罪の重さ
「同情するのですか、この人外に」
ルスバは眉をひそめながら言った。昼下がりの公園、色のない樹の下に三人は座り込んだ。灯葉は答えた。
「…少し、哀れだなあと。少しな」
リビアは呆然と空を見つめていた。瞬き一つしないその姿は蝋人形となんら変わりないものだった。
「哀れ、これがですか?いくつもの人生を破綻させたこの気狂いが」
「気狂いだと?」
リビアが立ち上がった。その目は悲壮感に満ち溢れていた。
「私の、何処が、気狂いなんだ」
ルスバはポケットから板状の何かを取り出した。白く塗られたシンプルなデザインだった。
「あなたにとって一番大切なものはなんですか」
「イミカ」
「そうですよね、そのイミカが自分の居場所から消えて、どんな気分ですか?」
リビアの瞳からは何も読み取れなかった。にも関わらず、表情は目まぐるしく変わっていた。
「…ぐちゃぐちゃ」
「ぐちゃぐちゃですか。どうです、もう一度この気分を味わってみたいと思いませんか?」
リビアはもう膝から崩れ落ちそうだ。
「や、嫌だ、もう嫌だ」
「嫌ですよね」
ルスバは一気に距離を詰めた。その目はギラついていた。
「あなたは今までに何人殺しましたか」
リビアの表情が歪んだ。目からは涙が溢れ出ていた。灯葉は嫌になって、ここから逃げ出そうとした。その瞬間、ルスバが灯葉を睨んだ。
「動くな。見ていろ」
ルスバに獣の獰猛さが宿っていた。灯葉は向けられた殺意に背筋が冷えた。
「証人が必要だ、目に焼き付けておいてください」
ルスバは笑顔でリビアの髪を掴んだ。もはやリビアは抵抗することができなかった。
「ねぇ、何人殺しましたか?」
「わ、わからない!わからない!数えられない!」
リビアは泣き叫んだ。灯葉は、リビアが自分の罪の重さに気がついたのだということを理解した。そしてもう見ていられなくなった。
「それだけの数の大切なものを壊したのに、それだけの数の人間にあなたと同じぐちゃぐちゃな思いを味あわせたのに、あなたは何故のうのうと生きているのですか?」
私は、とリビアは呟いた。
「私は、やってない…」
「おやおや」
ルスバは白い板状のものをリビアに突きつけた。それは安物の手鏡だった。
「ね、見えますか?あなたの顔です。ひどい顔をしていますね。ねぇ、このひどい顔の目を見てください。目は綺麗ですね?ほら、もっと近づけよ」
ルスバはリビアの髪を引っ張って手鏡にむりやり近づけた。
「おい、ちゃんと見てますか灯葉さん」
「…見てるよ」
灯葉は吐きそうだった。
ルスバはギラギラ光る眼でリビアを見た。
「ふふ、いい顔ですよ。次は私の目を見てください」
リビアは言われるがままにルスバの目を見た。あの、神が見えるあの目を。
「あ、あぁ」
リビアの瞳孔が開いた。
なにかが崩れた音がした。大事なものが壊れた光が見えた。
「いいですね。わがままで、自己中心的で、プライドの塊、気が短くて器も狭い」
ルスバは髪を掴んだまま自分の顔に近づけた。前から思っていたが、ルスバの顔はどこか女性のようだ。男性というよりも、ボーイッシュな女性といった感じだ。
そして、とルスバは付け加えた。
「とびっきりの依存体質」
リビアがルスバを最後の力で睨んだ。
「そんなものじゃない、イミカと私の間は…」
「何を言うのですか。もうないんですよ?その繋がりは」
リビアはうなだれた。悲痛な声が漏れていた。
ルスバは笑った。
「でも、大丈夫」
大丈夫?、とリビアが顔を上げた。藁にすがるような必死な顔だった。
「私の言う通りにすれば、もしかしたら全部なかったことになるかもしれない。罪が晴れて、またイミカにまっさらな状態で会えるかもしれません」
「ほ、本当か。全部なかったことになるのか。私はとんでもないことをしてしまった、それが全部許されるのか」
リビアはルスバにすがりついた。ルスバは更ににやついた。
「えぇ、そうです。ただし条件があります」
「え」
「私には敬語を使うこと、今まで通り他人を殺さない事…まあ、これは今のあなたなら大丈夫ですかね。私の命令に背いてはいけないこと、常に自分の犯した罪に苛まれながら生きること。これらを守れば、私があなたを助けてあげますよ」
リビアの顔がぐちゃぐちゃになった。果たして、私なんかが救われてもいいのか。そんな顔だった。
「あ、ぁ…」
「まずはお礼を言わなきゃですよね」
「あ、ありがとう…」
ルスバは目を細めた。
「敬語」
リビアは恐れるように震えた。
「あぁ、ありがとうございます…!」
ルスバは気味悪く笑った。
「どういたしまして」
ルスバは手鏡を懐にしまい込み、はつらつとした表情で灯葉と向き合った。
「さ、老人のもとに行きましょうか」
灯葉はじっとリビアを見ていた。こんなリビア、見たことない。今までリビアは二度、灯葉に向ける表情を変えているが、こんなリビアは今まで見たことない。
本当に、罪の重さに気がついたのか。なんだか、やはり哀れだ。
「…ルスバ」
「はい、何でしょう」
灯葉はルスバを不安げに見た。ルスバはずっと微笑んでいる。灯葉は呟いた。
「…予定通り、とでも言いたげな表情だな?」
ルスバはしばらく灯葉を見つめていた。
その後、ゆっくりと口の前で人差し指を立てた。