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 この日は朝から風が強く、キリネはしかめっ面で空を見上げながら、午後から天候は荒れるだろうと言っていた。

 彼女のこういった勘は、当たることが多い。

 それを知っていたので、今日は朝の洗濯物は建物の中に干して、早めに買い物に行くことにした。

 普段なら買い物は、雑用係のルースがすべてやってくれている。でも、今日の外出には特別な目的があった。

(アリスを少し、連れ出してあげよう)

 そう思っていたサーラは、キリネにそれを告げて許可を取る。それから最年長のアリスという少女を呼び出し、買い物を手伝ってほしいと告げた。

 今いる子どもたちの中で最年長なのが、十二歳のアリスだ。

 彼女は普段から、他の子どもたちの面倒をよく見てくれていた。

 そんなアリスも、姉くらいの年齢であるサーラとふたりきりになると、少し甘えん坊の普通の少女のようになる。

 サーラが手伝いの修道女であることも、その理由のひとつだろう。

 最年長として頼りにされていることをしっかりとわかっているからこそ、キリネやこの孤児院出身の修道女には、甘えられないのだ。

 だからサーラはたまにアリスを連れ出して、ちょっとした買い物をすることにしていた。

 アリスが無理をしていたことに、まったく気が付かなかった。

 キリネはそう言って悔やんでいたが、アリスはそれを巧みに隠していた。サーラがそれに気が付いたのは、自分も同じような立場だったからだ。

 幼い頃から子どもでいることを許されずに、公爵家の娘として、王太子の婚約者としてふるまうことを強いられてきた。それを理不尽だと思うこともなかった。

 アリスと自分とでは、立場も状況も違う。

 でも、せめてアリスには子どもらしい時間を持ってほしいと願っていた。それに買い物の手伝いならば、アリスも罪悪感を持たずに出かけられるだろう。

 寒くないように外套を着せ、はぐれないように手を繋いで町に向かおうとしたところで、キリネに呼び止められた。

「天気が悪くなる前に、帰ってくるんだよ。何だか荒れそうだからね」

 空を見上げて心配そうに言った彼女に、しっかりと頷く。

「はい。行ってきます」

 並んで商店街までの道を歩き出す。

 アリスはサーラの手をぎゅっと握って、嬉しそうだ。

「サーラさん、今日は何を買うの?」

 そう尋ねるアリスの声は弾んでいる。

 今のアリスは、子どもたちをまとめるリーダーとしての役目から解放されているのだ。

 その明るい声を聞いて、やはり連れ出して正解だったと思う。

 読み書きを教えているせいで、最初は子どもたちにもサーラ先生と呼ばれていたが、先生なんて言われるような立場ではない。年も近いことだし、そのほうが親しみやすいだろうからと、そう呼んでもらうことにしたのだ。

「モーリーの誕生日が近いからね。クッキーの材料を買いに行くのよ」

 孤児院では、子どもたちの誕生日にはみんなでクッキーを焼くという習慣があった。

 本当ならクリームたっぷりのケーキでお祝いしてあげたいところだが、孤児院はさほど裕福ではない。せめてのお祝いであるクッキーも市販のものではなく、みんなで手作りをする。

 ただ豪華なプレゼントだけ贈られて、おめでとうの言葉もなかったサーラの子どもの頃より、ずっと楽しくて思い出に残る日になりそうだ。それに、普段からあまり甘いものを食べることがない子どもたちは、それぞれの誕生日をとても楽しみにしていた。

 アリスも、買い物がモーリーの誕生日のためだと知って目を輝かせている。

「モーリーは、甘いジャムが好きなの」

「ええ、知っているわ。だからジャムクッキーを作りましょうね」

 そう言って頷いてみせるが、サーラよりもアリスのほうがクッキー作りはずっと手慣れている。出発前にキリネに、何が必要なのかをしっかりと確認してから、商店街に急いだ。

 孤児院は、町はずれに建てられている。

 だから町の中心に行くには、小川沿いの道を二十分ほど歩かなければならない。

 あまり大きな道ではないから整備もされておらず、石が点在して歩きにくい。ところどころ、大きな木の根が歩道にも浸食していて、気を付けなければ足を取られてしまいそうだ。

 整備されていない道を歩きなれていないサーラのほうが、足が遅い。アリスは楽しい買い物に駆け出しそうになるのを堪えて、サーラのためにゆっくりと歩いてくれる。

(本当に、優しい子……)

 自分は同じような年の頃、こんなに気遣いができていただろうか。思い出してみると、自分のことだけで精一杯だった気がする。

 こんなに優しい子には、しあわせになってほしいと、心からそう願う。

 ゆっくりと歩いたせいで少し時間が掛かってしまったが、ふたりはようやく商店街に辿り着いた。

 小さい町なので店もそんなに多くはなく、旅人もほとんどいない。そんな中、サーラはアリスに確認しながら、ひとつずつ買い物をすませていく。

 アリスはずっと楽しそうにしていたが、町にひとつしかない小さな宿屋の前に辿り着くと、ふと表情を固くして足を止めた。

「アリス?」

「この宿屋に人が泊まっているときは、前を通ってはだめ。そう言われているの」

「え?」

 言われてみれば、いつもは静まり返っている宿屋が、今日は騒がしい。アリスの言うように、宿泊客がいるのだろう。

「それは、誰から?」

 院長か、キリネだろうか。

 その理由は何だろう。

 不思議に思ってそう尋ねると、アリスは首を振る。

「ううん。ルースさんだよ」

「ルースさん?」

 意外な名前を聞いて、思わず問い返す。

「うん。普通の旅人なら、こんな小さな町に立ち寄らずに、隣の町にいくはずだって」

 隣の町は、サーラのいた修道院がある場所だ。

 たしかに街道はきちんと整備されているし、乗合馬車も走っている。普通の旅人なら、向こうの町に泊まるはずだというのは、正しいのかもしれない。

(でも、普通にこの町に用事がある人だっているはずよね?)

 どうしてそんなふうに言い切るのだろう。

 首を傾げたサーラに、アリスは声を潜める。

「昔、この宿に泊まった旅人に、孤児院の子どもが攫われたらしいの。だから、気を付けなさいって」

「あ……」

 ここは王都とは違い、そんな事件も起こりえる場所だったと思い出す。子どもたちの安全を第一に考えるのならば、彼の言う通り、用心するに越したことはない。

「そうね。向こうから行きましょう」

 サーラはアリスの手をぎゅっと握ると、来た道を戻り始めた。

 少し用心して歩いたが、こちらに注目している者はいない。ほっと胸を撫でおろして、次の目的地に急いだ。


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