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「サーラ?」
ルーフェスは窓辺に置かれた椅子に座り、静かに読書していたらしい。
定住許可証は、ひと月が経過した今もまだ、発行してもらうことができずにいた。
でも役場によると、男性はそれくらいかかるのが普通のようだ。女性よりも犯罪に手を染めている可能性が高く、その辺りを軽く調査をするらしい。ルーフェスの手続きに時間が掛かっているというよりは、順番待ちをしている人が、それだけ多いということのようだ。
仕事もできずに手持ち無沙汰の様子だったが、ここ最近は図書館に通い、共和国の歴史や法律などの本を読んでいた。
今日も図書館から借りてきた本を読み耽っていたらしいルーフェスは、部屋に飛び込んできたサーラの剣幕に驚き、本を閉じて立ち上がった。
「どうした? 何かあったのか?」
「あの、これを」
詳細を説明する余裕もなく、サーラはカーティスからの手紙を差し出す。
「手紙?」
サーラに渡された手紙を、不思議そうにしながらもルーフェスは広げている。
そこに書かれた内容は、間違いなく衝撃を与える。
サーラは両手をきつく握りしめて、彼を見つめた。
(ルーフェス……)
最初は、彼には知らせない方がよいかもしれないと思った。
ルーフェスはまだ、妹の死から立ち直っていない。
それなのに、最愛の妹が本当は殺されたのだと知ったら、どれだけつらい思いをするだろう。
でも彼は、妹を死なせてしまった罪悪感をずっと抱えている。
その死因が過労による病ではないのであれば、ルーフェスのせいではない。それだけは、知ってほしい。
「……何てことだ」
手紙が、はらりと床に落ちた。
ルーフェスは片手で顔を覆い、もう片方の手は、残酷な真実に耐えるように、きつく握りしめられていた。
「皇太子妃……。まさか、あのマドリアナが」
ルーフェスの妹エリーレが、仲良くなったと嬉しそうに話していた、皇太子のもうひとりの婚約者。
ピエスト侯爵家の娘マドリアナが、エリーレを殺した。
そのまま崩れ落ちそうなルーフェスに抱きつき、サーラは全身で彼を支えた。
「……帝国に、行かなくては」
縋るように自分の手を握っている彼の言葉に、サーラも頷く。
「わたしも一緒に行くわ」
ルーフェスがサーラを自由にしてくれたように、今度は彼を支えたいと、強く思う。
サーラはすぐに行動を開始した。
まずパン屋の店主に、少し国を離れなければならない事情ができたことを告げる。
もともとサーラが働いていたパン屋は、店主が出産と育児のため、しばらく休むことになっていたから、迷惑をかけずに済んだ。
それから家を借りている家主のところに行って、長期間留守にすることを告げ、家賃を半年ほど前払いで支払った。
それからカーティスに、手紙の返事を出す。
ほとんど同時になってしまうかもしれないが、こちらがソリーア帝国に辿り着く、数日前には届くはずだ。
(あとは、馬車の手配と、旅の準備ね)
帰りに商店街に寄って、水や食料などの必要なものを買い込んだ。
馬車は乗り合い馬車にしようと思っていたが、今の彼の状態では、大勢の中に押し込められるのはつらいかもしれない。
そう考えて、貸し切り馬車を手配する。初めてのことで戸惑うこともあったけれど、ルーフェスがずっとしてくれていたことを、傍で見ていたので、何とかすることができた。
それから急いで家に戻った。
ルーフェスは、リビングのソファーに座り込んだままだった。彼の受けた衝撃の大きさを思うと、サーラも泣いてしまいそうになる。
(だめよ。今度はわたしがしっかりしなくては。ルーフェスを、帝国に連れていくの)
出発は、明日の朝だ。
旅支度を整えて、荷物もすべてリビングに運び込む。これで、明日の朝になったらすぐに出発することができる。
「ルーフェス」
彼の前に跪き、覗き込むようにして、その顔を見上げた。
「馬車の手配をしたわ。出発は明日の朝よ。今日はゆっくりと休んで、明日に備えましょう」
「サーラ」
ルーフェスはその声に我に返ったように、サーラを見つめた。
「……すまない。何もかも、君にさせてしまった」
「いいの」
サーラは笑顔でそう言った。
「あなたがわたしにやってくれたことを、そのまま返しているだけよ」
どちらからともなく手を伸ばして、しっかりと握り合う。
祖国に帰ったルーフェスに待っているのは、さらに残酷な現実だろう。
でも、どんなときでもこうして彼を支える。サーラは、ひそかにそう誓っていた。
翌日。
サーラはルーフェスとともに、ようやく辿り着いた安住の地を出発した。
まさか、こんなにすぐに他の国に行くことになるとは思わなかったが、ルーフェスのためだ。
ソリーア帝国には海がないので、陸路で行くことになる。
それでもこのティダ共和国とは隣国なので、リナン王国からここまで来た道のりの半分ほどだ。
サーラは、いつにも増して口数の少ないルーフェスの様子を気遣いながら、馬車の中でソリーア帝国までの道のりと、日程を何度も確認していた。
旅は順調で、馬車は日が暮れる前に、今日の目的地だった大きな町に辿り着くことができた。
今夜はこの町に泊まり、大きな河を渡し船で移動して、また次の町を目指すことになっている。
宿に入って一息つく頃には、ルーフェスもだいぶ落ち着きを取り戻していた。
サーラが夕食の準備をしている間、彼は、カーティスの手紙をもう一度じっくりと読み直していた。
「レナート皇太子殿下が、皇帝に……」
かつて妹の婚約者として、皇太子とは近しい存在であったルーフェスは、彼が父である皇帝を廃してまで皇位に就いたことに、疑問を抱いたようだ。
「帝国に入る前に、少しその辺りを探ったほうがいいかもしれない」
瞳を細めてそう言うルーフェスは、すっかりいつもの彼に戻ったように見える。
(でも……)
表面上は普通に見えるのに、サーラには、彼が様々な感情を必死に押し込めているのがわかってしまう。
(わたしにできることなんて、ほとんどないけれど。でも、こうして寄り添うことはできるから)
そんな想いを込めて、静かに彼に寄り添った。




