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そよぐサザンカは葉を伸ばす  作者: ヨダカ
最終章
20/26

繊月の慟哭

外界では混乱に次ぐ混乱が巻き起こり、人類は皆ほうほうの体で逃げ惑うことしかできなかった。突如として現れた、確かに存在していた記憶を握りしめながら。


戦火の砂煙の中に一筋の光が伸びていった。金属光沢のような質感をもった光は僅かな残光を残しながらとめどなく膨らんでいき、光でできた一直線は大蜘蛛と化したリビアへと向かっていった。

光は大蜘蛛の上質な鋼のような脚への元で一気に飛び上がり、無数の鋭い光線で大蜘蛛を取り囲み、複雑な星座模様を描き出した。伸びて伸びて伸び上がって弧になって、恐ろしく長い生命線に似た射光のその先端、上空二百メートル程の地点に光源があった。

それは人影であった。自らが発した光の波を砕いて、淡い影に揺られていた。鉛色の光はそれを中心に波紋状に波を立ててゆき、その姿は、月と重なった。

満月のように見えるのだが、しかし今にも途切れそうなほどに絶え間なく生命の糸をほとばしらせている軋むその様子は満月というよりも繊月に近いものがあった。

繊月は再び光を強め、幾つも星座を形作りながら大蜘蛛の周りを駆け巡った。

大蜘蛛はそのあまりにも巨大すぎる鋼鉄の脚をゼンマイ人形のようにシャカシャカと動かし、魔波を破壊した。絶叫にも似た暴力的な調べが空気の芯をつんざき、大地を揺るがし、既に倒壊しているビル群に追い打ちをかけた。高速道路は将棋倒しになって、瓦礫へと形を変えた。怪鳥のように飛び回る五十をも超える数のヘリコプターからは矢継ぎ早に赤く光る弾が放たれ続け大蜘蛛に突き刺さるのだが、それをものともせず大蜘蛛は魔波を歪ませて破滅的な魔法を撃ち続けた。

遠くの地面から大きな爆発が見え、次に台風のような黒煙が立ち上った。砂煙は今や黄色く染まり、吹き荒れて鳴き叫んで大地を抉っていた。

大蜘蛛がまた一つ魔法を放つと、光は吹き飛んでビルの瓦礫に突き刺さった。そこに一人の女が逃げるように駆け寄った。それは記憶を取り戻したドラセナだった。記憶を取り戻し、現状を知ると、いても立ってもいられず荒廃した東京へ飛んできたのだ。顔を砂で汚し、頬は擦ったのか、血が滲んでいた。ドラセナは大きなメリーを背後に浮かせて、必死に瓦礫をかき分けて光を放っていたそれを見つけ出した。

それは、ムージュだった。

ドラセナは背中にムージュを背負い、顔を歪ませながら安全な地帯へと走った。

その時、ムージュはゆっくりと瞼を開けた。血に濡れた顔面は、もはや原型を留めていなかった。

「…お前は」

ドラセナは答えない。二人は戦ったことがある。面識はあった。しかし詳しいことはお互いに知らない。

「…何をしている」

「…負傷者の救助」

「離せ、私には必要ない」

「あるよ、このままだと、死んじゃう」

「…離せ」

ムージュは再びゆっくりと目を閉じた。その顔は決意に満ちていた。

「…頼むから…」

ドラセナはその声色に抗うことができなかった。

「なんで」

「…」

ムージュは目を開いた。

「瞼の裏に、あの場所が見えたんだ」

ドラセナは歩みを止めた。

「やっと、意味が見えたのだ」

「…意味?」

ムージュは大蜘蛛を見た。ただひたすらに狂乱状態で殺戮を繰り返している。

「私の生きる意味だ。街は壊され、人々は逃げ惑っている。これは正しく危機だろう」

ここが、とムージュは息を漏らした。

「ここが私の死に場所なのだ…」

瞬間、ドラセナの背中が軽くなった。

ムージュは消えた。力強い足跡一つが地面に残っていた。ドラセナは狼狽えたように辺りを見回し、大蜘蛛を見上げた。大蜘蛛の周りで、稲妻のような光が閃いていた。

ドラセナは唇を噛み締めた。

「…意味がわからない…」




「イミカ、大丈夫か」

「大丈夫だが、支えておいてくれ」

盲目のイミカを連れて、レベオが戦地を進んでいた。

「しかし驚いたな、我々が夫婦とは!確かに魔法学校時代では学友だったかもしれないが…」

「こちらのセリフだレベオ、私にはリビア様がいるというのに…」

イミカは少し後ろめたい感情を黙殺し、何も見えない空を見上げた。

「…今、どうなっているのだろうか」

「さぁ、とにかく馬鹿みたいな化け物が暴れているんだ。まだ、随分遠くに見えるがな…このままではこの世界が更地になってしまう」

大蜘蛛は叫び、再び魔法を撃った。火柱が轟々と酸素を喰らいつくし、大地を這いずりまわって飲み込んでいた。

「どうやら近づくのは無謀のようだな…どうする、イミカ」

しかし、イミカは沈黙していた。その姿は、紙芝居を一生懸命に聞く子供のようだった。

「…イミカ?」

イミカは顔を歓喜に上気させ、上擦った声で言った。

「リビア様…!」




また、ムージュは吹き飛んだ。

全身が火傷に被れ、血だらけで、最早生きているのが不思議な状態だった。

何かを必死に呟き続け、なんとか立ち上がろうとするものの、手足は虚しく地面をなぞるのみだった。

寝ているというのに目眩がして、視界が明滅して、信じられないほどの吐き気がした。しかしもう、胃に吐けるものは残っていなかった。

「……ゥ……ゥ…」

なんとか立ち上がると、息をゆっくり吐きながら、前に進もうとした。

しかし、足に何かが絡みついた。見ると、それは指だった。

フルセルの暗殺部隊でもこちらの隊でもムージュの上司を務めていた、ザクロだった。

ザクロは、目に僅かな残光を濁して、仰向けに倒れていた。

「…これを…」

ムージュの身体を、生ぬるい水のような感触が覆った。

するとみるみるうちにムージュの身体に生気が宿り、身体の細胞一つ一つが蘇るようだった。

「…隊長、何を…」

「…ムージュ…だろう、その立ち姿は…剣を握ることだけに特化したその身体は…」

ザクロの目の小さな光は今にも消えそうで、風に吹かれる蝋燭のように震えていた。体はかじかんで、寒さに怯えているようだった。

「ずっと、お前のことが気がかりだった…闇雲に走り続けていたお前がずっと心配だった…人生が、そんなもので良いはずがないから…」

ムージュはザクロから目を反らした。いつもこの人は、いらないことを気にかける。そんなものが暗殺に必要なわけがない。

「…そうですか、隊長は休んでいてください。回復をありがとうございます、私は行きますから」

「ムージュ、あのとき私を刺したのは…お前なりの気遣いだったのだろう、最後まで足を引っ張ったな…」

「もういいですよ。充分回復できました」

「嘘をつくな、まだ左肩が上手く効かないだろう…」

ムージュは素っ気なく言った。

「この回復力、隊長の体力も削っているでしょう。このままだと死んでしまいますよ」

「…良いんだ」

ムージュは訝しげな目でザクロを見た。私を回復させて死ぬ、それが一体隊長にとって何になるのだ。そんなの、ただの野垂れ死にではないか。

「俺は、フルセルを守りたいんだ…」

「何を言ってるんですか。ここはフルセルではありませんよ。あの蜘蛛を殺したって、フルセルは何も…」

「あの蜘蛛が皆殺しにしてしまったら、フルセルのことを知るものはいなくなるだろう…」

ムージュは目を見開いた。何を言っているのだこの人は。記憶の中の、実態のないフルセルのために命をかけているのか。

「フルセルのことを知るものがいなくなったら、その伝承は受け継がれることなく途絶えて、フルセルは完全に消滅するだろう…?そんなことになったら…」

ザクロは咳き込んで、続けた。

「寂しくなるだろう…?」

ムージュは口を半開きにした。寂しい…そういえば、この思いを一体何度感じてきただろうか…

「だから、少しでも可能性のあるお前に託しているんだ…」

「…私に…」

「そうだ…」

また咳き込んだ。そして、かすれた声で言った。

「お前の強さは、知ってるからな…」

その瞬間、ムージュの記憶が風に吹かれる本のページのように幾つも幾つもめくれていった。

朝日に照らされる高原も、風に揺れる咲草も、何一つ輝くことなくそこにあった。

ムージュの思い出は、輝くことなくそのままそこにあった。

回想は一瞬だが、凄まじい量の記憶がムージュの脳内で流れていった。

本当に、本当に誰からも気にかけられなかった…ずっと独りで、孤独に歩んでいた…ずっと…

…本当にそうなのか?

そういえばいたじゃないか、すぐ側に……安全を気にかけてくれて、人生を気にかけてくれて…

何故この人は気にかけてくれたのだ…?隊長としての役目だからか…?

ムージュの思考は様々なつっかえを排除して、いたって単純に結論に向かった。

「…今隊長に死んでもらうと、ちょっと、困ります」

「……何…」

「とにかく、とにかく…」

ムージュは急いでザクロを抱き上げ、安全な場所へと高速で移動した。

「何、何を…?」

「いいから!」

ひとまず他の場所よりかは安全そうな、大蜘蛛から離れた場所にある穴倉の中にザクロを横にした。

「死んだら、本当に困りますからね。やめてください」

そう念を押して、ムージュは再び戦地へと駆け出した。

生きる意味ができた。

護るべきものができた。

その二つがあるだけで、まるで安定感が違うということにムージュは気づいていた。安定感、何が安定しているのかということはよくわからないが、とにかく安定していた。

大蜘蛛が見える、見える、見える…

果たして、生き残ることが出来るのだろうか。わからないが、とにかく地面を蹴った。大蜘蛛は糸を吐き出して、また一人、人を喰っていた。

こうして、フルセルは消えていくのか。こうして、護るべきものは消えていくのか。

沈みゆく太陽を背に、月は今、加速した。

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