噂の男の子。
私たちは二日目からも街の周囲を満遍なく移動して調査をしていく。
アイザック殿下たちは王都へ戻っていき、そのせいと言うわけでもないが、特にアクシデントもなく順調に調査が進む。
「お発ちになる前にご挨拶申し上げましたが、殿下の雰囲気が違いました」
「雰囲気が? どのように?」
「一本筋の通った顔付きになったと思います」
マイケルは苦笑しながら続けた。
「不敬ですが、殿下は官吏からの評判は低めでした」
「そうなの?」
「はい。けれど昨日、ホールズワースさまとのお話を終えてから、お変わりになったかと」
「そう……かしら?」
「何をお話しになったかうかがっても?」
マイケルは私をまっすぐ見た。
「お願いをしたの。民を助けて欲しいって。もちろん今回のように国が調査に人を派遣したり、魔物討伐に軍が出たりしてくれているけれど……追いついていないわ」
「そうですね。現状は魔物が増えていく一方です。では、国への働きかけを要請されたんですね?」
「えぇ。これ以上被害を増やしたくないから」
そう言うとマイケルは大きく頷いた。
「私自身、地方からの報告は見聞きしていましたが、王都にいたのでは実感できなかったと思います。各地で同じようなことが起きているならグズグズしていられない」
そんな話をしながら街に戻ると、マイケルは今回の分と過去の資料をまとめると言って、ギルドへ飛び込んで行った。
「夕食くらい一緒にしたかったのだけれど」
「真面目な質なんだろうな。今日はあそこにしよう」
デイビッドが指差したこじんまりとした食堂で、お決まりのスープと黒パンを食べていたら、くたびれた様子の男が入店してきた。
「おや、ボブさん。えらく疲れてるな」
「北の方でトラに似た魔物が出た」
「それは本当かい?」
「トラだって!?」
食堂にいた人たちが青ざめてボブと呼ばれた男を取り囲んだ。
「お前、無事なのかっ? 魔物はどうした」
「男の子が倒した」
「は?」
食堂のおじさんも旅人風の人も冒険者っぽい五人組もみんなあっけに取られた顔をする。もちろん私とデイビッドも虚をつかれた顔をしていただろう。
「男の子だって?」
「あぁ、こ〜んな小さい男の子だよ。古そうな剣を振り回して魔物をやっつけたんだ」
「それは本当か?」
「夢でも見てたんじゃ……」
「本当だ。その子は一緒にいた男を隣町のグレナエに送る途中だって言ってたな」
「ってことは冒険者稼業してるってことなのか……」
「そう言ってた」
「すごいねぇ」
その話を聞いて、私の心臓が強く脈打つ。
「リリ?」
「あの、その男の子はいくつぐらいでしたか?」
立ち上がって問えば、ボブは自分の腰より少し高いとこをに手をかざす。
「このくらいの身長だったから八つか九つくらいかな」
「そんな小さな子が魔物を倒す……?」
デイビッドが訝しげにつぶやくが、ボブはムキになって言い募った。
「本当だ! 剣だってその子と同じくらいの長さだったが、見えない速さで振り回してたんだからっ」
「その男の子の髪は茶色で、目が赤い?」
「あ、あぁ。そんな色だったな」
「名前を聞きました?」
「一緒にいた男にロックと呼ばれていたな」
主人公だ!
「リリ?」
「な、んでもないわ」
「なんでもなくないだろう。顔色が悪い」
宿に戻ろうとデイビッドが私の手を引く。それに逆らう気力もなく、私は食堂を後にした。
ロックが近くにいる。物語が始まっている。
おそらくロックはそのまま旅を続け、いつかヒロインのティナと出会う。
まだ魔物を減らせているとは言えない状況なのに。
「リリ、何を考えている?」
前を歩くデイビッドが静かな声で私に問う。
その背中は広くて逞しい。なんだか心細くて縋りつきたい。
「……少し驚いたの。魔物を倒した子供の話に」
すごいわよね、と続けるとデイビッドが振り返った。
「リリの方がすごいぞ」
「え、どこが?」
「リリだって子供の頃から魔物退治しているだろう」
「そうだけど……未だに大型の魔物には苦戦してるわ」
エリーが幸せになるように。魔物のいない世界を目指してたけど。そのために頑張ってきたけど。やっぱり私には無理かもしれない。
「強くなりたいなぁ」
ポツリとつぶやくとデイビッドが足を止める。
「そのうちなれるだろう」
「いつかじゃないの。すぐに強くなって魔物を苦もなく倒せるようになりたい」
繋がれていた大きくてあったかいデイビッドの手に力が入った。