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そよぐサザンカは葉を伸ばす  作者: ヨダカ
最終章
24/26

星空のメリー

太陽はとっくに沈んでいた。それに気が付かない程に、人類は疲れ切っていた。大蜘蛛の動きは依然として鈍ることなく、それどころか徐々に苛烈さを増していた。少しずつ、前方から壁が迫ってくるように思えた。しかし後方では業火が燃え盛っている。せめてもの救いとして、死ぬときは一瞬であった。

前線で動き続けるルビーは、ひたすらに大蜘蛛の中心へと向かって魔法を打ち続けていた。悪魔なのだからこいつにもコアがあるはずだ。それを壊せば…

ふと、気がついた。地面が傾いている。

一体何事か…と思っているうちに傾きはみるみる大きくなっていった。遂にルビーは地面に打ち付けられた。どうやら傾いていたのは自分自身らしかった。

前方から迫りくる壁がいよいよ鼻に触れたように思えた。

次の瞬間、光が一瞬閃いた。

それは朝焼けに昇りゆく太陽が振りまく光のような、包み込む光だった。


人々は思わず動きを止めた。

光の粒子が時雨のように突然に、天から降りてきた。天を仰ぎ見ると、それはどうやら近づいて来ていた星の欠片のようで、砂煙はそれになだめられるかのように落ち着いていった。

星は跡形も無くなってただそこに影を残すばかりだった。

「見ろ、あの化け物が…」

声がして、ドラセナはハッと気づいた。大蜘蛛が少しずつ崩れていく。足から胴体へ、胴体から頭へ、と徐々に徐々に崩れていく。動きを止めてただじっとその時を待っているようだった。崩れ行く大蜘蛛からも光の粒子がばらまかれていた。この粒子は大蜘蛛の身体でもあるのか。

…終わったのか、この戦いは。しかし一体何故…

その光景は、新たな始まりすら想起させた。

まるでプラネタリウムの世界に放り込まれたようだった。粒子一つ一つが星々だとしたら愉快な星座もできるだろうと思えるほど、光景は神々しかった。それはきっと生も死も孕んでいるからこそのもので、メビウスの輪のように表裏一体を体現するものは美しくあるのだろうと思った。

…表裏一体…

ドラセナはドロイトと共に過ごした一日一日の中で、学んでいた。

長所は短所となり、短所は長所となる。正義は簡単に悪へと翻るし、悪だって正義になることがある。正に表裏一体だ。

その全てを決めるのは、心なのかもしれない。

心というよりは、それは「捉えよう」で、「捉えよう」とはつまり……



「認識ですよ、ジレカクドポカ」

ルスバは言った。

「物事の全ては、個人の認識で決まります。いわゆる常識というものは多数派が持つ物事に対しての「認識」を、具体的に示したものです。貴方は人間の持つ認識に影響を与えて、作られた幸福を形作ろうとしているのです。もちろん、その幸福は本物です。しかし、贋作なのです」

ジレカクドポカは目を細めて彼の言葉を聞いていた。その表情に、感情の一切は表れなかった。

「私はただ…極上の幸福というもののを教えたかっただけだ。きっとその通りになるぞ、喜ぶぞ人類は…」

ジレカクドポカの力が弱まったのを、ルスバは肌で感じた。

その時、声が発せられた。ドロイトがいつの間にか目を覚ましていた。

「…ジレカ様、私も、確かにこの出来事は人々の結束のきっかけになるかもしれないと思っています。だけど、だけど結局、ただのきっかけです。忌々しい出来事は、価値観の変わらない限りいつまで経っても忌々しいものです。少なくともその時代を生きる者にとっては、日常の何でもないある瞬間に突如フラッシュバックする、トラウマになってしまいます」

ジレカクドポカはゆっくり目をつむり、何かを噛み締めた。

「私は…」

突然、ジレカクドポカの姿が変わった。仮初めの姿から、元の、認識すらできない何かになった。船の汽笛を幾つか低くしたかのようなけたたましい音が響き渡る。ジレカクドポカは叫んでいた。

せめぎ合う心が遂に歪んで、勢いよく弾けたのだ。

汽笛はそのまましばらく続いた。その様子を見て、ルスバはドロイトに近づいていった。

「…実は、ジレカクドポカはまだ幼いのです」

暗い目を地面に落とすルスバの顔が異常に老けて見えた。

「私は、ジレカクドポカの二人目の付き人です。だから詳しいことはわからないのですが、どうやら初代付き人に教えられたそうなのです」

「…何をですか…」

ルスバは暗い目を一層暗くさせた。どんな光をも遮断してしまう角膜は、幾重にも重なる深海のフィルターのようにも思えた。

「…谷があるからこそ山があるということを。即ち、不幸せなくして幸せは有り得ない、ということです。それを彼は、捻じ曲げた解釈をしてしまった。私の責任です、彼の事をまだ深く理解できていなかった」

ドロイトは何も言えなかった。ふと、この悲劇の流れを考えていた。

直接の原因はジレカクドポカだ。ジレカクドポカが悪魔という概念を創ってしまったせいでリビアに悪魔という属性が付与されて生まれてしまった。しかしそのジレカクドポカに責任能力は無い。外界から隔てられ、たった独りでこの場所に過ごした。精神も幼く、ただ絶対的な力のみを手に入れてしまった。ドロイトには責めることができなかった。外界に触れないことによる成長の無さは、昔感情に触れることを許さない村に閉じ込められていたことで十分わかっているつもりだった。

逆に言えば、外界に触れることで得られた成長の数は数えきれない程だった。

果たしてこの悲劇を止める術は無かったのだろうか。止める術は…

ドロイトは首を振った。吐き気が渦巻いたから、思考を辞めた。

その決断はきっと正しかった。

「…この先、一体どうするんですか」

ルスバは、慟哭を停止したジレカクドポカを見て、言った。

「彼の決断次第です」



生命の律動を感じる…生命の律動を感じる…生命の律動を感じる…



ドラセナは、心というものに決まった形がないということをわかっていた。以前、自分の心が見えないほどに尖り、自分もろとも何もかもを傷つけたことを覚えている。心は悪意に染まって、メリーはそれに応えていた。

でも、今なら違うことができる。はず。結局そういうものなのだろう。

経験は人間の本質すら変えてしまう。それは悪い方向でも、良い方向でも。私はきっと、良い方向に変われたのだ。

ドラセナは両腕を柔らかに広げた。

それに呼応するかのように背中のメリーは浮き上がった。

光の雨はまだ止まない。この雨なら、止まなくて良い。地面は潤わなくても、心が潤う。

メリーは高速で回転した。

メリーの開発者はどんな思いを込めて、これを作ったのだろうか。

少なくとも、今のこの光景にとても近いものを思い描いていたはずだ。

…私は今まで間違った使い方をしてしまっていた。一体どうやって謝ればいいんだろうか…

死後の世界はあるのだろうか。あるとしたら、こちらは見えるだろうか。見えるとしたら、喜んでくれているだろうか。

もし喜んでいたら、それが一番の恩返しかもしれない。一番の…

思考の展開は続いていく。

私にとっての、一番の人…やっぱり、いつまで経っても変わらなかった。

母の姿が、冬の蜃気楼のようにまぶたに浮かんだ。

「私、今、幸せだよ…ありがとう…」

メリーは魔法を振りまいた。

それは瞬く間に広がって、押し寄せて、満ちた。

人々の身体は癒えていった。

木漏れ日のような安息感が宿っていった。

メリーは今、初めて輝いていた。



「見えますか、ジレカクドポカ」

ルスバは言った。

下界はまだ、光で満ちていた。

ドロイトは潤んだ瞳でその光景を見ていた。そして、言った。

「なんだかやり直すのも勿体なくなりますね」

「…」

ジレカクドポカの光が弱まっていた。ジレカクドポカから声が聞こえた。

「私なんて、いらなかったのか…」

ルスバは呆れたように言った。

「もうやめてください。良いですか、過ちは次の過ちを犯さないためにあるのです。まだ時間を戻すことでやり直しは効きますが、世界にも耐久度があるでしょう。これが最初で最後のやり直しです。しゃんとしてください」

「私は大罪を犯してしまっただろう。そんな簡単に済んで良いのか?」

「済むも何も…貴方にどうやって罰を与えろと言うのですか。この罪は貴方がしっかりすることでしか償うことが出来ません」

ジレカクドポカはしばらく黙っていたが、言った。

「…わかった…もう、こんなことは起こさない。絶対に」

「…では…」

ドロイトが不意に不安げな表情を見せた。

「も、もうやるの?」

「?、えぇ」

「これで別れることになってしまうのかな」

ルスバはそれを聞いたあと、腕を組んだ。

「…そうですね。いや、多分そうはなりませんよ」

ドロイトは首を傾げた。そして言った。

「だって、まず時間を戻して、それからもうジレカ様は影響を与えないようにするのでしょう。要するに、ジレカ様が過ちを犯さなかった世界を作るのでしょう。神の影響のない、下界の生物だけが織りなす世界を。そうなったら当然今の世界は変わるし、人間関係も変わるのではありませんか」

ルスバはニヤリと笑って言った。

「運命次第ですね、それは。『生と死の関係』と『運命』だけは、神のような存在でもどうにもできない事柄なのです」

「…そっか」

丸め込められた感じがあったが、どうにもならないのでドロイトはとりあえず頷いた。

「…よろしいですか。…では」

ジレカクドポカが浮上し、放つ光の輝きを強めた。

それは正に太陽のようで、先程までの人間らしい姿とは打って変わって、人知を超えた存在そのものだった。

「…巻き戻します」

ドロイトは終わり際、目をつぶった。

どんな理由があろうと、寂しいものは結局寂しいのだ。




漆黒の空間に、灯葉は浮いている。

目覚めたらここにいた。

身体が動かせない…顔と首はわずかに動かせる。

徐々に目が慣れてきた、ような気がする。いや、慣れてきた。ここは…

そこは宇宙のような空間だった。幾千もの光が浮かび上がってくる。銀河の中にたゆたうのは、気持ちの良いものだった。何処かで見たことがあるような…前回もこんなことがあったような…

ふと、首元に誰かが立っているのに気がついた。

「…ルスバか…」

「おはようございます、灯葉さん」

ルスバは両手を後ろで組み、そこに佇んでいた。

「実はお願いがあってここまで来ました」

「…?なんだよ」

「これから時間を巻き戻して、全てをやり直します。どうなるのかはわかりません。死んだ人は生きていた頃の状態に戻るかもしれないし、戻らないかもしれない。くっついた世界はもとに戻るかもしれないし、そのままかもしれない」

話す間も、星々は規則正しく流れていく。アルゴリズムという言葉が脳の奥を右に左に飛び跳ねた。意味は違うかもしれないが。

「死んだやつは、なるべく生き返ってほしいなぁ…」

「…そうなると、イミカさんとリビアさんも生き返ってしまいますがね。彼女らは現時点では二人だけの世界を望んでいます。生き返ったら生き返ったで、しばらくした後大虐殺を起こすかもしくは二人で自殺をするか、どちらかになると思いますよ」

灯葉は思わず顔を歪めた。

「爆弾みたいな奴らだな」

ルスバは笑って、そのまま続けた。

「というわけでお願いなのですが、この世界での記憶を持ったまま、やり直された世界を生きてほしいのです」

「それなんか、まずいことになるんじゃないか?」

「まぁもしも人間関係がガラリと変わって独り寂しく生きることにでもなれば、この世界での楽しげな記憶がフラッシュバックして、死にたくなるかもしれませんね。急ぎで」

「…お前、俺のこと人として扱ってないだろ」

ルスバはわざとらしく首を傾げた。

「正直、もう慣れたでしょう?気付いてるかもしれませんけど、貴方もう2、3回は心壊してますよ」

「痛いもんは常に痛いんだ…もういいよ。記憶は引き継ぐ。ただ、理由を聞きたい」

ルスバは頷いた。

「貴方に時々感想を送ってもらいたいんです。世界はいい感じに行ってるかどうかのね」

灯葉は思わず笑ってしまった。

「なんか、軽いなぁ。俺の中の常識がひっくり返されそうだ。神様と文通ができるなんてありがたいことだ」

「常識がひっくり返ると言っても、死ぬときはちゃんと死にますがね」

じゃあもうここらへんでいいですか、というルスバの軽いしめの言葉で、会話は終わった。

漂う宇宙の中で、灯葉はふーっと息を吐いた。

なんだか、世界が薄っぺらく見えてくるな。もう何もかもがどうでもよくなってしまうんじゃなかろうか。実際今もそうなりかけてるし。帰るべき場所だって無いんだ。薄っぺらい、薄っぺらい…





「灯葉くーん。お迎えが来てますよー」

日だまりの香りがする…

妙に伸びる明るい声で、俺は目覚めた。

最初に木で作られた天井が目に入った。どうやら俺は寝っ転がっているらしい。

起き上がる。…やけにでかい建物だ。壁には絵やら写真やらが飾られている。絵はとてもじゃないが、上手いとは言えない。むしろ酷い。子供の絵みたいだ。

「灯葉くーん」

また声が聞こえた。声の方に振り向いて、ハッとした。

巨人だ…!俺の背丈の何倍もあるように見える。

「は…はい」

声を出して、またハッとした。声が高い。幼い。

まさか、ここは幼稚園か。俺は幼稚園生か!あいつらそこまで巻き戻したのか!?

じゃあ目の前の巨人は…先生か。

勢いよく立ち上がり、ポニーテールの先生に連れられるまま玄関へ向かっていった。木目を踏んでトテトテと…足取りがおぼつかない。なにせ歩幅が小さすぎる。

部屋から出て、廊下を歩く。右側の壁には子供たちの作品が飾られている。普段の生活が予想できる。

突き当りを右に曲がると、もう玄関だった。日が丁度向こうにあるようで、眩しすぎて前が見えない。せめてもう少し光を和らげてほしかった。

明かりの差す向こう側から声が聞こえてきた。

「すみません、遅れてしまって…」

その声を聞いた瞬間、五感に衝撃が走った。あまりにも、あまりにも聞き馴染みのあるその声。

世界が急に厚みを取り戻したような気がした。風が急にレースカーテンのようにたおやかになったような気がした。

その人は、先生とペコペコしながらやり取りを終えた後、俺に向って話しかけてきた。

「ほら、灯葉おいで」

いつの間にか、駆けていた。いつの間にか、叫んでいた。声は馬鹿みたいに裏返った。

「お母さん!」

明るい表情で両手を広げて出迎えてくれるそれは、俺の唯一の帰るべき場所だった。

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