其の壱 平和への決意
お風呂場での会話のあと。
「おいりょふ、ボクなんだか頭がくらくらする」
「またまたぁ、ヒメはお酒に弱いんじゃないか?」
「今日は飲んでないんだ!」
「路上で止められたおっさんかな!」
本当はヒメが気分を悪くしている原因がしっかりとわかっていたけれど、俺は少し御託を並べる。
でも、彼女は意外にも的確な行動に出た。
「違うんだよ、本当なんだ!___ふわぁぁぁぁ」
完全に茹で上がってしまったヒメは、ふらふらとお風呂場から出てくる。
腕をだらしなくぶら下げ、ぺたぺたと歩いている彼女は、もちろん服を着ていない。
「の、のぼせたんだよな!悪かった!ちゃんと言えばよかった!そ、そこに服があるから、とりあえず着ろ!」
「い、言われなくても着ますぅ!」
裸体を見られたヒメと、見てしまった俺が、互いに膠着状態に入る。
昨日までの俺は、清純な男子だったのにな......
俺に背を向けせかせかと服を着る彼女からは、ほかほかと湯気が上がっていた。
やがて、着衣を終えたヒメが、こちらを向く。
「..................忘れて」
「お、おう」
ぼそっと一言。風呂上がりだからか、真っ赤な顔をしている。
全身を紅く火照らせた彼女が、まだ中学生くらいの女の子ながら、ちょっぴり色っぽく見えた。
俺が目のやり場に困っていると、
「......ぁぅ.........えっち」
「すまんかった。ちゃんと忘れるから___」
「べつに謝ってほしいわけじゃないの!ふんっだ」
「......えぇ?」
言葉選びにも困った。これが彼女の素なのである。
ときおり、こうゆう全く感情の読み取れない表情をするのだ。
これが「主人公鈍感系ラブコメ」とかだと、実は主人公に惚れているヒロインの心の内を、婉曲に表現しているシーンだ。
「もしかして、僕に惚れた?」
そんなことを考えていると、突如こんな言葉が口をついて出た。
何いってんだ、俺!バカかよ!?
積極的にもほどがあるだろ!
ラブコメだったら死亡フラグまっしぐらだ。
ヒメは目を○にした後、かぁぁぁと頬の温度を急上昇させ、
「ほ......ほほれ、惚れた、なんて......っ」
「そ、そんな深い意味は無いんだぞ!?」
両手で顔を覆い、完全にシャットアウトしている。
両者が混乱状態だと、会話が成立するはずもない。
「わた___ボクだって、一女の子として想いがあるわけで......」
「やめろぉ!告白してないのに振られるのはいやだぁ!墓穴ほったの僕だけどぉ!」
「き、キミに対しての想いは、まだ整理がつけられないというか___」
「わー、わー、わー、聞こえてません聞こえてませんー」
俺は両手で耳を塞ぎ、またまたシャットアウト。
俺たちは、背中合わせにその場にしゃがみこんでいる。
しばらくの沈黙の後。
「ぶっ」と、どちらからともなく吹き出した。
やがて、それは大きな笑いへと変わる。
平和な夜だった。殺伐とした昼を過ごした俺の心が、ヒメと話しているだけで癒やされていくのがわかった。
友達も家族も___多分今頃全滅だ。
だからなんだ。
終わったことは変わらない。
”悲しみ”という足枷は。”後悔”という障害は。
俺の足を進める上で、足手まといになりうる。
これから変えていけばいい。
過去は未来の土台である。
未来は過去の産物である。
俺は未来を変える。そのために、やってきたんだ。
そのために、ヒメの手を借りたい。
世界の崩壊を食い止めたい。
俺は身体をヒメに向け、
「これから、よろしくな」
らしくもない言葉が、音になって放たれる。
意表をつかれたとばかりに仰天した様子のヒメは、やがて「ふふっ」と笑って、
「なんだよ急に、キミらし___いな。キミはそうゆう人だったよ。だからキミを選んだんだ。真っ直ぐで純粋でかっこいい。か、かっこいいというのは、人として、だぞっ」
さすがに恥ずかしいので、
「最後のが台無しだったぞ」
と、おちょくり半分がっかり半分の台詞を口にする。
「そうかもな」とヒメは笑った。
少し照れた様子の彼女は、それはそれは普通の女の子だった。
神様でも女王でもない『普通の年頃女の子』という風な。
裸を見られて恥ずかしがって、恋愛事情で赤くなって。
すぅと、ヒメが正座のまま、美麗な動きでこちらへ向きを変える。
目を合わせるのに、苦戦しているようだった。
時にちらっと上目遣いになって、時に床へ視線を落とす。
いかにも告白されそうな雰囲気に、僕もどきまぎしてしまう。
決心つくまで一段落あってから。彼女はしっかりと、思いを口にした。
「こちらこそ、よろしくお願いします」
ここで終わればよかったのだが、現実は物語と違い、シーンが一日飛んだりしない。
無駄なイベントが、発生することもあるのだ。
___しばらく操作されなかったため録画を終了します。
お風呂場の方から、空気を読めない棒読みの機械音声が聞こえてきた。
しまっ___
「............ろくが?」
「いや違うんだこよれは___あはは、あははは」
「えっち」
ヒメは羞恥に顔を真っ赤にし、俺を見る。その表情からは___感情が伺えなかった。
強いて言うならば、羞恥と、あと戸惑い?
「......えっち!へんたい!すけべ!」
「ぎゃふん!」
「ろりこん!!」
「ひょへぇ!」
そんな言葉を並べながら、ヒメはポカスカとげんこつをぶつけてくる。ちっとも痛くないけれど、どちらかというと、美少女からの『ろりこん』が、弱点を衝く攻撃となって襲いかかる。
「今すぐ消します!消去しますー!!」
「そ、そうゆうことじゃない!そうゆうことがゆいたいんじゃないの!へんたい!」
「ぎょぇぇ!」
いちいち繰り出される僕への罵倒が、信憑性を付加されていて一層強い。
「消すからっ!だからスマホとってくるからっ!」
物理的攻撃をなんとか掻い潜り、急いでスマホをとりに立ち上がった俺の袖を引き、ヒメが恐るべきことを口にした。
「消しちゃだめぇぇぇぇぇ!!_________ぇ?」
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おっと、危ない。『これ消さなくて良いんじゃね?』とか思っちゃったぞ。
ともあれ、形勢逆転。反撃のチャンスだ。
「痴女だな」
「いやぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁんっ!!」
何故か終盤になって最強と化したヒーローに一撃でやられた可哀想な強敵のように。ヒメもまた『痴女』という最大の弱点をつかれて、喉を引き裂かんばかりの悲鳴とともに号泣する。
この後俺は、美少女の裸体が収められた世紀の大ファイルを、一度も見ることなく、泣く泣く消しました。