1 永い別れ
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私──アリゼは、この70年ほどで老いというものを感じたことがない。
だけど私が座っている椅子の前──そこにあるベッドで横たわるクラリスは、老婆の姿になっていた。
一応アンチエイジングのマッサージなどを施し、100才近い年齢だと聞けば驚く人もいるくらい若々しい外見を維持しているが、それでも見た目は70才以上の老人であり、寿命も残り少ないという現実は変わらない。
仕方が無いこととはいえ、時間の流れは残酷だ。
この70年間で、キエルとマルガ、クリス、エリ、アイリス、シシルナ、カナウ、キャスカ、リチア、コロロ……その他にも多くの隣人が亡くなっている。
これは自然の摂理で、どうしようもないことだ。
だけどクラリスの順番がついにきた──そんな現実を突きつけられた時、私は受け止めきれなくなった。
私はもう、大好きな人達に置いていかれるのは嫌だったのだ。
「……なによ、アリゼ。
そんな情けない顔をして……」
「クラリス……でも私は……」
弱々しくも気丈に振る舞おうとするクラリスの顔を見ただけで、私はもう泣きそうだった。
クラリスは数ヶ月前から寝たきりになり、何をするにも介護が必要になった。
浄化魔法のおかげで、排泄物の処理や身体の汚れを落とすことは簡単だったけれど、介護自体は本当に大変だ。
生活が介護中心になり、手伝ってくれる者がいなければ、外出することもままならなくなるほど自由な時間がなくなる。
それにクラリスは、意識を失うようなことも増えた。
末期の癌患者のように、医療用の麻薬を使った訳ではない。
それはごく自然に、穏やかに寿命が尽きようとしているからこその状態なのだろう。
もしかしたら人生の最後としてこれは、幸せな方なのかもしれない。
だけど私は、次にクラリスが意識を失ったら終わりかもしれない──そう思うと恐ろしかった。
最愛の人がいなくなる──それが怖くて怖くて仕方がないのだ。
だから彼女の傍から、離れられない。
「ねえ……アリゼ……。
昔約束したわよね……『もしもの時は、私の身体はあなたにあげる』って……。
もうそろそろ、いいんじゃないかしら……」
「クラリス……!」
私の「魂の融合」を使えば、クラリスの死後に再び命を与えることはできる。
彼女の存在を完全に失わないようにする為には、やらないという選択肢はなかった。
ただしクラリスを復活させることができるとしても、それは私の分身として──娘としてである。
今までのクラリスとは、必ずしも同一の存在ではないのだ。
やはり今の彼女とは、永遠に別れることになる。
それにその手段を使う為には、私自身がクラリスの命を奪う必要があった。
最愛の人を自らの手で、殺めなければならない……。
「泣かないでよ……アリゼ」
私はいつの間にか、嗚咽を漏らしていた。
自身の能力が、こんなに呪わしいと思ったことはない。
だけど同時に、クラリスとこれからも一緒に生き続ける為には、必要な能力だ。
「ねえ……アリゼ……。
私はこれからも、あなたと一緒に生きていきたいわ。
でも次の私は、あなたの娘になってしまうのよね……。
仕方がないから、これからの浮気は許してあげる。
だから今は、私の我が儘を聞いてちょうだい……。
私は誇り高き女王だったのよ?
いつまでも寝たきりのままなんて、嫌だわ……」
……今日のクラリスはよく喋る。
いつもはもっと憔悴していて、言葉も少ない。
だけどそれは、身体の調子がいいのではなく、残り少ない力を振り絞っているのだと思う。
彼女が放つオーラの弱々しさが、それを物語っている。
回復の見込みがないまま、数ヶ月も寝たきりの状態が続くのは、心身共に苦痛だろう。
もしかしたら安楽死させてあげるのが、情けなのかもしれない。
その踏ん切りを付けられない私の背中を、クラリスは押そうとしてくれているのだろうか……。
「分かりました……分かりましたよぅ……!」
「お願いね、アリゼ……」
クラリスが微笑む。
年老いて、枯れかけていてもなお、私の最愛の人は美しい。
「綺麗ですよ、クラリス……」
「……あなたほどじゃないわ」
そう答えるクラリスの唇に、私は口づけする。
そこから送り込んだのは、強力な麻酔薬──実質毒だ。
これによってクラリスは深い眠りにつき、やがて心臓なども働きを止める。
「おやすみなさい、クラリス」
「ええ……暫く休むわ……。
寂しくなったら……私を呼んでね?
「……はい」
きっといつか、クラリスを復活させる。
「大……好きよ……アリ……ゼ……」
「はい、私もですよ……クラリス」
そんな私の言葉が聞こえたかどうか……。
クラリスは静かに目を閉じた。
もうクラリスとしては、2度とその目を開くことはない。
視界が暗転し、私はベッドから起き上がる。
手を見ると、皺の1つも無い。
私のあり余る寿命によって、年老いていたクラリスの身体も、全盛期まで若返ったようだ。
「……っ!」
手を見ていた視界がぼやける。
涙が止めどもなく溢れてきた。
クラリスの気持ちは理解しているつもりだった。
だけど魂を融合させ、手に入れた彼女の記憶から伝わってくる想いは、想像以上に深い私への愛だ。
私はこの愛に見合うものを、返せていたのだろうか?
そして身体が衰えていくことへの、もどかしさと恐怖──。
私が思っていた以上に、クラリスはそれに耐えていた。
私はクラリスに対して、もっと何かをしてあげることができなかったのだろうか?
そんな後悔が襲ってくるが、今となってはもう全てが遅い。
いつかクラリスが復活するその日まで、彼女に対して私にできることは何も無い。
クラリスの魂は私の中にあるはずなのに、喪失感ばかりが大きくなっていく。
「クラリスぅ……クラリスぅぅ……っ!!」
私はクラリスの名を繰り返し呼びながら、泣き続けた。
そして私は、泣きながらもあることを誓う。
「私……2度と『乗っ取り』は使わない……っ!!」
このクラリスの身体は、決して捨てない……っ!!
アリゼの姿にも戻らない。
この命のが終わるその時まで、ずっと一緒だよ、クラリス……っ!!




