原案『ジレカクドポカ』 筆者『ルスバ』
都会に耳をつんざくようなサイレンが響き渡った。人々は勢いよく回されたコマのように逃げ惑い、大混乱に陥っていた。信号機は有って無いようなものとなっており、一部のものはなぎ倒され、ガラクタと化していた。ヒビのはいった都会は目の覚めるような夢想世界だった。
緊急魔波沈静化防衛システムは何十年ぶりにフル稼働し、歯車をきしませながら、しかしそれでも魔波はさらなる荒ぶりを見せていた。
ビル群は壊滅し黒い煙を吐き出して、蛇の舌のような炎を見せている。都会の真ん中で、直径二百メートル程の八本足の化け物が巣食っている。百ほどもある青い目で何もかもを見つめ、黒い体に浮き上がる瞳は視界いっぱいに広がる美麗な冬の星空と散らばる死体だった。
そのさまは世紀末と言う他無かった。
「我々は任務を遂行するのみッ」
爆撃により揺れる日本魔軍隊基地内で、軍人達は一斉に食堂に集まっていた。彼らの視線の先に立った左胸に黄金のバッジをつけた日本魔軍総隊長は、両手を地面と水平にそれぞれ左右にピッタリ伸ばす十字架のような珍妙なポーズをとって、鬼瓦のような顔でもって叫んだ。
「我々は今日この日のために血の滲むような訓練を繰り返してきたッ」
「苦い汁を啜って銃に齧り付いて生きてきたッ」
「それらは全てッ今日という絶望を乗り越えるためのものだったッ」
「この地獄の先にある平和を我が日本にもたらす為にあったッ」
「私は確信して言えるッ」
鬼瓦のような顔は、歪むことなく叫んだ。
「勝利以外に道は無いッ」
続けえッと隊長が喉が張り裂けるほどの大声で叫ぶと、微かに心の震える音がした。
軍人達のときの声が空気をかき鳴らし、彼らは外へと走り抜けていった。
隊長は力強い言葉を喚き散らしながら扉を押し開け、外へとくり出した。そこは正しく地獄だった。マリオネットの操り糸のような蜘蛛糸が黒く塗りつぶされた空から何千も垂れ下がり、人々はそこにぶら下がっている。その人々に動きは見えなかった。
前方に、全ての元凶が微かに見える。四方八方から照らされて、まるで舞台役者のようだった。
隊長はヘリコプターに素早く乗り込み、大きく咳き込んだ。先程叫んだためか。隊長は大きく深呼吸をしながら最後の点検を始めた。
浮き上がるヘリコプターの中で、隊長は心の何処かで自分の死を確信していた。破滅的なこの光景に、自分の死に場所を理解した。
しかし、恐れは無かった。
彼の叫んだ言葉の中に、偽りは無いのだから。
神様は鈴のコロコロとなるような声で笑った。
「あぁ、愉快だなあ。私としては勿論人間側に勝ってもらわないと困るのですがね。人間がいないと喜劇は成り立たないから…悲劇だとか喜劇だとか、人間は人生を少しでも面白いものにするためにたくさん作ってきたでしょう。だけど常に傍観者で…たまには登場人物になってもらいたいのです」
神様はアンティークテーブル越しにドロイトを見つめた。ドロイトは人形のようにぐったりと椅子にもたれかかって、虚ろな目でコップのフチを見つめていた。
「ジレカクドポカ、もう良いでしょう」
ふと声が聞こえて、神様は振り返った。
「ルスバよ、どうも客人の様子がおかしいんだ。どうしてしまったのだろうか」
ルスバは曖昧な感情が籠もった眼で神様を見つめた。少し悲哀の色が混じっているように見えた。
「ジレカクドポカ、あなたは特別な存在なのです。故に、普遍的な生物はあなたの目の前にいることすらできないのです。この生物はこのままだと死んでしまいます。どうか解放してあげてください」
神様はそれを聞くと、少しうつむいて、影を落とした。
「解放…なんだか、私が強制しているとでも言いたげだね」
「そのような意図はございません」
「君の深層心理が文体に働きかけているんだよ」
「それは思い違いです」
「…私には新しい出会いをすることすら許されないのか?」
ルスバは言われた途端黙ってしまった。
神様はゆっくりと顔を上げた。
「勿論わかっているさ。神として生まれた以上、私には責任がある」
「ならば…」
「君ならもう、わかっているだろう。いや、どうかわかってくれ」
ルスバは顔を歪ませた。
神として存在し続け、これといった娯楽もなく、ただただ現世を見つめ続けることの虚しさをルスバは誰よりも理解していた。
「ね、君にはもう話したろう。どうだい、例の小説の進み具合は?たしか、『君は悪魔の成り損ない』だったな。続編は、『そよぐサザンカは葉を伸ばす』だったよね」
「あぁ、もうあなたの意向次第で、いつでも完結できる状態ですよ。つまり物語にピリオドを打てるということです。もう新しい悲劇や喜劇はいりません」
ルスバはあなたの意向次第で、という部分に心を静かに込めた。神様は敏感にそれを感じ取った。
「ねぇ、ルスバ。私は四半世紀考えてやっとこの方法を思いついたんだ。現世に影響を細かく与えて、その成り行きを君という二つの世界を同時に行き来することができる生物に文字としておこしてもらう…そうすることで、私はこの手で悲劇や喜劇を全く自然に創り出すことができるんだ。これ以上ないリアルだ。そして最後は…そのおこしてもらった文章をゆっくり読み耽るんだ…」
神様はルスバへとゆっくり歩みを進めていった。その歩みは恐らく誰にも止めることができなかった。
「ルスバよ、上質な喜劇には上質な悲劇が必要だ」
この世の誰より純粋な瞳を香ばしいオリーブオイルのように輝かせて、神様は言った。
「いいだろう?生物なんて、少しくらいは死んだって」
ルスバは考えた。
否、考えようとした。
しかし、この期に及んで思考などできるはずが無かった。
ルスバは麻痺した頭を使って、首を縦に振った。
ルビーは砂埃が絶えることなく舞い続ける荒れ地となった元マンション住宅の残骸に、身を隠しながらへたり込んだ。
想像以上の化け物だ。
左腕を負傷してしまった。強力な魔法を使うには、我々のような下等魔波使いには両腕が必要不可欠だというのに。
ルビーはふと、自爆を可能にする魔波の歪ませ方を思い出した…
「あ」
声が聞こえて、振り返った。そこには2日ほど前に基地で別れの挨拶を告げたガーネットがいた。
ルビーは驚愕のあまりしばらく言葉が出なかったが、言った。
「俺の幻覚か?」
「現実です、しっかりしてください」
そうか、と溢れ出かける思いの温度を感じながら、ルビーは立ち上がろうとした…ガーネットも同様に……
その刹那………
世界に初めて窓が開きました。
それはとても大きな窓で、世界中に生きている動物の誰もが見たこともないほど、想像すらできないほど大きな窓でした。
窓からは不思議な光がさしていて、その光はあたたかくて、やさしくて、とても気持ちのいい光でした。
その光からひょっこりと、神様が出てきました。
神様はにこりと笑いながら、何か言葉を言いましたが、言葉の意味は誰にもわかりませんでした。
神様はひらひらと手をふると、そのまま、また、ひょっこりと、消えてしまいました。
神様が消えてしまっても、窓はまだ開いたままです。
窓はまだ開いたままです。
開いた。窓は開いています。
開いた窓は、窓として成り立ちませんね。
窓は穴と成り果てていました。
穴は何か綺麗なものを吐き出して、キュッと音をたてて消えてしまいました。
綺麗なものは、植物の根のようにいくつにも分かれて、分かれて、分かれて…
人々の胸の中へと溶けていくのでした。
何かが突っかかっている…
とても鋭いような、丸いような…
温かいような、冷たいような…
平べったいような、厚みがあるような…
只一つ言えることは…全員に共通していることは…
それがとても大きなもので…
とても大事なものだということ…
あぁ。
それは、きっと、記憶でした。
あぁ。
稲妻のように閃いた。
全人類は遂に大事なことを思い出した。
地球を、フルセルを。
決して美しくはないものの、世界一愛しいあの日々を。