其の参 天羅・天照大御神
「ご到着ぅ。本日の長旅、誠にご苦労さまでした。皆様、お忘れ物のなさいませんようにご注意ください」
「キャビンアテンダントかな」
「キミはことの分別というものがつけられないのか?いまのはバスガイドのお姉さんだよ」
「わかるか!」
ヒメが、完全に風変わりした風景のど真ん中で、トボケたことを言う。
キャビンアテンダントとバスガイドのお姉さんは、服装が変わらない今、どこらへんを注視すれば見分けられるというのか。
乗り物が違うだけだとか言ってみたものなら、キャビンアテンダントを夢見る少女に怒られてしまいそうなものであるが___
でも確かに、バスガイドを目指す女の子というものは、面白いほどいないのである。
人間の性として、空という道に強いあこがれを抱くのは普通。人間の届かないのはきっと『上』か『下』のどちらかに限られるのだ。どこまでも続く果てしない『空』か、暗闇に閉ざされた永遠の最深部『海』。
どうでもいいことだが、バスガイドのお姉さんは、キャビンアテンダントへの夢を見る女性の原型なのだ。
昭和の時代___今から一七〇〇年後の時代には、『バスガール』は花形だった。
起源が一緒。つまり、”バスガイドのお姉さん”と”キャビンアテンダント”は親子然るべき!
言ってて虚しくなってきたよ。
とにかく、見分けはつかない、ということだよ。
俺の現実逃避は、始まっている。
「あの、お前来る場所間違えた?」
何もなさすぎる。
見渡す限りの原っぱ。原っぱと言うか、更地だ。
本当になにもない。
草の一本生えちゃいない。
かといって、砂漠とか言うわけでもなく、真っ平ら。
目の付く範囲には木とかもないし、『人工的』というには何もなさすぎる。
その様子を目視したヒメが、目を見開く。
「そもそも、どこ目指してきたのよ」
なにもない所に、こうして飛んできてしまった可能性もある。
ヒメの能力は必ずしも完全ではないかもだから。
「ボクの使いの者がちょくちょくここを訪れていた。ここの長とも面識があるんだ。間違えるはずがない」
慎重になりながら辺りを見回すヒメを、少し安心させようとする。
「いや、もう一回やりなおして___」
「間違うはずがない」
重みのある言葉だった。
痛々しい気持ちを精一杯含んだその台詞の意味が、やっと分かる。
否、わかっていた。もとから俺だって違和感だらけだった。
こんな平地が存在するわけもないし、生命の匂いがしない空間はひどく吐き気がする。
こんな悍ましい気分は初めてだ___いや、昨日体験している。背後に、”モノノ怪”が迫る気配。
それとまさに同じ空気が、いま漂っている。
異臭、ともつかぬその”ニオイ”が俺の脳内を侵食し、目眩を起こす。
ヒメは目を凝らし、鼻を利かせ、あたかも野生動物のように索敵を始めた。
戦いの火蓋は、突然落とされる。
「くっそ......」
「におう。ものすごくにおう___」
もちろんヒメも例外なくそのニオイを感知していた。
ひどくくらっとする俺とは違い、意識はしっかりとしているようだ。
「りょふ、身構えろ。いつどこから襲いかかるかわからない」
底冷えするようなヒメの言葉に背筋が凍る。
来る。来る。わかる、なんとなくだが、明らかにそこに”いる”。
目を凝らせ、神経を尖らせろ。
拳にぎゅっと力を入れ、腰を低くし、我流の構えをとった。
___ボクがキミを守る
そんな言葉がふと、走馬灯のように蘇る。
なんだよ、そうだったよ。
俺はしっかり、守られとけばいいじゃねえか。
情けなく、助けてもらえばいいじゃねえか。
そう思うと、身体の余分な力が抜け落ちた。
戦闘力の欠片もありやしないけれど、敵の場所を正確に伝えることはできるはずだ。
ヒメの死角を消す。それが俺自身が俺自身に課した仕事だった。
目になろう。鼻になろう。なんだったやってやる。
さあ、来やが___
「下だァッ!!」
刹那、地鳴りとともに”影”が姿を表す。
寸でのところで後ろに飛び退き回避___すぐさま体勢を___
「い、痛ッッッてぇぇぇぇぇ!!」
俺の最高速度の回避行動は虚しく、横腹を少し割かれた。
パーカーの体側部分が、紅く染まり始める。
なんとかその場に倒れることだけは免れた俺は、持ち合わせの知識で止血を試みる。
顧みてみると、俺の立っていた場所は、残骸一つ残さず消し去られていた。
その光景に、身の毛がよだつ。
「りょふっ___」
ヒメが血を流す俺を心配し、駆け寄ろうとする。
と、その時、
「ヒメェ!後ろだぁぁぁぁぁ!!」
「ッ__!」
その瞬間、ヒメの背後にあった”影”が、真紅に染まる。
ギリギリのところで、『目』の役割を果たせたようだった。
ヒメはこちらを向いたまま左手で背後の”影”を切り倒し___
「おっらァァァァ!!」
身体をくるりと旋回、今度は右足でふわりと浮いたそれを蹴り飛ばす。
「ゔぉゔぉゔぉおおゔぉ______」
声にならない呻き声をあげ、”影”が文字通り霧散する。
辺りは静寂に包まれる。気持ち悪いほどの静けさだ。
虫も鳥も人間も___存在しなければこんなにも静かな世界だったのだ。
生命を塵ほどにも感じないこの空間にいると、自然と寂寥の念がこみ上げる。
せわしく息を荒げているヒメは、やがてこちらを振り向き、
「大丈夫か?」
と笑った。
「ああ、ちょっと切っただけだ。切り傷だよこんなの。足手まといになるのは嫌だから、あまり気にしないでくれ___ったぁぁぁ......!」
無理して動こうとすると、傷口が開く感覚に襲われ、痛みに視界が眩む。
「あんま無理される方がかえって足手まといだ。ちょっと待て」
ヒメが俺に歩み寄り、患部に手をかざす。
「日の精霊よ、我に御加護を与え給え___太陽光の治癒」
静かな声で詠唱をすると、やがて赤い光がその手に宿る。
「治癒魔法か」と、もはや理解に白旗を上げた。いやとっくに諦めてたけれど。
「キミが苦しんでいるところを見たくない。うんざりだ......」
悲しそうにポツリと。
ぶるぶると顔を横にふって、
「まだ終わっていないよ。この集落を、今の一個体が消し去ることは困難なはずだ。キミも用心したまえ」
「確かに......はは、旅立ち早々これかよ」
沈んでいく痛みに内心驚きながらも、温かいヒメの手に、全身の力を抜く。
「痛くない、な」
本当に効くんだな。
傷口が完全にふさがったわけじゃないが、痛みはこれっぽっちもない。
試しに傷に触れると___
「あいたっ」
やっぱり痛い。
「なに馬鹿なことしてるんだ!」
とヒメ。
このまましばらく穏便な時間が続く___と思った。
が、現実はそう待ってくれない。
「伏せろッ!」
「ッッ!」
言われたとおりに、身体を地に這わせる。
俺の頭を、”斬撃”がかすめた。
髪の毛をかなり、持ってかれた。
もう少し遅かったら___
「立て、早く!」
ヒメが乱暴に俺を引き、高く跳躍___
刹那、地面が爆ぜる。
だが、跳ぶ際襟元を強く掴まれた俺は、動脈圧迫で少し意識を遠のかせる。
「......っ!」
それに動揺したヒメが、その手の力を緩めその瞬間、浮遊感に襲われた。
うわ、これやばいわ。
正面からぶち当たる空気が背中に回り、下向きの追い風となって推進力をつける。
「りょふゥゥッ!!」
頭上から降り注ぐ声に、意識をなんとか引き戻す。
風圧に押し殺されそうになりながら、なんとか目を開く。
手だ。差し出された手が、俺を掴まんと虚空を彷徨う。
「んっ......」
空中でもがき、なんとか手を掴むことに成功し、安堵___
その瞬間、とてつもない衝撃に見舞われた。
が、死んではいない。
クッションがあった。
「く、はっ___」
俺の下敷きとなったヒメが、苦しそうに咳き込んだ。
それだけでもだいぶすごい。地面にたどり着く寸でのところで俺に抱きつき、反転させて下に回った。
その上、衝撃緩和魔法かなんかを張ったのだろう。
その判断力は、並外れている。
ヒメが足を震わせながら立ち上がる。
恐怖ではなく、ただ単に痛みでだ。
と、俺は周りを見て絶句した。
「おいおい、嘘だろ。何が何でも多すぎだろ......」
一〇や二〇じゃすまない数の”モノノ怪”が、そこに点在していた。
ただそこに『いるだけ』なのに、足がすくんで動けない。
人型をしたそれや、ケモノを模ったようなそれ。
黒に包まれたそれらは、そこでゆらゆらと揺れていた。
ヒメは、というと。
「近づくな......りょふに近づくなぁ......穢れた手で、さわんじゃねぇぇぇ!!」
真紅の双眸を今度は『蒼』に染め。
静謐な、燻るような『怒り』をあらわにした表情で、睨みつけ、威嚇する。
まるで別人だった。第二の人格と呼ぶべきそれを、俺は凝視する。
それが合図となった。
黒の波が、一斉に近寄ってくる。
全く音を立てず、下手したら存在すら忘れてしまいそうなくらいな静かさで。
「来るぞっ!」
俺は、わかりきった事実を伝えることしかできなかった。
なんとも惨めな___
だがそれに、ヒメはコクリとうなずいて。
「【天羅・天照大御神】ッッッ!」
空間が、爆ぜた。