表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
異説冥界神話 ~ペルセポネ  作者: 大漁とろ
1/3

第一話

 冥府に昼夜という概念はない。ここへ来てから何日が過ぎたのか、コレーはすでにわからなくなっていた。

 宝石をちりばめた寝台に横たわりながら、薄暗く高い天井を見上げる。剥き出しになった岩盤から色とりどりの鉱物が煌いていた。

 夜空の星々のようだと思ったが、ここは空などあるはずのない地下だ。地上で見れたのならもっと美しく見えるのだろうかと思い、コレーは小さく頭を振った。

 ふと、扉が控えめに叩かれる。


「はい」


 寝台から起き上がり声を返すと、金で縁取られた扉が静かに開いた。


「──ハデス様」


 現れた人物を見て、コレーは一瞬息を飲む。

 そこに立っていたのは、彼の冥府王ハデスであった。

 艶やかな黒髪に黒い瞳。陰気にも見えるが、よくよく見ると整った顔立ち。飾りもなにもない黒衣にマント。唯一身につけている装飾品は、右手の人差し指に嵌っている指輪くらいのものだ。金の台座に赤黒く光る宝石。薄暗くてよくわからないが、たぶんあれは柘榴石だろう。

 地上の神々のような光り輝かんばかりのいでたちではないが、全能神ゼウスの兄だけあって、威厳と圧を肌がびりびりするほど感じる。

 ここへ来てからしばらく経つというのに未だに慣れない。悲しみにも似た色が滲む黒い瞳で見つめられると、身体中が痺れたように動けなくなるのだ。


「コレー、考えてはくれただろうか」


 静かに響く声が体を震わせる。コレーは服の胸元をきつく握り締めた。


「ハデス様、何度も申し上げているとおり、わたしは后にはなれません」


 震える声を懸命に押し出して、コレーは目を伏せた。ハデスの目に悲しみが増したが、コレーにそれを見る余裕はない。


「そなたは、愛の矢の戯言と思っているのだろうが、わたしは本気なのだ。強引に連れて来たことは詫びる。どうか――」

「そうではないのです、ハデス様」


 ハデスの言葉を遮るように、コレーは泣きそうになりながら首を強く振った。




 数か月前のことだ。

 シチリア島の穏やかな気候の中、母の元で健やかに育ったコレーは、突如、黒馬が引く黄金の馬車に連れ込まれ、冥界へと攫われた。

 エトナ山が噴火し地面に亀裂が入っているから、不用意に外へ出てはいけないと母デメテルに言われていた矢先。美しく咲く水仙に惹かれ、水辺へと手を差し伸べた瞬間の出来事であった。その水仙こそが冥府王の罠であったのだが、コレーが知る由もない。

 華やかな見目ばかりのオリュンポスの神々。その中で、生真面目で陰気と正反対の評価を受けているのが、全能神ゼウスの兄である冥府王ハデスである。

 ティターン大戦後、それぞれどこを治めるのか兄弟間で大揉めに揉めた。最終的にはくじ引きで決めたのだが、運悪く冥界を引き当てたのが長兄ハデスだ。

 光り輝く天界、雄大な海界。その美しい『生』から隔離された冥界。数多の神殿で祭られ、崇められるオリュンポスの神々の中で、唯一、神殿をひとつしか持たない異例の神。不吉の象徴、名を呼ぶことも憚れる無慈悲のもの、それが冥府王ハデスである。

 しかし生真面目な彼の神は、くじ引きという運任せの結果に異を唱えることもなく、粛々と冥界を治め死者たちを管理し続けてきた。

 そんな、浮いた話がほぼ皆無である冥府王に、愛の神(エーロース)の矢が当たってしまったのは不運だけで片付けられないだろう。

 愛の神の矢を受けたものは、いかなる神であろうと恋に落ちる。

 エトナ山噴火による亀裂を確認しに来たハデスは、そのとき、美しく無垢な乙女(コレー)に恋心を抱いたのであった。

 矢の力で増幅された恋心は、堅物を暴走させるにはおあつらえ向きだ。その衝動が、コレー誘拐という騒動を招いたのである。




 コレーが目を伏せたまま唇を噛み締めていると、扉を叩く音が聞こえた。はっと顔を上げれば、ハデスも扉を振り返っている。


「失礼いたします、ハデス様。客人がお見えです。謁見の間へおいでください」

「──わかった」


 部下の言葉に静かな声で応えたハデスは、再びコレーを見遣った。

 愁いを帯びた黒い瞳が、コレーの身体中を貫いていく。己を叱咤しなければ、あの瞳に引き寄せられてしまいそうだ。

 一瞬右手を上げかけたハデスは、しばし躊躇ったあと、振り切るように踵を返した。

 静かに扉が締められる。地下に響く足音が次第に小さくなっていった。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ