第2話
いつも通り。オレはパソコンを起動し、趣味でやっているブログを立ち上げた。
周囲には読破した本が数十冊も積み上がっていて、幾つかのタワーを形成している。
部屋には当然ながら四方を本棚がぐるりと囲っていて、オレにとっては嬉しい四面楚歌の様相を呈していた。
ブログを立ち上げたオレはいつものように今日読んだ本の感想を書き込んでいく。
月に百冊以上、年間では千冊をゆうに越える数の本を読むオレにとって、そのブログは自分用のデータベースのようなものであったが、それでも訪問者数はそれなりの数に達していて、感想を更新した直後に幾つかのコメントが付いた。
そんなコメントを幾つか眺めながら、次はどの本を読もうかと、食指を伸ばしている最中の事だった。
ブログに一通のメールが届いている事に気付く。
「何だ、これは」
オレは何の気無しにメールを確認してみる。
ブログにメールが届くのは大して珍しい事ではない。
お勧めのライトノベルを教えてくれ、だの感想の欲しい本の紹介だのがその大半だ。
時折企業からもメールを受け取る事があるが、それは大抵アンケート願いが殆ど。
しかし、今回のメールはそのどれにも該当するものではなかった。
『件名:良ければ』とだけ記載されたメールとテキストファイルが一つ添付されている。
ウィルスの類に注意しつつテキストファイルを開くと、そこには見慣れた文字の羅列。
「ラノベ、か」
それはどうやら書き上げたライトノベルの原稿のようであった。
メールの感じから相手が企業と言う事は有り得ないだろう。
となればこれは個人、つまり相手はワナビ(ライトノベル作家志望者の俗称)か。
要するにメールの送信者はオレに書き上げた原稿を読んで、感想を欲しい訳だ。
以前にもこう言う事が無い訳でもなかった。
とは言え大抵は欠陥だらけの、まず新人賞などには受からない程度のものであったが。
そういう場合はその欠陥を指摘した上で、良い所もまた教え、『デビュー出来る事、影ながら応援させて戴きます』と返す。
将来、ライトノベル業界を支えるかも知れない人材だ。
敬意を表する事もまた、当然である。
しかしながら、これは……、オレは首を捻った。
件名の内容も雑だし、本文は無しと来たものだ。
本当に読んで欲しいのか疑わしいくらいの失礼さである。
「これで面白くなかったら、さすがに文句を言ってやるか」
当然ながらに出来得る限り的確な指摘をした上で応援しているという旨は付け加えるが。
それはラノベファンにとって当然の義務だ。
オレはそんなモチベーションの中、ラノベの冒頭に目を滑らせた。
――――三十分後。
「……素晴らしい」
感慨と共に思わず息を漏らしてしまう。
その原稿の内容は幾千を越えるライトノベルを読破したオレにすら味わった事の無い快感とカタルシスを与え、そして間違いなくオレが伝説と崇める幾つかの名作と並ぶであろう出来栄えであった。
しかしながら……、オレは声を大にして叫びたい。
「冒頭部分しかねぇじゃねえか!」
その原稿はラノベで言えば第一章か精々でも第二章部分しか用意されておらず、続きが何処を探しても記載されていなかった。
その余りの絶望に現実を直視出来ず三回程、原稿を読み返したくらいだ。
なにこれ、企業の巧妙な宣伝かよ! それならこの宣伝は成功だよ!
いいや、押す(ポチる)ね!
しかしながら、ラノベの冒頭をコピペしつつ検索に載せようとも、展開からそのライトノベルを探そうとも、販売しているライトノベルに該当する作品は見つからなかった。
そもそもオレがあらすじすら目を通していないラノベなんてそう多くは無い上に、これだけの冒頭であれば話題性を以ってネットでの騒ぎを引き起こしていてもおかしくはない。
つうか、これだけの実力があってデビューしていないってのがおかしい!
添付されていたテキストファイルの最後には『志木屋 永世』と記載されていた。
恐らくはこれがペンネームだろう。何だよこれ、昭和の文豪みたいな名前しやがって格好良いじゃねぇか。
続きを読みたい、という衝動が爆発寸前となった頃。
オレはほぼ無意識でメールに返信していた。
出来得る限り丁寧な文体で賞賛を籠めた後に「続きを読ませて下さい! お願いします!」とこれまた慇懃な文体に載せて送信しておいた。
数分後、返ってきたメールには次のように記載されていた。
『君はライトノベルが好きなようだが、どうやら私の書いた本を気に入ってくれたらしい。この続きを読んでみたいか』
どうも回りくどい文章のように感じるが……、作品が面白かった以上、こちらとしては素直にならざるを得ない。
「当然だ」とこれまた失礼の無いように返すと、待っていたかのようにすぐさま次のように返ってくる。
『それには困難な道となるかもしれないが、それでも良いか?』
この文章には些かの疑問が降って沸いた。
こいつは一体何を言っているのだろうか。もし「金を払え」と言われたらどうしようか。
だが、自身の欲望と衝動に逆らう事は出来ない。
法外な金額の請求でも呑めるのであれば俺は今、何でも従ってしまいそうですらある。
肯定の意を籠めた文章を送信した後、唐突にそれは訪れた。
あちらから返ってきた文章に記載されていたのは『招待』の二文字だった。
それ以外の言葉は記載されていない。
不可思議に思う中、ふと『招待』の文字が震えている事に気付く。
「……なんだこれ」
不安気な声を発した後、「ヤバそうだ」という予感は確信に変わった。
『招待』の文字の震えはその大きさを増していった後に、遂には分裂し始め、パソコンのデスクトップを真っ黒に覆い始める。
ウィルスの類!? と驚くのも束の間の事であった。
『招待』の文字はとうとうパソコンのデスクトップを飛び出し、周囲を囲んでいく。
その余りに唐突で信じられない光景に息を呑んだオレは気付けば気を失っていて――
そして気付けばオレは異世界へと『召喚』されていたのであった。