独善的な人
日が傾き影が伸び始めた夕方もしくは午後の末、子供の声が減っていって大人の声が増えていく夕方もしくは午後の末、異様な空気が人々の心を刺していた。
絵を描く老人を探し始めて三時間程度経っていたが、一向に見つからない。
「この辺りで見たはずなんだが」
灯葉はキョロキョロと見回して、息をついた。
「ところで、老人を見つけたらどうするんだ」
「それは、会ってから考えてみますよ」
考えてなかったのか、という言葉を灯葉は飲み込んだ。灯葉はリビアを見た。蝋人形のようだ、全く表情を動かすことなく歩いていた。
「そういえば、ジレカクドポカってどんな感じの…」
「性格のことですか」
灯葉は頷いた。
「そうですね…」
ルスバは考えるように、沈みゆく太陽に視線を向けた。その目は直接太陽に照らされて、異様な光り方をした。でも、濁っていた。
「…独善的」
ため息が聞こえた。
「少なくとも、彼は神になるべきではなかった」
また一つ今が過去になった。
新しく産まれた今、カーブミラーに何かが映った。
ルスバ、リビアが素早く視線をカーブミラーに移した。しかしそれはもう消えていた。
「気の所為でしょうか」
ぐにゃりと歪んだカーブミラーは何を映したのだろうか。カーブミラーは一瞬、間違いなく、歪んだこの世界を映したのだ。
二組に分かれて探すことになった。ルスバは一人で、リビアは灯葉と共に探せということだ。灯葉とリビアを一緒にするのは、灯葉一人では心配だから、とのことだ。余計なお世話だ、と灯葉は心のなかで毒づいた。
道なりに進んで、見回して、それをしばらく繰り返していた。いつ見つけることができるのだろうか。もしや、あの光景は夢だったのではないか。
灯葉が不安に苛まれるようになった午後七時頃、リビアがふと口を開いた。
「私は」
とても掠れた声だった。
「許されることはあるのだろうか」
灯葉の心臓が跳ねた。その声はあまりにも悲痛だったのだ。
「…どうしたんだ」
「教えてくれ」
リビアは歩みを止めた。
「この世界では、罪を犯したらどうなるのだ」
「…罪を犯した者には必ず罰が与えられる」
被害者と加害者のバランスをとるためだと灯葉は言った。
「罰を与えられれば、私の罪は消えるのか」
灯葉は顔を歪めた。罪とか、罰とか、そういったものを全く知らずに彼女は生きてきたのだ。
「とにかく、まず反省することからだ」
「反省?それはどうやるんだ」
「…しようと思ってできることではないぞ」
「なぜだ」
「心から反省しなければ、良心の呵責とは言えないからだ、お前は苦しんでいるか?」
リビアは灯葉に縋りついた。
「苦しくてしょうがないんだ、今にも胸がはち切れそうなんだ。早くイミカに会いたいんだ」
灯葉は泣きそうになった。理解できていないのか?
「イミカに会えないから、苦しいのか?人を殺してしまったことに後悔は感じないのか?」
リビアは黙った。地面をじっと見て、必至に考えているようだった。
「…わからない…」
灯葉は胃酸の逆流を感じた。
「したいんだ、後悔とか、懺悔だとか、罰だって与えられたいんだ、でもそれが心から出てこないんだ、全部が薄っぺらい言葉にしかならないんだ」
リビアは希望を求めて、必死に灯葉を揺すった。
「教えてくれ、本当に後悔とか、良心の呵責とかができたのなら、私はイミカに会えるのか」
…結局、イミカか。
「…そうなんじゃないか」
「手っ取り早く罰を受けたいんだ、どうすればいい」
灯葉は怒りに任せて、叫んだ。
「じゃあ、早く死ねよ!!」
リビアの顔が暗くなった。
「…なんだと?」
「俺の住んでた国では、重い罪を犯したら死刑になるんだ、死んで罪を償うんだ。お前もそうしたらいい!反省できないんだろ」
吐き捨てるように言った。実際吐きそうだった。なぜここまで伝わらないのか、不快感で潰れそうだった。
「…死ねないんだ」
「何?」
「だって、コアが…」
どうしょうもない怒りも、子供のような純粋な悩みも、一瞬で消え失せた。
素っ頓狂な驚愕に、全て塗りつぶされていた。
二人の間に割って入るように、老人がいたのだ。
「あなたですか」
ルスバは今まで以上にギラついた瞳を一人の老人に向けていた。老人はルスバのことを気にもとめず、ただキャンバスに向かっていた。
「リビア、何を感じますか」
リビアは老人をじっと見つめた後、弱々しく首を振った。
「わかりません」
ルスバは目を細めた。
「今まで以上に使えなくなりましたね。まあ、私にもよくわかりませんがね」
「何がわからないんだ」
灯葉は老人を覗き込んだ。やはりあのときと同じ、絵を描いている。
「…」
ルスバは一言も口にせず、いきなり老人に掴みかかった。灯葉は突然のことに反応できなかった。命の危険を感じた。
しかしその凶暴な掌は空を切り、老人に触れることはできなかった。
「おい、何を!」
しかしルスバは老人にまた触れようとした。しかし結果は同じで、ルスバは老人に触れることができないのであった。
「なんなのですか、これは」
ルスバは初めて困惑の表情を見せていた。さらに老人に近づき、そして、ぽかりと口を開いた。
「フルセルの木材が使われている」
ルスバが見ていたのは、老人が握る筆だった。その筆が、フルセルの木材からできているというのだ。リビアも静かに近づいた。ルスバは再び口を開いた。
「この老人は、フルセルの人間でしょうか…いや、そんなはずは…」
リビアが聞いた。
「その木の種類は」
「この木は、たしかチルトと呼ばれていました」
「チルト」
リビアの目つきが変わっていた。
「300年代前半から400年代前半にかけてフルセルの北部山岳地帯にのみ生息していた扇状樹の一種。その山岳地帯はフルセルの中でも特に異常な気候で、正にフルセルでのみ生息できる木とも言える…まぁ、もう絶滅してしまったが。その頃のフルセル北部山岳地帯は本当に異常で、雷龍の子供の餌となるシシバナが200年代後半に大量発生し、雷龍の個体数が大幅に上昇したことが原因と言われている。延々と雷が降り注いで、この木が変わった進化をしたのもそのためだ。枝の先端が魔波循環形状となっており雷を少しでも反らせるような生物としての工夫が」
「わかりました、わかりました。つまり、どういうことですか」
「間違いなくフルセルのもの、恐らくこの世界では入手できないであろうものだということです」
ルスバは微笑みを浮かべた。
「素晴らしい、私では敵いませんね。思っていた以上ですよ」
リビアの顔は心なしか明るくなった。
「つまりこの老人は、この世界にはいないということですね。『地球』とごちゃまぜになって消えてしまったはずのフルセル。実はそのフルセルはまだ残っていて、欠片となったフルセルで老人は孤独に絵を描き、その視覚的情報のみがこの世界を彷徨っているのか、もしくは…」
ルスバは目を大きく開き、天を仰いだ。目は殺意を帯びていた。
「誰かが意図的に見せているのか」
逃しませんよ、とルスバは呟いた。
「挑戦状ですか」
一陣の風が世界を撫でて、雲を飛ばした。
「それとも単なる嫌がらせですか、ジレカクドポカ」