遭遇
助手席に座るルスバはいつになく真剣な目で、遠くの前方に存在するであろうビル群を睨んでいた。真剣さはいよいよ真に迫り、それが余りにも凄まじい気迫なので、俺はわけも聞かずにおし黙っていた。
赤信号が滲んで光った。俺はワイパーをようやくかけた。
最初に口を開いたのは、ルスバの方だった。
「リビアが東京に現れました」
俺は耳を疑った。
「リビアが?」
アクセルを踏むと、ハスラーは風雨を乱暴に押しのけて進んだ。
右に錆びた薬屋の看板が下がっていた。
「なぜリビアだとわかるんだ」
「…箱に映ってた」
?、テレビのことか。
「それはいつだ」
「灯葉さんが寝ている間です。あっ、ウィンカーつけて」
「え、あぁ危ねえ、忘れてた」
そう、俺はルスバに絞め落とされ、目が覚めたら車に乗せられていたのだ。
自分はこれの扱い方がわからないから、代わりに運転してくれ、と。
とんでもない傍迷惑である。このまま帰れずにいると、本当にドロイトと別れることになってしまう。
はあ、とため息をついた。
そもそもなんでこんなやつに付き合わなければならんのだ。
ルスバは不機嫌そうに俺を睨んだ。
「なんですか。今更退かせませんよ」
なんて横暴な野郎だ。
「だって…」
「また締め落としますよ」
「それは…」
嫌だ。
雨粒がフロントガラスを叩いた。
上空をヘリが飛び回り、規制線が幾重にも重なって張り巡らされ、そこかしこで警察らしき人々が走り回っていた。
取材をしに来た報道陣らしき人達もいる。
雨風は先程よりも弱まっているが、雲は逆に分厚くなっていた。
もちろんこの異様な状況にも驚かされるが、俺が何よりも驚いたのは…
「魔波が見えない」
「なんですって?」
今まで当たり前にあったはずの魔波が、見当たらない。
なぜ?
一体どうなっているのか。
ルスバが辺りを見回し、呟いた。
「魔波抑制対象地域…」
「何?」
ルスバが随分遠くにある標識らしきものを指さした。どうやらあそこに書いてあるらしい。
「よく見つけたな。デタラメじゃないのか」
「質が違いますから」
少し威嚇しあい、問題の標識に近付いていった。近づくにつれ、確かに見たことのない標識であるとわかった。
「ちょっと」
呼び止められ、振り向いた。
警察だ。
訝しげな様子で俺等を覗き込んでいる。
「今は捜査中なので…」
「あ、はい。すみませんでした…」
そそくさとその場を離れた。否、離れようとした。
ルスバが動かなかったのだ。
「ここで何があったのですか」
警察は明らかに嫌そうな顔をした。そりゃそうだ。ルスバにはおよそ常識と呼べるものが備わっていない。
「そうですね。それがよくわからないのですよ。とにかく人が大勢死んだのです。事故なのか事件なのか、原因も何もかも不明で…。どうやら魔波制御装置が不具合を起こしたそうですが。詳しいことはまだ捜査中です」
それでは、と警察は小走りで向こうへ走り去っていった。
ルスバの目はギラついていた。
獲物を狙う肉食獣だ。
「なにかわかったか」
「いる」
汗をだらだら流し、ルスバは大地を蹴って走り出した。
「お、おいどこに行く!」
俺も急いでついていった。別にここで逃げ出しても良かったのだが、ルスバが俺に行動を強制させる程の異様な空気を纏っていたのだ。ついていかずにはいられなかった。
道が入り組むこの都会を、ルスバはするすると迷うことなく走り抜けていく。
本当にリビアを見つけたのか。
まだ準備ができていない。
それに、リビアに会ったとしてどうするのだ。
今の俺等にリビアを殺せるほどの実力があるとは思えない。襲いかかったって、返り討ちだ。
話し合いでもする気か。あいつに話し合いができるほどのまともな理性が残っているのか。否、そんなわけがない!
ビル群を通り過ぎ、カビに塗れた路地裏をくぐり抜け、太い道路を横切りたどり着いた先はまたもやビルだった。
「ここです、行きましょう」
「ま、待て。もう体力が」
ルスバは俺に構わず、ズカズカとビルの中へ入っていった。なんて野郎だ。
俺は少し息を整え、ビルを見上げた。
あまりの高さに、ふらついた。
ビルの中は薄暗く、電気も通っていないらしかった。当然、エレベーターも使えない。
「何階にいるんだ」
「25階」
まずは階段を目指した。
ちらりと見えたオフィスには、不快感の束が乱雑していた。ホワイトボードに「!」の文字が薄っすらと見える。
階段を見つけると、ルスバは俺にしがみついた。
「上まで行ってください」
「?、あぁ…」
有刺鉄線を素早く伸ばし、上の方の階段の手すりに巻きつけると、有刺鉄線を縮めて上へ上がっていった。
ギシギシと腕の関節が悲鳴をあげた。重い。
巻き付けて、上って、巻き付けて…を四回繰り返すと、25階に到達した。
カーテンは半開きで、中途半端に日光を取り入れている。
明るいところと暗いところにかなりの差があり、不穏のコントラストを織りなしていた。
「…」
ルスバは走って一つの部屋に突進していった。
パソコンとデスクが、綺麗に平行に並んでいる。一種の美しさすら感じるそれを、散らばった紙の資料がぶち壊している。
否、それもまた美しさなのかもしれない。
一つのデスクの上に、それは居た。
カカシのように突っ立って、呆然と空中を見つめている。
「こんにちは」
ルスバはリビアに近付いた。
絶対的な恐怖が、こちらに視線を移した。