16
日が落ちた森は、完全に暗闇に閉ざされていた。月も星も見えないのは、生い茂った木々が空を覆っているからだろう。
唯一の灯りは、目の前にある薪の炎だけ。
サーラは、地面に敷いた毛布の上に横たわりながら、ぼんやりとその炎を見つめていた。
ときどき強い風が吹いて、炎が揺れる。
ルースはそのたびに、火が消えないように薪を足したり、位置を調整したりしている。
(まるで、わたしみたい……)
その炎を見つめながら、ふとそんなことを考える。
少しの風で簡単に消えてしまいそうなのに、彼がこうして手を掛けてくれたので、今もこうして燃えることができる。
生きていくことができるのだ。
さきほどの、彼の言葉を思い出す。
彼は妹の死に関して、何か深い後悔を抱えている様子だった。
自分を許せないと思うほどの悔恨。
いつも悲しげな瞳をしていた理由が、少しだけわかったような気がした。
「眠れないか?」
ぼんやりとそんなことを考えていると、ルースが声を掛けてきた。
「……何だか目が冴えてしまって」
疲れているはずなのに眠れなくて、サーラは頷く。
「野営なんて初めてだろう。当然だ。眠れなくても、目を閉じて身体を休めた方がいい」
「ええ」
素直に頷いて、目を閉じる。
ルースはちゃんと休めるだろうかと気になったが、むしろこれから足手まといにならないように、しっかりと体力を回復させるべきだ。
どこからか、鳥の声がした。
まるで仲間を呼んでいるかのような、切ない鳴き声だ。それを聞いているうちに、いつのまにか意識が薄れていた。
目が覚めると、辺りはほんのりと明るくなっている。まだ太陽は顔を出したばかりのようで、白い光が木々の間から漏れていた。
「起きたようだな」
声を掛けられて振り返ると、火の始末を終えたルースがサーラを見つめていた。
「人通りが多くなる前に、港町に辿り着きたい。すぐに出発しようと思うが、大丈夫か?」
「はい、大丈夫です」
サーラは頷くと、服装を整えて毛布を鞄にしまう。
パンはもうないので、水でのどを潤し、港町に向かう。歩き続けた足は痛んだが、立ち止まるわけにはいかない。
昨日は野営のために森に入ったようで、すぐに街道に戻った。石だらけの道から歩きやすい道になって、随分と楽になる。
ルースは周囲を警戒しながら、慣れた様子で先を進む。
最初に彼を見たときはひどく痩せていて、雑用係には見えないと思っていたのに、やはりサーラとは体力が桁違いのようだ。
しかも朝食を食べていないので、少し身体がふらふらする。
普段からあまり食べない方だが、それでも食事というものは思っていた以上に大切なものだと思い知る。
(きちんと毎日食事ができるって、とてもしあわせなことだったのね)
修道院で暮らしていたときでさえ、当たり前すぎて気が付かなかった。修道女でありながら日々の生活に感謝していなかったなど、あってはならないことだというのに。
自覚していなかっただけで、まだ貴族であることが抜け切れていなかった。修道女になった、もう公爵家とは関係ないと思いながらも、与えられた環境に甘えていたのだ。
これからは、食べるものにも困ることがあるかもしれない。厳しい生活になるだろうが、それでも自分自身の力で生きていかなくては。
父から逃げ出しただけで、何かを成し遂げたような気持ちになっていた。でも、その父の保護下から抜け出しても、きちんと生きていけるようにならなければ。
そう決意しながら、ひたすら歩く。
歩くたびに足に痛みが走るが、この痛みさえも、新しい自分に生まれる変わるために必要なものに思えた。
そうして歩いているうちに、街道にもまばらに人の姿が見られるようになってきた。荷物をたくさん抱えた行商人や、その護衛らしき者。近くの村から野菜や果物を売りに来た人たち。
サーラもルースとともに、彼らに交じって港町を目指した。
港町は人が多くて危険ではないかと思っていたが、たしかにこうして人の中に紛れると、かえって安心なのかもしれない。港町は王都と違って人の出入りが多く、よほどあやしい者ではない限り、規制もないらしい。
そうしてようやくサーラは、目的地である港町に辿り着くことができた。
まずは朝食を、ということで、朝早くから開いている市場に向かう。大通りの両側にはさまざまな屋台があって、おいしそうな匂いがしていた。
どれもサーラにとっては珍しいものばかりだったが、観光ではないのだから浮かれているわけにはいかない。
パンと果物を買うと、市場のすぐ近くにある公園のような場所で食べることにした。以前と比べると随分シンプルなものだが、歩き回ったあとの食事は本当においしかった。
「昨日はほとんど眠っていなかっただろう。今日は宿に泊まって休息しよう」
「宿に? でもわたし、ほとんどお金が……」
公爵家からは宝石ひとつ持ち出さなかったので、わずかなお金しか持っていない。朝食だってルースに買ってもらったほどだ。
「そこは心配するな。ひとりで暮らせるようになるまで、面倒を見ると言ったはずだ」
さすがに、そこまで面倒を見てもらうのは心苦しい。でも、今は彼に頼るしか方法がなかった。
「……ごめんなさい」
「謝る必要などない。ただの自己満足だ」
そう言ってルースは、自嘲気味に笑う。その横顔に、サーラは頭を下げた。
「そうだとしても、わたしが助けられているのは事実だもの。本当に、ありがとうございます」
ルースはそんなサーラを見て驚いた様子だったが、わずかに表情を緩めて、微笑んだ。
「そうか。それなら、よかった」
サーラは思わず息を呑む。
いつも無愛想で悲しげな表情ばかりだった彼の、自然な笑顔を見たのは初めてだった。
それを見た瞬間、胸の奥がずきりと痛んだような気がして、思わず胸を両手で押さえる。
過去に何があったのかわからないけれど、きっと彼だって、昔はこうして普通に笑っていたのだろう。
サーラは無意識に手を組んで、祈りを捧げていた。
何の見返りもなく自分を助けてくれるこの優しい人が、また笑えるようになりますように。