がはびこる世界になりそうだ。
主人公ロックもそんな世界で立ち上がった一人だったなぁ。
まんがでは国内外をロックたちが魔物退治しにいくことで話が進む。
エリーも、当然その冒険についていき、そして毎回えらい目に遭って帰ってくるのだ。
「もっと強くならなくちゃ……」
エリーを守るために、剣も魔法もレベルを上げていく。
つぶやいた目標は馬車の走行音に消されて誰にも届かない。
なのに小窓から見えたデイビッドと目が合った。
その琥珀色の瞳は残照を受けて、金色に光る。
物言いたげに揺れる瞳を見返せず、私はうつむいた。