黄巾の乱 其の陸
「ほう、まだ立ち上がるとは。お主もいよいよ可怪しなったかい」
さすがに呆れ顔の曼成を差し置き、ボクは精神を集中させた。
陽龍に借りた力は恐ろしいほどの熱を含み、痛みと呼応して体中を刺激する。
気を抜いてしまえば意識が飛んでしまいそうな、稲妻のような何かが体中を駆け巡る。
「無駄に骨折る若造は嫌いじゃよっ」
再びこちらへその老躯を走らせる曼成を目に捉え、しかしまだ動かない。
ぼろぼろの体は、激しく動くことに賛同しない。
敵の拳を目と鼻の先に置いて初めて、ボクは動いた。
否、ボクを纏う炎が、その攻撃を防いだ。
拳が鼻先で止まるのを目視すると、その業火が老躯を包む。
先程とは、比にならない熱量で。
「く......ごほっ......蒼い、炎じゃと......!?」
火の粉を振り払った曼成は、体に煙を焚きながら狼狽した。
「あァ、その通りだよ。炎ってのは、温度によって変色するんだ。この蒼炎は高温であり、冷静の現れだ」
その声は、自分でも驚くほど、ひどく落ち着いていた。
それもそのはず、今の自分は、自分一人ではない。
背に陽龍の加護を背負う、言わば龍との共同体だ。
「......フハ、フハハ......じゃが所詮青二才。歴戦の古傷を焦がすことはできまい」
「はッ、余裕そうだなァ。ボクを本気にさせたこと、灰になって悔やむといいよ」
ふぅ、とため息をつく。目を閉じ、すでにガタが来た体を叱咤する。
本当は今すぐに戦いをやめて、さっさと帰って寝てしまいたい。
強がっていられるのも、いつまでだか......
もう長く持たないことは、自分も、陽龍だってきっとわかっている。
長期戦に持ち込むことは、自殺行為だ。
___ボクは、その瞬間を見逃さなかった。
陽龍の展開した火炎の幕が両者を囲い、”背水の陣”ならぬ”背火の陣”を布いた瞬間。動揺した曼成が、コンマ数秒だけ目を泳がせた瞬間。
___今だ。今しかない。
地を蹴り風を切り音を置き去りにして、その距離を0に近づける。
集中しろ集中しろ集中しろ集中しろ___外せば後はない。これがいい加減最後だ。
本当であればもう、とっくに動けないはずなのだ。
空間を捻るような膨大なエネルギーを勾玉に発現、残りのすべてを絞り出すように詠唱した。
「【天羅・天照大御神】:零射程ッッ!!」
勾玉に収縮されたエネルギーが右の腕を伝わり掌から超絶爆裂魔法となって打ち込まれる。
ゼロ距離で放出されたエネルギーはその勢いのほとんどを逃がすことなく命中した。
眩い光に遅れて轟音が森を包む。
爆心から半径数十メートルの円形にクレーターが生成された。
砂埃が引いたあと、そのクレーターの中に、数えるべき人間は、たった一人となっていた。
ボクの攻撃が幾度となく無傷に抑えられていたのは、超能力なんてものではなく、ただの動物たちによってだった。
おそらく奴の超能力は、森のなかの有象無象を操る力で、瞬間的にそれを防壁としていたのだろう。
曼成が操る事ができる範囲計り知れないが、最後の攻撃に対してだけは、なんの抵抗をすることもできなかった。
それは、獣が炎を嫌うからだ。
彼の周りの獣たちを追い払い、更にはその炎でカーテンを作ってしまえば、いくら奴の力とはいえ、引き寄せる事はできなかったというわけだ。
動物の本能というものを覆すほどの力など、持っていなかったということ。
ボクのほうが、一枚上手だったようだね___。
「っ......ハァ......ぁ」
そんな皮肉一つくらい投げかけてやりたいものだが、残念ながらそれは色んな意味で叶わなそうだ。
アドレナリンの分泌が抑制され始めて、痛みと疲労を思い出す。でも、心は落ち着いていた。
頭に浮かぶのは、帰りを待つみんなと、
「おふろぉ......」
待ちに待った報酬のみ。
早く帰らなくちゃ____!
そうは思うものの、体は、歩くことすら毛嫌っているようだ。
「......じゃあ、ちょっとだけね。ちょっとだけ、おやすみ」
頑張った自分を労い、誰に言うでもない『おやすみ』を呟く。
帰ったら、みんなに自慢してやろう。
想像するだけで安心できるようなその”日常”を思い出し、体の力を抜く。
するりと放された操り人形のごとくへたれこんだボクの体が地面につく___ことはなく。
「おやすみ、ヒメ。遅くなってごめんな。ゆっくり休んで、傷も癒えたら、俺と話をしよう。ヒメが頑張った話、たくさん自慢してくれな」
代わりに、ボクの空っぽの体を満たすような、声が聞こえた。
腕に抱かれる恥ずかしさで、むぎゅぅと顔を彼の胸元に埋める。
「それと、報酬の件。ヒメは十分すぎる仕事をしてくれたし、特別に俺も一緒して___やめっ、シリューくん痛いって!」
とにかく、早く元気になれ。そう言った。
最後にかっこよくなりきらないところも、彼らしい限りである。
くすっと笑い、何も考えぬままこう口にしていた。
「リュウビなんかに、負けるもんか」
それを聞いた彼が、どんな顔をしていたかはわからない。
でも、しばらくして、いつもより静かな声で、
「あいつとも、仲良くしてくれな」
とだけ忠告を入れた彼は、少しだけ、ほんの少しだけ、ボクを抱きかかえる力を強めた。
___気がした。
◇◇◇◇
その日はなんというか、大惨事だった。
場所は、再び劉家屋敷。
もともとの依頼人であるリュウビは、そりゃあもう涙ながらに謝り倒していたし、ヒメがなぜかすごく素直に不機嫌そうにそれを許したかと思うと、
「すごいよヒミコちゃん!相手は黄巾賊の指先だよ!あんなの、あたしだって一人で戦えるかわからないし。はぁ〜よくやってくれたよ〜ほんとに!もぉ、このこの!」
一転、褒めまくったりしていた。
一方___
「うわ、やめっ......ボクに気安く触るんじゃない!このロリめっ!頭なでなでもやめろ!いい加減に___!?いやんっ......ひぅんっ!?やめっ、それは......ふわぁぁ」
不運にも完全に受け身の態勢となってしまったヒメは(時折女の子らしい声を上げながら)、頭だの胸だのを___胸を触るたびリュウビが少し悔しそうに見えるのはなんだろう___半泣きになりながら犯されていた。
なんていう絵面だ......!幼女が幼女をいじめているなんて......
あまりにも酷すぎる。
おい、泣いちゃってるじゃん。そういえばヒメ、えっちなことへの耐性だけは、女子中学生と比べてもだいぶ弱かったっけ。
先程まであった仲良しこよしの雰囲気は、段々といじめの光景のように変わっていって___そんな雰囲気、もともとなかっただって?俺もそう思う。
「うっぐ......ぐすん、ひっぐ」
ついに、しっかりと泣き始めてしまったヒメに気づいたリュウビは、さすがに手を止め、
「あわわわわ、どうしたのヒミコちゃん!?ただほめてあげたかっただけなのに......なんで泣いてるの?」
「お前がいじめてるからだろ!そんな不思議そうな目で見るな!自分の胸を揉まれまくったら、そりゃ誰でも泣くわ!」
女子じゃなくってもそれだけはわかる気がする!
するとリュウビは何をそこまで納得したのか、拳を手のひらに乗せ「なるほど!」と言い、床に崩れ落ちているヒメの肩をぽんと叩いた。
......とてつもなく嫌な予感がするぞ。どうせろくなこと言わねえから、やめといたほうが___
「___ヒミコちゃんのおっぱいのほうが、あたしのより、ちょっっぴり大きかったよ!」
きらきらきら〜〜ん。
「やっぱり!そんなことだろうとっ___」
「!?〜〜〜〜〜〜〜〜〜!!??もう寝るから!寝ちゃうから!知らないもん〜だ!!うわぁぁぁぁんっっ」
だだだだと、自分の部屋へ逃げ帰ってしまった。
「あれ?もしかしてヒミコちゃん、照れちゃったのかな〜!そ〜なのかなぁ〜!もぉかわいいなぁ!」
うん、ヒメさん、同情するっス。
いや、でもどうやら、リュウビとヒメの関係も、悪くない方に傾いてきている気がして、ちょっぴり安心した。