其の肆 俺たちはモノノ怪を倒したい
ゴクリ。”怪物”という言葉に、俺は思わず息を呑む。
「端的に言おう。アレは”モノノ怪”だ」
「!”モノノ怪”......」
物の怪とは元来、死霊や生霊のことを指す。
平安時代の文献からその多くをうかがえるが、どうやら『妖怪』や『变化』のことも示唆するようになっていったらしい。
日本独自の考えとも言えるが、共通する点は外国の”バケモノ”にも多く存在する。
いわゆる『都市伝説』だ。
「その”モノノ怪”が、俺らの世界を威すのには、なんか意味があんのか?」
「詳しいことはボクにもわからないんだよ。でも、誰かが記した”本”がどうやら元凶らしいんだ」
「本?」と俺。
「うん。それをつきとめるためにいろいろ時代を巡ってたんだけど、どうにも見つからなくてね」
がっくし、と可愛くうなだれている(と予想できる)ヒメ。
お風呂に入る女の子との、仕切り越しの会話が続いている。
「それでキミの時代にたどり着いたんだよ。何回か訪れて、怪しいなとは思い始めてたんだけど......最後ボクが訪れたときにはあの有様。どうやらボクの【八尺瓊・勾玉】の効力は、”モノノ怪”に劣るらしい」
「自分の特殊能力?に厨二くさい名前をつけないと痴がましさを我慢できない女の子なの?」
「どことなく『ちじょ』の気配っ!」
ヒメの口にする【天羅・天照大御神】や【八尺瓊・勾玉】という単語は、とっても気になるところでもある。
天照大御神から賜った三種の神器の使われ方って、存外かっこいいもんなのかも。
「でも、なんで『俺たちの時代だけが』”モノノ怪”に侵される事になったんだ?お前が時空換装するのに、”モノノ怪”もついてこれるってことか?」
ヒメは確か、『俺の生きた時代にたどり着いたらひどい有様になっていた』と言っていた。
つまり、それまでヒメが渡った数々の時代では、その姿は確認できなかった、というわけだ。
俺が生きている時代___つまり平成から令和___のうちに”モノノ怪”の発現が確認された、ということ?
「うーん、ボクも最初はそう思ったんだよね。というか、キミを連れてくるまでそう思ってた」
「連れてくるまで。つまり、未来にいるうちは、ということだな?」
「そうゆうこと」
ちゃぽん。と水が鳴る。
「でも」
「ボクが帰ってくると、この時代すら”モノノ怪”で溢れていたんだよ」
「なっ!?」
追い打ちをかけるように続ける。
「ボクは多少なら過去へも行ける。そこで、いろいろ時間を探ってみたんだよ。そしたら、今から三〇〇年〜十年前の間に、”モノノ怪”の発現が見られなかったんだ」
「じゅ、十年って!」
ってことは、まさにこの時代、”モノノ怪”が姿を現し始めたことになる。
「”モノノ怪”発現推定年代は、西暦一九〇年から二一〇年のおよそ二〇年間」
ごくり。だんだん俺が呼ばれた意味が理解でき始めて、緊張が高まる。
(二重の意味で)熱くなったヒメが、ザバーンと立ち上がった。
「場所は、ちゅうごく北部。後の『魏』だ」
およそ西暦二百年の今、中国は『三国時代』を迎えている。
各地の群雄が兵を挙げ、争い、功をあげ。
地位と名声、富を築かんとし、各々の掲げる『思想』へと、駒を進めていく。
武力、知力、統率力、人望。どれを欠いても英雄には成れず、弱ければ排除され、はたまた利用され。
そうして国家平定を目指していった時代、それが『三国時代』。
「おそらく場所に深い意味はない。たまたま『蜀』でも『呉』でもなく、『魏』だったんだよ。幸いにも、まだ暴れている輩も少ないし、被害も少ないみたいだ」
「へぇ、そこまでわかってるんだ。てっきり僕は『何もわからないけどごめんね』みたいなテンションかと思ったよ」
すんなりとしたシナリオ展開だ。
ゲーム化する時が来たら、もうちょっとヒメに頑張りすぎないでもらおう。
現実では、もちろんこのほうが楽で良い。
「それで、俺は何をすればいいの?」
ボスみたいのがいて、それを倒す、とか。そもそも”モノノ怪”の発現を阻止する、とか。
なんらかの使徒として、呼ばれたのだろう。
だがしかしヒメは、俺の期待虚しく、最も大事なところを問う質問に(おそらく)堂々たる仁王立ちで。
「そんなのわからないさ!」
どどーん。
「........................」
「...........................」
「..............................使えなっ!!」
俺の声が、浴場全体に広がる。
「つ、使えないはないだろっ!」
キレた様子のヒメが、俺の服を掴む。
「いやこの調子で全部知ってんのかなーとか思ったら、一番知りたいとこ抜け落ちてて残念だなーて___うおっわぁぁ!戻れ!風呂に戻れぇ!」
「......へ?.........きゃぁっ!見るなぁぁぁぁ!」
両腕で胸を隠し、急ぎ足で逃げ帰るヒメ。
もちろん、石鹸で転ぶというお約束も忘れず、仕切りのすぐそこで「おぶっ」というなんとも間抜けなうめき声をあげる。
しばらくしてから、「こほん」という可愛い咳払いが聞こえる。
「......とまあ、そんな感じだ」
「おおよその背景は把握したよ......それで、単刀直入に聞くけれど、この後俺たちはどうすれば良いわけ?」
見通しがつかなきゃ話が始まらない。
レシピすらないのに、アマチュアがレストランで料理をしようとしているのと同じだ。
ヒメは「んん」と可愛く唸った後、
「とりあえず、発現地点であるちゅうごくへ行ってみたいと思うのだが___」
「まあ、そうなるよな。俺もそうするべきだと思う」
なるほど確かに、ヒメが事の元凶であるとする”本”を探し当てるより、現実として対処するのが無難なのである。
唯一、心配なことがあるとすれば、
「俺って、最強だったりする?」
「知らない」
「ですよねー」
あっさりと切り捨てられた。
そんな都合よく、『主人公最強』は語れないというわけだ。
実際、魔力がみなぎってきたりもしないし、とんでも能力や、怪力を手に入れられたわけでもなさそう。
『普通』だ。通常の僕氏。
悲しいかな、ヒメよりも弱いんだろうな、俺。
初登場そうそう、ヒロインに守られちゃったりするんだろうな。
そこでヒメが、爆弾発言をする。
「そうと決まれば話は早い。出発は明日としよう!」
「明日!?早すぎるだろそれは!いくらなんでも心の準備がっ」
来たばかりの世界で、『じゃあ明日下手したら死にますよ』って言われるのは、大変つらい。
「ほら、過去に戻る能力もあるんだろ?なんつったっけ、ヤサカニノマガタマってやつ?急がなくったって、いくらでも後戻りできるんじゃ___」
「その間に、何万人と人が死んでもか?」
「!?」
冷めた低い声で発せられたその言葉は、俺の胸をぎゅぅと掴んだ。
「ボクの能力で時空換装できるのは、あくまでも『時間』だぞ?痛みや悲しみは残念ながら職業外だ」
確かに、俺はバカなことを考えていた。
俺らがゆっくりしている間に、人が大勢死ぬかもしれないのに。
それを是とした冷酷な発言だった。
「ボクが到着するだけで、だいぶ戦況は変わる。未来視できない人らは、”モノノ怪”という概念がないんだから」
「そう、だな......悪かった。俺は救われている命、いつ死んでも長生きを喜ぶべきだ」
するとヒメは、口調を至って優しいものにし、
「安心しろ。キミが戦えないうちは、ボクが守るから」
ちっちゃくとも頼もしい女王の姿が、俺の背中を押した。