1 新しい人生の始まりに
1時間くらい前に4章のプロローグを更新しています。読んでいない人は、まずそちらからどうぞ。
私の名は……今はもう無い。
キンガリー伯爵の身体を乗っ取って以来、短期間でその身体を使い捨ててきたので、決まった名前は必要なかった。
私は悪徳な貴族や奴隷商を全て潰すと誓ったが、その潰してきた連中の全てに、乗っ取りを仕掛けた。
それは情報を得る為だ。
奪った身体に残る記憶から、連中の背後関係を知ることによって、効率的に敵を殲滅することができる。
ただ、結果として見たくもない記憶を沢山見ることになり、精神的に死にかけたが……。
レイチェルのような被害者視点の記憶も辛いが、加害者側からの視点もキツイものがある。
おのれ外道共! 何故私が、こんなものを見なきゃならん!
実際、人間の欲望と残虐性を延々と見せつけられれば、自分もそれに染まってしまうのではないかと思えて、本当に恐ろしかった。
しかも私はある時、思った。
思ってしまった──。
……ひょっとしてこれ、無駄なんじゃないかな……と。
私がいくら敵を潰しても、それらが完全に消えることはないのだ。
結局私の基準で見たら悪徳な連中でも、やっていることはこの国の社会の中では、合法な部分が多い。
だから根本的な問題の部分を解決しないと、永久に私が倒すべき連中はいなくならない。
そこで私はようやく冷静になった。
そしてこれは国のシステム自体を改善しなくちゃ、駄目なんじゃね?……と気付く。
そんな訳でやってきましたよ、王都──。
最悪の場合、王族に乗っ取りを仕掛けて権力を奪い、この国の法的な部分に大鉈を振るおうとは思ってはいるが、自分に国政なんてできるのか……?
責任が重すぎない?
──なので、まずは他の手段を考えた方がいいかな……と思う。
たぶん王族とか地位のある人間を、裏から操って傀儡にできるようなポジションになるのがベストだな。
それならば、私が全責任を背負う必要が無くなるので気楽だ。
あと、乗っ取りを繰り返すことには疲れたので、そろそろ1つの身体に落ち着きたい。
それに新しいことを始める為には、できるだけ過去が無い人間の方がいい。
実際、レイチェルの時のように、過去の人間関係が原因で人生が詰むような状況はできるだけ避けたいのだ。
だから誰にも知られていないような、無名な人間がいい。
そういう意味で今の身体は、貴族や奴隷商などの闇世界の住人と深い繋がりがあるおっさんなので、好ましくない。
あと、個人的な希望を言えば、できれば可愛い女の子がいいけど、そんな都合良く死にかけの娘がいるはずもなく……。
あれ?
なんだろう、この血痕。
結構な出血の跡が、路地裏へと続いている……。
私が血痕を辿って進むと、そこには壁に背を預けて座り込む、左の手首から先が無い女の子がいた。
この国では珍しい、黒い髪が目立つ娘だ。
今は髪もボサボサで服装も薄汚れているし、身体も痩せこけているが、ちゃんと食事を摂らせて身だしなみを整えてあげれば、かなり可愛いくなりそうな気がする。
だが、もう死にそうだ。
なんだこれ、運命か!?
まるで私に乗っ取ってください──と言わんばかりの状態だ。
い、いや、レイチェルの時とは違って、今の私には回復魔法も使える。
今度は助けられる──……と思ったが、この娘は栄養失調状態で体力が殆ど残っていないみたいだぞ……。
回復魔法は傷を癒やすけれど、同時に体力もそれなりに消耗する。
本来は長い時間をかけて回復するはずの傷を瞬時に癒やす所為で、どうしても身体に負担がかかってしまうのだ。
回復魔法を今この娘に使ったら、衰弱して死を早めるだけだな……。
どのみちこの出血量では、長くはもたないだろうから、魔法以外での治療も難しいだろうし……。
勿論、あらゆる手を尽くして治療すれば、数%くらいは助かる可能性があるかもしれないが……。
だがここは、無駄に死なせてしまう可能性の方が高いことを考えたら、私が乗っ取った方がいいだろう……。
いや、この娘にとっては、どのみち死ぬことになるのだから、良くはないのだろうが……。
私の身勝手に付き合わせることになってしまって、本当にごめんね……。
……さて、新しい身体と、アリゼという名を得た。
彼女の記憶もやっぱり酷い物で、特にその死因にもなった騎士については、いつか見つけ出して復讐してやろうと思う。
だがその前に、活動の足場を固める必要があるな。
この国自体に仕掛ける乗っ取りは、簡単には終わらない。
おそらく何年もの、長い時間がかかるだろう。
しかしそれまでに、このアリゼのような不幸な子供は生まれ続ける。
それを無視する訳にもいかない。
同時進行的に、救済の事業も行わなければならないのだ。
幸い今まで潰してきた連中から大金を巻き上げてあるので、資金には困らない。
まずは貧民街で炊き出しをやって……あとはキエルのように孤児院──いや、いっそ全寮制の学校でも作って、孤児達が将来社会に出て行きやすいような環境を整えてやろうか。
この国ではまだ公立の学校なんてものは無く、教育は貴族や金持ちが独占していて、それぞれが家庭教師などで自らの後継者に施している程度だ。
だから学校を作る為には、国の許可とかは必要ないはずだが……。
精々、孤児院を設立する時に、行政への申請が必要なくらいか。
まあ、何かしらの横やりが入るようなら、いくつか貴族の弱みを握っているので、そいつらの権力を利用させてもらおう。
裏社会との繋がりがあっても、抹殺するほどではないので見逃してやった者もそれなりにいるからね……。
たとえば、今キエル達がいるガーランド領の現領主は、本来なら領主にはなれないはずだったが、私が前領主の身体を乗っ取り、更に典型的な駄目息子の長男も始末したので、次男坊の彼が領主になることができた。
彼は野心家でははあるが、領民のことは考えていたので、前領主の身体を捨てる前に後任に指名するなど、色々と手助けをしてやったのだ。
その恩が有るので、私の言うことならある程度は聞いてくれるだろう。
特にキエルの孤児院に対しては、最大限の配慮をするように厳命してあるが、それはいまだに守られているようだから信用はできる。
なお、彼には私の能力について多少は知られているが、他言すれば命は無い──と、脅してあるので大丈夫だろう。
この新しい身体で会いに行ったら、どんな反応をするのだろうかね?
とにかく、校舎と寮を建てたり、孤児を集めたり、他にも色々とやることはあるぞぉ!
……そして新たな目的に向かって邁進していた私だったけど、既に動き出している孤児院兼学院の開設はともかく、国への乗っ取りに関しては、中断せざるを得ない事態が生じた。
……久しぶりの女の子の身体なので失念していたが、この身体になってから3ヶ月ほど経過してから、ふと気付く。
あれ……生理が来てないな?──と。
この身体に残っている記憶によれば、初潮はとっくに終わっている。
なのに生理がこない。
しかもこの娘は、かつて男に身体を売って日銭を稼いでいた。
勿論、避妊具なんてモノは無い。
そういえば最近、お腹が膨れてきているような……?
それに味の好みも、変わってきてないか……?
……もしかして、この身体を手に入れた直後に吐いたのは、悪阻の所為……?
……妊娠検査薬なんて無いし、お腹を開いて「中に誰もいませんよ?」なんて確認する訳にもいかないので確定ではないが……私、妊娠している?
あ、そういえば私、超音波でエコー検査ができるんだっけ。
……どれどれ……?
…………うん、なるほど……。
…………お腹の中にいるわ、赤ちゃん。
あの栄養失調状態で、よく流産しなかったな……って──、
ええええええええええええええええええええええええーっ!?
あばばばばばばばばばばばばばばばばばばばばばばばばばばばばばーっ!?
私、精神的にはまだ処女なのにぃ!?
私がママになるんだよぉ!?
この展開を予想できた人はあまりいないかも。そしてこれがキエル達に再会する為に、10年以上もかかった要因の1つです。